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【4】知識人は原爆よりもソ連参戦に震撼した
「終戦日記」を読む(野坂昭如、朝日新聞出版・朝日文庫、2010年)
ソ連対日参戦は、当時の日本国内の知識人にも計り知れない衝撃とショックをもたらした。
それは現在の私達からすると驚くべき事に、広島・長崎への原爆投下よりも遙かに衝撃的で、
大きな出来事としてとらえられていた。

山田風太郎(作家。1922年―2001年)の日記。
昭和二十年八月九日、運命の日ついに日本に来る。ソビエトがついに日本に対して交戦状態に
入ったことを通告し、その空軍陸軍が満州侵入を開始したと伝えた。  ソビエトについては
こんな噂が囁かれていた。―ソ連はなお疲弊している。まだ手は出さないだろう。(中略)
すでにソ連は日本に対し続々と石油を供給しつつある。(中略)松岡洋右がソ連へいって、
アメリカとの戦争の仲裁を頼んでいる、とか―。  こんな噂に耳をすませていた輩は、
この発表に愕然と青ざめたことであろう。たしかに日本は打撃された。大きな鈍器に打たれたような
感じだ。

海野十三(作家。1897年―1949年)の日記。
(ソ連参戦)と知って、私は五分ばかり頭がふらついた。もうこれ以上の悪事態は起こりえない。
これはいよいよぼやぼやしていられないぞという緊張感がしめつける。(中略)  
とにかく最悪の事態は遂に来たのである。これも運命であろう。二千六百年続いた大日本帝国の
首都東京が、敵を四囲より迎えて、いかに勇戦して果てるか、それを少なくとも途中まで、
われらこの目で見られるのである。

高見順(作家、詩人。1907年―1965年)の日記。
 ソ連の宣戦は全く寝耳に水だった。情報通は予想していたかもしれないが、私たちは何も知らない。
むしろソ連が仲裁に出てくれることを密かに心頼みにしていた。誰もそうだった。(中略)
そこへきていきなりソ連の宣戦。新聞にもさらに予示的な記事はなかった。  店へ行くと、
久米さんの奥さんと川端さんがいて、「戦争はもうおしまい――」という。
出典:以上全て『「終戦日記」を読む』(野坂昭如、朝日新聞出版)*仮名遣いや括弧・強調は一部筆者が修正