続き

 男性は捜査公判を通じて一貫して容疑を否認した。

 しかし、女性の告白やその2歳上の兄の目撃証言が決め手となって2009年に大阪地裁で有罪となり、大阪高裁、最高裁を経て2011年に懲役12年の実刑判決が確定した。

 事態が一変したのは2013年だ。

 服役中の男性による再審請求を受け、大阪地検が再捜査したところ、女性も兄も、実際には被害を受けておらず、目撃もしていないと説明し、男性の関与を否定したからだ。

 2008年の事件直後、女性は母親に連れられて病院に行き、産婦人科医の診療を受けていたが、この時の記録でも処女膜裂傷がないとされていた。

 女性が2010年に受診した別の診療科の診療記録にも、実は被害を受けていないとの女性の発言が記載されていた。