日本音楽の歴史
外来音楽の輸入
日本の歴史を眺めると、様々な面で継体・欽明のヤマト政権あたりから、日本が独立国家らしい姿を見せてくる
中国との交渉や、朝鮮半島との密接な関係が目立ってくる
音楽の面でも、外来音楽が輸入されるようになったのはこの頃からだ
最初は朝鮮の音楽が渡来し、ついで中国の音楽が伝来した
それぞれ、新羅楽、高麗楽・百済楽・唐楽と呼ばれた
名高いのは、推古天皇の時代(7世紀)に百済から帰化した味麻之によって伝えられた伎楽である
8世紀の半ばに入ると、印度のバラモン僧によって林邑楽と仏教の声明が伝えられた
林邑楽というのは、今のヴェトナム南部地方の音楽である
平安時代初期には中国から渤海楽が伝来している

日本酒の歴史
すでに5世紀頃、朝鮮から渡来していた秦人(はたびと)は京都盆地に移住していて、
現在の太秦の広隆寺一帯や伏見稲荷神社一帯に拠点を築き、養蚕・織物・陶業などの高度な技術を広めたと同時に、
酒造りの技法にも長じていた彼等は、大陸伝来の新技法を採り入れつつ、良質な酒も作りはじめた
有名な松尾大社は京都最古の神社で、古来「日本第一醸造祖神」として、今も全国の酒造家より幅広い信仰を集めているが、
もともとは、この地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って生活守護神と崇めていたもの
その後、秦氏一族が松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、秦都理(はたのとり)が現地に神殿を建立したが、
これが大宝元年(701年)であることを考えれば、京都・伏見の酒造りが大変古い歴史を持っていることがわかる

有田焼 陶祖 李参平
有田の総鎮守とされる陶山神社では、応神天皇・「藩祖」鍋島直茂とともに「陶祖」李参平を祭神とする。
1917年には有田焼創業300年を記念し、陶山神社に「陶祖李参平碑」が建立された。陶器市開催に合わせ、
毎年5月4日には「陶祖祭」が行われ、一般席も一部用意されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8F%82%E5%B9%B3

有田焼窯元 陶祖 李参平窯
http://toso-lesanpei.com/
萩焼陶祖  李勺光、李敬 兄弟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E7%84%BC

能楽の観阿弥・世阿弥も猿楽の祖である秦河勝の子孫 雅楽の東儀家もこの系統
平安京のデザイン造成など、日本の礎として中心的存在の秦氏を筆頭とする渡来系氏族
渡来系は芸能音楽・土木灌漑・養蚕・機織・酒造など、大陸半島の先進の学芸・技術・文化を齎し、
政治や文化の発展に大きく寄与したのは事実

まあ簡単に言ってしまえば、日本の職人系の先祖は大抵が渡来系の職能集団であるわけだ
これらも非人扱いされ続けた被差別集団であって、例を挙げるならば京都は西陣織や京友禅の職人たちとか

西陣織産業における在日朝鮮人 —労働と民族的アイデンティティを中心に—
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/22932/049000060007.pdf