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【国際】反捕鯨シー・シェパードがイルカ漁師に反撃食らう カリフォルニア湾【映像】
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0001 ◆ZATZYO/mSYbR 雑用縞工作 ★
垢版 |
2019/01/12(土) 21:16:04.06ID:mMkHnFaZ9
イルカ漁を取り締まる船を小型漁船約20隻で取り囲みました。

9日、反捕鯨団体「シー・シェパード」の船がカリフォルニア湾で地元漁師の小型漁船に囲まれて攻撃を受けました。
シー・シェパードはこの海域に15頭しか生息していないとされる貴重なイルカを狙った漁に反対していて、メキシコ政府と協力して違法に設置された網を探すなどの活動を行っていました。
これに対し、地元の漁師たちがイルカ漁で使う網を投げ付けるなど抵抗してきたということです。
このイルカは浮袋が中華料理の珍味として高値で取引されていて、絶滅の危機に瀕(ひん)しています。

テレ朝news 2019/01/12 17:27
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000145128.html
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2019/01/16(水) 07:34:19.18ID:BPdprxGi0
>>125
>太地町の奴ら

【ジェイ・アラバスター】『ザ・コーヴ』の町に住む僕が見た「残虐な漁師」の素顔
https://twitter.com/fukupage/status/1085169445905920001

2019/01/15
「いいか、身の危険を感じたらすぐに戻るんだぞ、危険な場所なんだからな」
それはAP通信の記者として東京で働いていた2010年のことだった。社内で日本の本州南端にある小さな町を取材する記者を募った際、
僕はいつものように、事務所から抜け出て、会社の経費でちょっとした旅行ができると喜んで手を挙げたのだ。
出発前に上司に呼ばれた際、二人きりの部屋で、まるで僕を戦地に送り出すかのように言ったのが冒頭の上司の言葉だった。
奇妙な気分だった。僕は東京で働き始めてからもうすぐ10年になろうとしており、それまでに身の危険を感じたことなど一度もなかったからだ。
日本は何と言っても世界でも指折り数える治安の良い国である。母国のアメリカとは比べものにならないほど安全だ。
かつて僕は憤慨する右翼団体の取材をしたことも何度かあったし、太地の取材から1年後には東日本大震災で津波被害を受けた地域や、
東京電力福島第一原発事故の取材も経験している。けれども過去に誰一人、僕を傷つけようとした日本人などいなかった。
もし日本で僕が死ぬとしたら他人に傷つけられるよりも、むしろ自分で命を落とす方が確率的には高い、と言っても過言ではないだろう。
僕が派遣されたのは、和歌山県太地町だった。当時、アカデミー賞候補だったドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ(The Cove)』の舞台となった町である。
このときの取材は、この映画が賞を取った時に備え、太地町の生の声を拾って記事にするのが目的だった。
数日間の予定で現地に滞在することを決め、東京から約8時間離れたその町へ向かう電車の中で、例のドキュメンタリーを観た。
すぐに、上司がなぜ心配したのかを理解した。不気味なBGMとともに流れる冒頭の映像は、日本の小さな漁村の魚市場を映していた。
むろん、すべて奇妙で怪しげなものとして描写されながら…。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0553税金泥棒(石巻復興を騙って23億円ブッコ抜く)
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2019/01/16(水) 07:36:15.95ID:BPdprxGi0
>>552
冒頭のシーンには、車のハンドルに身を被せるようにして、マスクと一風変わった帽子を深く被って顔を隠しながら運転するアメリカ人男性の姿があった。
「大袈裟じゃない。あの漁師たちに見つかれば捕まって、私は殺されかねない」とその男性は真顔で言った。
映画の中で、太地の漁師は「残虐な存在」として描かれていた。隠れてイルカを獲り、入り江(英語ではコーヴ)へと追い込み、
そこで無残にもイルカを屠殺し、海は血で真っ赤に染まる。それだけではない。町を訪れる外国人も危険に晒されると強調されていた。
漁の様子を撮影しようとする映画関係者や活動家たちはどこへ行っても尾行されるので、ホテルの部屋に身を潜め、カーテン越しにそっと外をうかがい、
海岸に人がいなくなったら車に走り乗るという始末である。
太地に着いた時、僕はその美しさにしばらく言葉を失った。なぜ自分がそこにいるのかさえも忘れたほどだった。深い緑の森に覆われた山々に囲まれ、
江戸時代に古式捕鯨が始まった町はその日、鮮やかなピンクの花で満開の山桜が競うように咲き誇っていた。人々の住居は、
海と山の間の細長い居住区に肩を並べるように密接して並んでおり、一世紀前に職人の手で建てられた木造の家の間を縫うようにして迷路のような小道が続く。
そして海の美しさと言ったら、誰もが心を奪われるほどである。二つの湾の間を町が取り囲み、海ははっとするほどに透明で、
海岸に立てばアワビや昆布に覆われる岩を突つきながら泳ぐフグの様子まで見えた。
でも僕がここにいる理由は取材である。『ザ・コーヴ』は後に見事アカデミー賞を取り、結局僕は町の人たちの声を拾って記事を書くことになった。
けれども、一番の問題は誰も僕と話したがらない、ということだった。他の小さな町なら、AP通信記者としてのIDカードと名刺を見せれば、
大抵の場合、町長との面会や無料ビールの振る舞い、ホテルのアップグレードなどを意味した。だが、太地では様子が全く違った。
町役場でも漁協組合でも、あるいは鯨カツを初めて食べた地元のレストランでも、取材を断られた。
犬を散歩していた若い女性は、自己紹介をしようと近づいた僕を見るなり、文字通り走って逃げた。そしてようやく、
イルカと一緒に泳ぐプログラムを提供する人気の複合施設「ドルフィンリゾート」のマネージャーが話すことに同意してくれた。
「イルカ以外のことならば」という条件で。
原稿の締め切りを間近に控えた僕に、その後も数人の町民がインタビューに応じてくれたが、充実した取材とは程遠かった。
なんとか記事を書き上げ、そのやっつけ仕事は翌日には世界中に打電された。ようやく、僕は東京への帰路に着いた。
0554税金泥棒(石巻復興を騙って23億円ブッコ抜く)
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2019/01/16(水) 07:38:27.43ID:BPdprxGi0
>>553
日本のイルカ漁の町、『ザ・コーヴ』を受け流す
日本の太地町—凄惨なイルカ漁の描写で『ザ・コーヴ』がアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、ロサンゼルスの映画祭に集った聴衆が喝采を浴びせた。
一方、地球の反対側では、映画に映し出された日本の小さな漁村の町民は注目を嫌い、何世紀も続く伝統をやめる気はないと明言した。
東京に戻り、いつものルーチン仕事に戻っても、外国人記者を頑として寄せ付けなかった小さな町の、あの美しい海が頭から離れなかった。
まるで容易には男を寄せ付けない「つれない美女」に心を奪われたかのように、僕は太地のことが忘れられなかった。
それから二度目、三度目と太地に戻り取材をした。その都度、会って話をできる人が増えていき、やがてニュースの見出しから「太地町」の名が消え始めても、
僕は町を訪れ続けた。最終的に上司は僕の太地町取材企画をボツにするようになり、僕は自分の休暇を使って自腹で町に行くようになった。
最初の取材から2年半後のある日、僕はついに諦めて仕事を辞め、ボロの中古車に愛猫を乗せて再び太地へと向かった。
築100年の元鯨捕漁師の家に住んだり、町の住人となって気づけばもう3年半が経った。今、太地とメディアの関係について博士号を取るべく研究をしている。
町で暮らすようになって、太地でのイルカ漁はまったく隠れて行われるようなものではないことを知った。
知り合いの漁師がいれば、まだ温かい獲れたての肉を分けてくれる。生で食べる新鮮なイルカ肉は極上のテンダーロインのように舌の上で溶けてなくなる。
他にも、古い木造の家の扉に鍵をかけずに出かければ、近所のお年寄りがふらりと家に来て、掃除をし、冷蔵庫には新鮮な魚を置いて行ってくれることも。
町民の多くは、かつて成人への儀礼として暴れる鯨の背に乗り、小刀で鯨の「鼻切り」をした勇猛な鯨捕りの直系の子孫である。
太地は強靭な身体能力を誇った真珠取りの男たちの故郷でもあり、その昔、南氷洋捕鯨に携わった町民も多い。
町にはおそらくアジア最多であろう、剥製のペンギンコレクションがある。
毎年秋の祭りの時期になれば、町の男衆と一緒に獅子舞を踊り、飲み明かす。太地町に「残虐な漁師たち」を探しに行った僕はその数年後、海の無事を祈る神社で、
海上に輝く黄色い月あかりの下、彼らと獅子舞を踊っていた。
日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退する方針を決めた。国際社会から非難の声が上がる中で、太地町のイルカ漁はまた、世界的な注目を浴びるかもしれない。
これから僕が自分の目で見て体験している、太地の町の一年をiRONNAで紹介していきたいと思っている。
(日本語訳、垣沼希依子)
0555名無しさん@1周年
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2019/01/16(水) 08:05:45.60ID:7AD+0rA70
週刊プレイボーイ2010年7月5日号では“和歌山県太地町イルカ・クジラ漁師を直撃“と題した漁師たちへの
インタビューが掲載された。
記事に登場する太地町の漁協関係者は、「当初の撮影はシホヨス監督やオバリーら製作陣が“日本の美しい港や海を
撮影する“と町民に嘘をついて撮影し、ある程度の映像を撮り終えてから町民らに自らの正体を明かして挑発的な
言動を繰り返した」との内容を話した。そのインタビューの中で漁師関係者は「挑発後に漁民が怒って漁具を
振りかざしたシーンを撮ったり、ハンディカメラを町民の顔にくっつけて撮影し、町民がそれを振り払うシーンを
離れた場所から大きなカメラで撮影する等の行為、オバリーの妻が町民に向かって顔を近づけながら下品に挑発し、
町民がそれを振り払うと大げさに路上に倒れて大声を上げて痛がるなどの行為をあげ“地元と日本政府の妨害に
遭いながらも命がけで撮影した”という設定にしたいのだろう」とコメントしているが、その漁師関係者はカメラを
使ってその“挑発の様子“を直接撮影したわけではないため、発言内容の信頼性には多少の疑問が残る。
太地町漁師等は、オバリーの妻に日本語で漁場から出て行くようにと警告したところ、オバリーの妻は
「半裸の男に取り囲まれた!」と叫んだ、と主張している。
製作陣は“漁師や町民だけでなく、日本政府からも妨害されている“という事を立証するために警察にも抗議を続け、
漁網を切るなどの活動で逮捕されたメンバーが、日本政府に不当な迫害を受けていると本誌インタビューに受け答えた
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