>>626
> いずれにしろ、そうした一定の「特徴」「傾向」を持つ人達が居るのは
> 事実だろう。
> が、それが「障害」や「病気」でも「個性」でも、そんなことは
> どっちでもいいと思う。

どっちでもいい、とするのは次のような理由からだ。

「それ」が自分であれば、病気だろうと個性だろうと
自分自身がそういう特徴を持っていることで何かが上手く行かず苦しいなら
自分自身で何かしら変えるなり工夫するなり努力するものだろうし、

(例えば、「障害」としたって普通の病気なら、他人から理解されようとされまいと
 自分自身に苦痛があるから治るためにできることは自分からしようとするだろう。
 単なる性格、個性ならなおさらだ。逆に、他人と上手く行かなくても、いろいろ面倒
 でも、自分が直さなくていいと思うならそれまでだし。)

周囲に「そういう人物」が居て厄介さや大変さを感じるなら
縁を切れる関係でない限りは、
やはり、病気なり個性なり、どちらでも
「そっちだと思えば自分が許せるほう」に
思っておけばいいのではないだろうか。