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【3】日本降伏の決定打となったソ連参戦
1945年5月に行なわれた最高戦争指導会議では、本土決戦の完遂を前提とした対ソ外交の要点を、
以下の三点として明記している。

1)ソビエトの参戦防止
2)ソビエトの好意的中立の獲得
3)戦争終結に関しソビエトをして日本に有利な仲介をさせる
出典:ドキュメント太平洋戦争「一億玉砕への道」(NHK取材班、角川書店)

現在から振り返ると、全く日本側の楽観と虫の良い外交方針であるが、当時の戦争指導者達の
素直な対ソ戦略の皮膚感覚であった。しかしこの日本側の期待を裏切るように、1945年2月の
「ヤルタの密約」でソ連対日参戦は決定事項であったのは既に述べたとおりだ。
また恐らくそのもっと前から―すなわち、ソ連が対独戦を有利に進めていた1944年の段階から
―スターリンの頭の中で、対日宣戦布告は既定路線であっただろう。

1945年8月9日、駐ソ大使・佐藤尚武は、ソ連を仲介した講和実現のため、日本側特使として
元首相・近衛文麿をモスクワに派遣する用意があるとソ連外相モロトフに申し入れを行なう予定
であった。しかしモロトフが佐藤に述べたのは、日本側特使の応諾などでは無く
「日ソ中立条約の破棄とソビエト連邦による対日宣戦布告」であった。

これにより、「本土決戦による一撃講和」「ソ連を仲介とした講和」という日本側の抱いていた希望
は全て撃ち砕かれ、ソ満国境に結集した200万のソ連赤軍とその付属部隊が一斉に満州、朝鮮、
南樺太、千島に襲いかかった。日本の戦争指導者が、ポツダム宣言受諾=無条件降伏を決断した
決定的要因であった。