【柔よく剛を制す】嘉納治五郎 書簡に見る横顔 手賀沼の風景「安美湖」表現 千葉・我孫子で展示
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
嘉納治五郎 書簡に見る横顔 手賀沼の風景「安美湖」表現 創刊誌「教養深めるものに」
2019年1月30日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201901/CK2019013002000138.html
https://i.imgur.com/th7h93Z.png
嘉納治五郎が杉村楚人冠に宛て、初公開された2通の直筆書簡。上方の手紙の中ほどに「安美湖」の表現が読み取れる=我孫子市で
アジア人で初めて国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた柔道家の嘉納治五郎(一八六〇〜一九三八年)から、ジャーナリストの杉村楚人冠(そじんかん)(一八七二〜一九四五年)に宛てた直筆の未公開書簡が、我孫子市杉村楚人冠記念館で展示されている。
我孫子の風景を愛していたり、さまざまな分野に精通していたりしていた嘉納の横顔が、文面からうかがえる。 (堀場達)
三月十日まで開催の「てがみ展〜我孫子に集った人々」で、学者や財界人らが杉村へ送った書簡やはがき計十五点を紹介している。嘉納の書簡は四通あり、このうち二通は、今回初めて公開された。
一通は一九一四(大正三)年二月一日付で、嘉納が別荘を構えた通称・天神山の高台から望む手賀沼の風景の絵はがきを杉村に注文する内容だ。
「『我孫子天神山より安美湖の眺望』との十四字を加へ候」と書き添えてある。「安美湖」は手賀沼を我孫子と語呂合わせして表現した嘉納の造語とみられ、市教育委員会の担当者は「絵はがきは、嘉納や杉村ら我孫子で親しくしていた人々が共同で作ったのではないか。彼らは早くから手賀沼の風光に着目し、これを広めようとしていた」と話す。
一方、一五年と推定される四月二十九日付の書簡は、嘉納が創刊した雑誌「柔道」への寄稿を、杉村に依頼している。杉村は当時、第一次世界大戦の欧州取材から帰国して間もなく、戦時中の現地の実情を書いてもらう目的だった。
教育者、知識人としても足跡を残した嘉納が「柔道」を専門誌ではなく、教養を深める総合雑誌にしようという志が表れているという。
入館料は一般三百円など。月曜休館。問い合わせは同記念館へ。
世界『ドイツと中国は融合して一体何を企んでるの?』
柔道を教育に使うっていう志とやっぱり殺人のための武術っていう現実と、いまでもたいして葛藤は変わってないな
柔道の危険さで安全なスポーツとして普及させるなんてのは無理だわ。 手賀沼てネズミーランドができる予定地だったらしいな 柔道やってる人は会話の中でも絶対に呼び捨てせず先生をつけるね 1945年になくなったのは戦争があったからなのかな 柔よく剛を制す
これなあ みんなして誤解している
本当は 『柔よく剛を制す、剛よく柔を断つ』
本当の意味
柔で剛を制することは出来る、しかしそれは剛が柔を断つまでのほんのすこしの瞬間なので、柔い奴はもたもたせずに押さえ込め
これが 『剛よく柔を断つ、柔よく剛を制す』
となっても
やっぱり柔は断たれてオシマイ 日本一汚いと言われた手賀沼も、昔は綺麗だったんだねえ >>8
嘉納は元々兵庫県人で、神戸の酒蔵のオーナー一族だからw >>1
そういえば嘉納って、関西人なのに何で大河じゃ関西弁出さないんだろか? プーチン「今の日本は昔の日本ではない。嘆かわしいことだ」 嘉納さんは気の毒だったが、今度五輪中止になっても気の毒と思える奴はいない。
安倍、森元、竹田、小池、武藤 この柔道バカは神戸に高校も作ったんだろ?
格闘家が作った高校って男塾みたいな喧嘩バカが集まるド底辺ってイメージで怖いよ >>19
白鶴だっけ?
灘校の門に銅像が立ってるよね。 >>11 に先を越されたw 幻の手賀沼鼠園構想www
>>18
おハイソの極みである学習院さまの同人からなる耽美派の
白樺派の文士が集住していたくらいだからね
そりゃあ風光明媚なところでなくてはならない。
さっきの手賀沼鼠園構想じゃないが、歴史が一歩違えば
あの界隈が東国の芦屋のようになった可能性もビレゾン以上にあったと思うよwww こういう所のほうが人間らしい生活を送れるから地元で仕事のある人はうらやましい 灘って脳味噌筋肉の低学歴柔道バカが作ったってのか?
ネタも大概にせいや けっきょく手賀沼は
高度経済成長期に柏や我孫子がベッドタウン化して
排水ドバドバ流し込んだからね >>27
知ってて書いてるんだろうけどあえて釣られれば
当たりタイミングを手書きで解析して阪神間のパチンコ屋を数軒潰した年代がいたあの高校だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています