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■『“生殖”が前提の「男女夫婦」と“個人の幸福追求”が前提の「同性カップル」を
■  行政が“同等”に扱おうとする動きがあることに疑問を提した杉田水脈!』


多様性を受け入れて、様々な性的指向も認めよということになると、
同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、
それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。

現実に海外では、そういう人たちが出てきています。
どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
自分の好きな性別のトイレに誰もが入れる様になったら、世の中は大混乱です。


「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させる事にもなりかねません。
むしろ、冷静に批判してしかるべきではないかと思います。

「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、
いずれ崩壊していくことにもなりかねません。
私は、日本をそうした社会にしたくありません。

【『新潮45』2018年8月号 杉田水脈『「LGBT」支援の度が過ぎる』】


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杉田水脈氏の月刊誌への寄稿をめぐり、バッシングが続いているが、
「性的少数者の権利拡大」を“絶対善”とし、反対論を封殺する
『LGBT至上主義』の広がりと、その危険を感じる。


寄稿の中で、特に問題となっているのは次の部分だ。
「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。
そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」

冷静に読めば分かるように「生産性がない」とは、
“同性カップル”からは「子供が生まれない」という意味だ。
LGBTであること自体に生産性がないという事を言っているのではない。


つまり、“有性生殖”という「生物学上の事実」を“指摘”し、
それを前提にした「夫婦の関係」と子供ができない「同性カップルの関係」を、
「行政」が“同等”に扱おうとする動きがある事に「疑問を提起」したのだ。

LGBTに対する「支援派」と「反対派」の主張の“違い”を突き詰めれば、
子供が生まれる可能性のある男女の関係を、他の関係よりも特別な関係、
つまり「夫婦」として保護する現在の婚姻制度を続けるのか、
それとも、“性的多様性”を前提に、「同性婚」なども容認するのか、
というところに、最終的に行き着く。

そこには、「近親婚」の“是非”についても入ってくるであろう。
その“危険性”を指摘した杉田氏の方がむしろ「常識的」なのである。


これに対し、デヴィ夫人は「政治家としては言ってもいいと思いますよ」
「生産性ないわよ。だって子供産めないじゃないですか。
・・・などと、杉田議員を擁護していた。
(FPX357)