日本が明治維新以後に近代化するに当たり、欧米近代国家にある社会的統合力や社会的倫理力
としてのキリスト教なる安定装置が基底にあることを知り、これに代わるものを日本も早急に用意する
ことを考えたわけだろう。

それが、これまでの宗教しての神道とも違う、人工的な非宗教的としての国家神道だったのだろう。
これをいまさら、復活することは困難だろうが、欧米では、いまなお、聖書に手を置いてたとえば大統領
の就任宣誓式をしている。宗教と政治とはかなり接近していて、これが欧米社会の常識なのだろう。