■なぜ二郎は二郎であり続けるのか

「ラーメン二郎が提供しているのはラーメンではない」

断言するのは信州大学経営大学院准教授の牧田幸裕氏だ。

「二郎はどこまでいっても二郎でしかありません」

事実、数多くのラーメン屋がしのぎを削る首都圏にあって、「ジロリアン」なる熱狂的な常連客が「ラーメン二郎」には押し寄せる。シンボルは、こってり濃厚、ボリュームたっぷりのラーメン。麺が茹で上がった後に、「ヤサイマシマシ・ニンニク・アブラ・カラメ」と呪文のように唱えれば、麺が隠れるくらい山盛りのキャベツともやし、ニンニク、背脂、醤油がトッピングされたラーメンが提供される。

「お客は腹を満たすためだけでなく、『二郎を食べた』という達成感を得たくて二郎に来るのです。そうして、ほかのラーメン店とは一線を画し、二郎は唯一無二のポジションを確立しました」

1968年の創業から、現在では都内を中心に全国約40店舗を展開。多くの店舗には、行列ができる。客は主に1人。食べているときはみな寡黙だ。

「そもそも、二郎は非常にボリュームがあり、悠長に話しながら食べていると満腹中枢が刺激され、途中でリタイアを余儀なくされます。メニューは大か小、例外で大を超える『麺増し』もあるが、小でも普通のラーメンの大盛りを優に超えるボリュームのため、ただひたすら麺をすすり、スープを飲むしかないのです」

食事中だけでなく行列に並んでいるときから客は寡黙になる。今日は「大」にするか、「小」にするか――。一人ひとりが自問自答を繰り返し、「二郎」という高い山に挑むために心を整える。

「食べている最中は、隣の人の進捗状況を窺います。二郎では『ロット』という言葉で、『1ロット6人分』などと表現されるように、店主は1回でまとめて麺を茹でて客に提供します。そのため、同じロットの人たちと食べ終わるタイミングを合わせないと、次のロットのお客に迷惑をかけてしまいます。同ロットの人たちと一体感を持てるので、1人で食べていても、孤独を感じることはありません」

そのほか、ぶっきらぼうにラーメンを作る店主、客は「カウンターに丼を戻す」「机を拭く」「お礼を言う」など、二郎独自のカルチャーが確立される。だからこそ、二郎に似せたラーメンを提供する「インスパイア系二郎」であっても、二郎の境地に達することはできない。すべて二郎の狙いなのだろうか。牧田氏に尋ねると、「何も考えていないでしょう」と一蹴。

「もともと都立大学近くに、二郎は創業しました。そこに来るお腹を減らせた学生に『腹いっぱい食べろよ』と。その愛情がベースになって、愚直にラーメンを作り続けた結果、顧客が勝手に解釈して二郎独自の文化へと発展していったのです」

これは、孫子の兵法でいう「千里を行きて労せざる者は、無人の地を行けばなり」。競合ひしめくラーメン屋という分野の中で、まさに二郎は敵がいないところをひた走っているのである。

2018年11月22日 9時15分 プレジデントオンライン
http://news.livedoor.com/article/detail/15632071/

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