https://www.nishinippon.co.jp/nnp/anatoku/article/472442/

1日に1万人以上が歩く福岡市・天神の市役所前。その歩道上に、なんとも不思議な物体がある。
一見マンホールのようだが、下水道でも電気、ガスのものでもない。直径15センチ、真ちゅう製とみられるプレートに
刻まれているのは〈VISTA POINT(ビスタポイント)〉の文字。これは一体何なのか。特命取材班が、都心に埋もれた秘密に迫った。

福岡市のシルエットや指し示す手なども描かれたビスタポイント
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プレートには人さし指で指し示す手の形と、福岡市の輪郭も描かれている。西側広場の真正面の一つと、
そして市役所北側の歩道に車道を挟んで二つあり、東側と南側にはない。

市役所西側正面にあるビスタポイント=福岡市中央区
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北側にあるビスタポイントから見た市庁舎
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VISTAとはイタリア語で「展望」「眺望」といった意味。「VISTA POINT」はつまり「展望地点」。指し示す先には市役所の本庁舎がある。何か関係があるはずだ。

ところが庁舎の管理を担う財産管理課は、その存在すら知らなかった。関係部署に尋ねてくれたが「誰も分からない」。
市庁舎は30年前の1988年7月に完成。当時は白亜の外観が注目を集めた。ビスタポイントは「ここから見る市役所が格好いい」ということ? だとすると誰が−。

歩道を整備したのは中央区。地域整備課によると、工事期間は市庁舎完成後の91年9月26日〜92年5月20日。
その間にプレートが埋められたのだろうが、確証がない。

「『福博プロムナード』と関係があるかも」。郷土史研究家の益田啓一郎さんは推測する。市役所の北側や天神中央公園を通る区間を遊歩道に整備した取り組みで、
県と市が連携して進めた。ならば、と県の公園街路課に県庁地下の書庫まで探してもらったが「分かりませんね…」。ここにも手がかりはなし。

すると、中央区の地域整備課から連絡があった。資料が見つかったという。

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「この1枚だけですが」。中央区地域整備課の吉田信康課長がA3サイズの紙を見せてくれた。区が手掛けた工事記録のマイクロフィルムの中にあったという。

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〈市庁舎周辺道路整備事業 天神一丁目地内道路舗装工事構造図〉

やはり設置したのは中央区だった。プレートのデザインも記されている。厚みは2センチあることが新たに分かった。

だが、肝心の「なぜ」が分からない。「新庁舎の整備に合わせて作られたのは間違いないのですが…」と吉田課長も困っていた。

この人に聞くしかない。福岡市都市景観室のアドバイザーや屋外広告物審議会委員などを務めた九州大名誉教授の佐藤優・神戸芸術工科大副学長
(視覚記号・都市景観計画)だ。現場の写真を見てもらった。

しかし「うーん、調べてみたけど分からない。福岡市のサインは多く手掛けているので状況はよく分かっているつもりでしたが…」。

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佐藤副学長によると、福岡市に都市景観室が設置されたのは86年。人口が100万人を超え「アジアの拠点」を掲げ始めた福岡市が、
道路や上下水道といった都市基盤整備から、景観を高めるという“次のステージ”に進み始めたのが、この時期だった。

そして昭和から平成への時代の変わり目に合わせるかのように、福岡市では景観への意識が高まっていた。
相次ぐ遊歩道の整備や大きな彫刻の設置。ビスタポイントもその波に乗ったが、小さく目立たないこともあり、文字通り“埋没した”のではないだろうか−。

結局、謎の核心にたどり着くことはまだできていない。何か手がかりをお持ちの方は、ぜひ特命取材班まで情報をお寄せください。