2018年12月、日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明した。このまま行けば、今年(2019年)7月から33年ぶりに商業捕鯨が再開されることになる。今後も国際論争を含む大きな動きが起きるのは必至だ。私たちにとっては、お店で鯨肉を目にする機会が増えるだろう。

 捕鯨反対派の「捕鯨は残酷」主張と、日本の賛成派の「捕鯨は伝統」という主張は噛み合わないままだ。ずれた論争の背景には何があるのか。理解のための糸口はあるのか。『おクジラさま』から学びを得たい。


主張のズレに伝統・変化への根本的な違い
『おクジラさま』は、ドキュメンタリー映画監督・著述家の佐々木芽生氏が手がけた映画と本だ。イルカ追い込み漁が営まれる和歌山県太地町で、地元住民、環境活動家、外国人ジャーナリストなどを取材し、それぞれの立場や主張を描く。「両方の意見をバランスよく伝えたい」と、捕鯨賛成側と反対側の双方の主張に耳を傾けている。2017年に映画が公開され、また本も出版された。映画はいまも各地で上映会が行われており、本はもちろん書店などで入手できる。

 捕鯨を巡る衝突には主張のズレがある。賛成派は捕鯨には「伝統」があると主張する。一方、反対派は、捕鯨は「残酷」であると主張する。



最初で最後の対話も歩み寄りなく
 賛成派と反対派が、一度だけ太地町で相まみえたことがある。2010年、政治団体が企画した「対話集会」に、太地町の町長や副町長らと、自称環境保護団体シーシェパードのメンバーらがともに参加したのだ。

 集会では、町側が「苦しみを与えず一瞬で捕殺することができております」と捕殺の改善を述べるが、そもそもシーシェパード側は「クジラの捕獲や虐殺は、野蛮で非文明的です」と言っており、やはり主張がズレる。

 象徴的なシーンが最後のやりとりだ。シーシェパードのメンバーが町長に尋ねる。「太地町が前進するために、私たちシーシェパードに何か手伝えることはないでしょうか」。

 町長は答える。「太地町の町のことは太地の町民が決めることであり、他の人が決めることではありません。あなたたちが住民として登録されてから考えることです」。

 町側がシーシェパードの提案をはねのけているように感じられる。だが、平穏だった町にこの自称環境保護団体が突然やってきて、漁の妨害や嫌がらせを続けてきた経緯からすると、こうした反応も無理からぬことだ。威圧は隔たりを作り出す。


「クジラを食べたくて仕方ない」と思われている日本人
 理解しあえなかったことを、理解しあうのは難しい。それでも「理解のための行動」を取り続けるしか、論争の先にある道を見出せないのではないか。

 理解のための行動の1つは「日本の実態を伝え続ける」ことかもしれない。人は、他国の文化や伝統を「みんながそうしている」と捉えてしまいがちなもの。だが、実態はかけ離れていることもある。

 日本人が鯨肉をさほど消費していないという実態を世界に発信したことのあるフリージャーナリストの佐久間淳子氏は、著書の中でこう述べている。「日本人はクジラを食べたくて仕方ないと思われていたようです。もし捕鯨を再開したら牛も豚も鶏も食べずにクジラだけ食べるのではないか、と」。

ながい全体の文
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0118/jbp_190118_4632608736.html