キリスト教や仏教は個々人の魂の救済が目的だが
イスラム教の本質はウンマ(イスラム共同体)を機能・拡大させることにある。
だからこそシャリーアが存在し社会の隅々まで縛っているのだ。
個々人が自由に宗教実践によって救済されることを保証しない。
棄教・改宗はウンマを破壊する行為であるからだ。
イスラム社会に個人主義(信仰の自由)など存在できるはずがない。
イスラム哲学者達はしばしば信仰より理性に従うと公言し
一般大衆から疑いの目で見られていたのだ。その先には無神論が待っているからだ。
社会の強い反発の中でイスラム哲学者達は消えていった。西欧より進んでいたのに。
イスラム社会に個人の自由などない。本質的に全体主義宗教なのだから。