金学順自身が「そこへ行けば金儲けができると説得され」言ってるのにw
嘘つきだよね植村


>原告金学順(以下、「金学順」という。)は、一九二三年中国東北地方の吉林省で生まれたが、同人誕生後、父がまもなく死亡したため、母と共に親戚のいる平壌へ戻り、普通学校にも四年生まで通った。
母は家政婦などをしていたが、家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。
金泰元という人の養女となり、一四歳からキーセン学校に三年間通ったが、一九三九年、一七歳(数え)の春、

「そこへ行けば金儲けができる」と説得され

金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国へ渡った。
トラックに乗って平壌駅に行き、そこから軍人しか乗っていない軍用列車に三日閥乗せられ
何度も乗り換えたが、安東と北京を通ったこと、到着したところが、「北支」「カッカ県」「鉄壁鎭」であるとしかわからなかった。
「鉄壁鎭」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。
金学順らは中国人の家に将校に案内され、部屋に入れられ鍵を掛けられた。

そのとき初めて「しまった」と思った。

翌日の朝、馬の噺きが聞こえた。
隣の部屋にも三人の朝鮮人女性がいた。
話をすると、「何とバカなことをしたか」といわれ、何とか逃げなければと思ったが、まわりは軍人で一杯のようだつた。
暴力を振るわれ従うしかなかったが、思い出すのがとても辛い。

1991.12.6「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」訴状P50〜P52抜粋
35 原告金学順(キム・ハクスン。軍隊慰安婦)
http://www.awf.or.jp/pdf/195-k1.pdf