植村記者が韓国メディアより早く金学順の記事を書いた経緯について

「当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった」と書いているが、

ソウル支局長がこんなスクープを自分で書かないで、大阪社会部に知らせることはありえない。

彼が情報を入手したのは、挺対協を支援していた義母からの情報提供による疑いが強い。

このときの金学順の録音テープには「14歳からキーセン学校に3年間通った」という話があったが、植村記者の第一報(8月11日)では、「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」となっている。


https://www.asahi.com/articles/ASG7L6VT5G7LUTIL05M.html

91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、

植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し

「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。その後の各紙の報道などで把握したという。その後も植村氏以外の記者が金さんを取り上げたが、キーセンの記述は出てこない。

●金学順の録音テープには「14歳からキーセン学校に3年間通った」という話があった

●植村記者「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」