【3代将軍】徳川家光は「ヘタウマ」画家? 水墨画を公開へ
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徳川家光「兎図」(部分)。ゆるい絵ではあるが殿様が描いた作品のため、重厚な箱に納められ大事に受け継がれていた
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20181219004612_comm.jpg
徳川家光「木兎図」(部分)
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20181219004613_comm.jpg
徳川幕府の礎を築いた3代将軍家光の水墨画2点の実物が来年3月、東京・府中市美術館の「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」展で初めて公開される。家光の作品はこれまで10点弱しか見つかっていないが、いずれも素朴な画風だといい、金子信久学芸員は「意図して下手に描いたのかはわからないが、これが家光のスタイルだった」と話す。
東京都文京区の養源寺に保管されていた「木兎(みみずく)図」はとぼけた表情を向け、数年前に京都で見つかった「兎(うさぎ)図」は、大きな黒目で切り株の上にちょこんとたたずむ。兎図が表装された掛け軸には、葵(あおい)の紋があしらわれている。美術館によると、家光は政務の傍ら絵をたしなみ、家臣に作品を与えることもあった。
本展は3月16日から5月12日まで。長沢芦雪(ろせつ)や伊藤若冲、仙香iせんがい)義梵(ぎぼん)らの作品も含め44点が初公開という。(森本未紀)
2018年12月20日11時16分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASLDM3V5YLDMUCLV007.html つか、お前らだってこれかそれ以下だろうに
何笑ってんだろう >>244
100均の墨汁で一生懸命書いた冬休みの宿題のお習字感が凄い >>183
渡辺崋山いいよね。もっと長生きしてほしかった。
鳥居耀蔵に目をつけられたのが運の尽きやったなあ。 大の大人が、それも徳川の将軍が書いたと思ってみると なんか笑えてくるな。 現代に生まれ変わってたらクリエイターとして活躍できる想像力の持ち主
キャラクターデザインのクリエイター
ご当地ゆるキャラのデザインもいける
1枚目のキャラの印象力は素晴らしい 徳川体制が固まり、金が有り余っていたのは家光のころでしょ。
その後の幕府はだんだん赤字になっていく。徳川埋蔵金なんて無いよ。あったら徳川が勝ってた。 >>431
4代家綱は
上達後の絵も乗せてあげないと可哀想 >>105
此奴は上様を騙る不届き者じゃ、斬れ、切り捨てい! 周りの人達も大変だったろうな
うっかり笑うわけにもいかないし >>431
家綱www
こんなの残っちゃうと思うと将軍も大変だなw 松平信綱も稲葉正勝も堀田正盛も家光の小姓だったからあれだけの出世ができたのだ うまいじゃん
これだけ描けるならパラパラ漫画を作ってほしかった >>103
小学生男子がノートに「ぼくのかんがえたさいきょうのなんとか」を練習してるみたいだなw 400年前とは思えない斬新な構図
さすが徳川、300年日本を支配しただけはある >>431
犬公方綱吉、こんな絵描いてたんだ
家定、バカとか言われながら絵も描けるんだ
慶喜の油絵みたいのは明治維新後かな? >>448
わかるw
何度ものぞいてニヤニヤしてしまうw >>412
江戸時代初期と後期って
250年くらい離れてるけど
話し方、文の書き方、食生活とか
変化あったの?? 奉行所に通報した。
バカにしたやつは、市中引き廻しの上に小塚原で獄門な。 眼を大きく書いてるのみると可愛いものが好きだったのかな ガチホモで辻斬りが趣味の将軍様
従兄の光圀も辻斬りが趣味 >>453
文化文政あたりから、侍精神以外、基本的なメンタルはそうかわらない。
いま90歳くらいの老人の生まれたころには、
まだ新撰組の生き残り(稗田利八)とか、戊辰戦争で大暴れした殿さま(林忠崇)とか、
西園寺公望とか生きていた。 >>16
幕藩体制って、まんまカイジに出てくる帝愛グループだったんだろうね 可愛いじゃん
これでエコバッグとか作ってくれたら、買うわ >>47
政治、軍事だけでなく文化的な才能も併せ持つとか凄いわ
似たような人物だと、曹操(漢詩)などもいるな 伊達「料理作った」
幕臣「毒見しろ」
伊達「ざっけんな誰が毒殺なんかするかーやるなら堂々と戦って天下取るっちゃ」
立花「さっすが伊達さんさあ行きましょう」
家光「(感涙)」
という話が割と面白かった 本人が好きで描いていたのなら、後世の人間がそれをとやかく論評することはないだろう
別に人に迷惑かけたわけでも、これを職業にしていたわけでもないんだから >>453
個人的な印象でいうと、江戸初期の『醒睡笑』(1623年)は文語に近くて読みやすい。
江戸中期の『心中天の網島』(1720年)は露天商の口上のような冗長さがあるがまだ文章として
つながるだけの文語的な規律がある、しかし『世間妾形気』(1767年)になるともはや寅さんの
啖呵売りの口上だけになってきて単語も方言っぽくてよく分からない、
ところが『東海道中膝栗毛』(1802-14年)になると、よく知ってるテレビ時代劇ドラマの話し方に
なって、文章もしっかりつながり、明治時代に書かれたと言われても驚かないような文体で分かり
やすい。 うさぎ?可愛いね。
家光ってどの人だっけ。大河で誰がやってた? どっちも耳おっ立てて強調してるけど、雄々しさを感じない
ホモて本当だったのかもな >>485
葵徳川三代とか春日局に出てたはずだけど記憶にない
初代水戸黄門が中村梅雀でナレーションもやってたのは記憶に残ってる 漫画が無い時代でこれだからすごいよ。
庶民の落書きとか面白そうw 政宗は辻斬りが趣味の家光に名刀あげるという煽りっぷりが良い >>479
歴史上の人物は国民、民族の体験として語られる存在となる。
歴史に名を遺す者の宿命だ。 大名なのに文化人として生き残った今川氏真は天才って事だな 下手言われてるけど切り株の質感(松…?)やウサギのふわふわ感の表現でいろんな技法を駆使してなかなかだと思わない? >>241
当時の日本の平均からみれば上手い方かもしれないが
日本の超一流の絵画に常時接することができる将軍が
これらの絵を他人に見せるのは頭が弱かったと思われても仕方ないぞ 織部が見たら乙をつけるかな?
いな、織部の斜め下かなら 墨の濃淡とかつかいこなしてるんだから
ある程度の教養をもって描いてるだろこれ これはやっぱり母親の江が家光を嫌う訳だわw
こんなアレじゃあ仕方ない
(´・ω・`) 丸くて、モフっとしたものが好きなのか
素直でいい絵だと思う
フワフワ感も表現できている >>453
例えば今から250年前って1768年
10代将軍家治の時代って考えると
250年の隔たりって大きいと感じる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています