2025年国際博覧会(万博)の大阪開催が決まった。昭和45(1970)年の大阪万博では、日本全体が熱気に包まれただけに、55年ぶりの開催に景気浮揚への期待は大きい。当時の興奮は、人名にも「レガシー」(遺産)として残っている。明治安田生命保険の資料によると、45年に誕生した男の子の名前では「博」の漢字を使った人名がトップ10に2つも登場。「万博」が人々に与えた感動の大きさがうかがえる。名前は世相を映した鏡のようだ。

■「博」付く名前、1学級分も

 明治安田生命は、保険契約者らのデータをもとに、誕生年別の名前の調査を公表している。

 「太陽の塔」をシンボルに据えた大阪万博は45年3月15日、大阪府吹田市の千里丘陵で開幕。半年の期間中の入場者数は約6400万人に上り、2010(平成22)年の上海万博に抜かれるまで、万博史上で最も多い記録だった。

 大阪万博開催年に生まれた男の子の名前ランキングでは、「博」が5位、「博之」が8位に入っていた。

 博物館、博識、博愛など賢く、おおらかなイメージがあり、昔から人気の「博」の漢字だったが、36年にトップ10から脱落。「博」の復活は当時、10年ぶりだった。資料がある大正元年から平成30年までをみても、「博」がトップ10に2つ入ったのは、昭和45年以外にない。

 ちなみに主人公が「ヒロシ」の「ど根性ガエル」が少年ジャンプに連載が始まったのも45年だった。

 「『ひろし!』と呼ばれている友達とかが(小中高の)いつの時代も、周りにおった気がする」。45年生まれの大阪市内の男性(48)は振り返った。

 生徒のほとんどを男子が占めていた大阪府内の工科系高校。44年度〜46年度生まれの生徒が3学年にわたって在校していた名簿(62年度)から、「博」が付く名前の生徒が何人いたのか、調べてみた。

 数えると、約1200人の全校生徒のうち、博之、一博などを含め「博」が付いた生徒は計48人と、1クラス以上分に相当。このうち44%を占める21人が、万博開催年にあたる45年度生まれの2年生(留年含む)だった。万博開催前年の44年度生まれで15人。開催後の46年度生まれで12人がいた。

 一方、明治安田生命の資料によると、45年生まれの女の子では、太陽の「陽」の漢字の入った「陽子」が前年の4位から3位に浮上。翌46年からは4年連続で1位になっていた。

 陽子の名を持つ45年生まれの吹田市出身の女性(48)は「太陽の塔が名前の由来」という。

■戦時中は「勝」か「勇」

 「今年の活躍を受けて、来年はさらに(順位が)上がるかも…」。明治安田生命がこう見通す男の子の名前は「翔平」だ。

 投打に挑む「二刀流」で注目された米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手が活躍し、ア・リーグの最優秀新人(新人王)にも輝いた平成30年。「翔平」の名は前年の1343位から163位へと桁違いのランクアップを記録した。

 また今年は平昌(ピョンチャン)五輪のフィギュアスケート男子で、羽生結弦選手が2014年ソチ大会に続き2大会連続で金メダルを獲得する偉業を達成。女の子では「結」の漢字を使った名前の「結月」(ゆづき)「結愛」(ゆあ)「結菜」(ゆいな)が、初めてトップ3を独占した。

 明治安田生命は、自然災害の被災地でのボランティアの活躍や、サッカーワールードカップ(W杯)を舞台にした日本チームの団結力にも注目。「人と人を結ぶ絆が見直されていることが、『結』の漢字の人気が上昇している要因かもしれない」としている。

 戦時にあたる昭和13(1938)年から20年にかけては、男の子の名前は1位を「勝」か「勇」がほぼ二分。戦後の高度成長期以降は、女の子の「子」止めの名前の順位が下がり、男女雇用均等法が施行された61年には「子」がトップ10から消えている。

 ※略

 昭和46年以降、名前ランキングのトップ10から消えている「博」。7年後の万博がレガシーとして子供の名前に影響を与えるかは、感動の大きさ、太陽の塔のような大阪を象徴する新たなシンボルができるか次第かもしれない。

12/9(日) 10:00
産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181209-00000500-san-soci
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