>中国相手にかね使う競争して勝ち目ある?

支那は軽蔑の対象にしかなりません゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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<日本介入中(1937-1945)>

■日本-中華民国間紛争は武漢三鎮占領で戦闘は終わった。内面積で
 本土の50%にあたる151平方km人口の4-5割主要都市を
 ほとんど支配下におき工場労働者の90%生産額の94%に及ぶ。
 兵員では圧倒的に少ない日本軍だったが。これ以降、日本軍は持久体制に入った

■日本-中華民国間紛争1937の最初の1年で北京天津南京上海広東漢口の6大都市の
 全て、大港湾の全て、鉄道網の9割、工場の大部分が日本軍の
 手中に落ちた。ソ連や米国の援助が無ければ蒋介石は抵抗できなかった。

■日本軍が最も悩まされたのは支那軍の攻撃ではなく不衛生さによる風土病疫病だった。
 ペスト、マラリア、赤痢、コレラ、梅毒、腸チフスなど。
 戦傷病死者は戦死者をはるかに上回った。

■日本兵と支那兵の損失交換率は大体1対10。
 米国人記者チェンバレン著「戦える日本」でもそう分析されている。
 昭和14年陸軍省発表で被害10万人。支那側は100万人だった。

■『支那軍の特性』(参謀本部発行)では、「支那兵は自己中心的で責任感が
 薄く、よく危険回避の行動を取り、流言飛語に弱く形成不利となると
 潰走する。指揮官が部下を捨てて逃走することも多い」と分析。

■華北や華中も日本支配の後は、華中(北)開発株式会社などを設立し、
 その下に華中交通、華中電力、華中綿花、華中鉄道、華中電信電話
 など設立し開発を進めた。鉄道などは1千kmも建設した。