『第二次大戦回顧録』(中公文庫/チャーチル元首相(Winston Churchill))

■日本軍はフィリッピン、マレーと進撃を続けシンガポールに近づいた。過去3週間ぶっつづけで
 我が部隊は疲れ切り、猛虎のような日本軍の攻撃に抵抗できなかった。夜になると戦車を先頭に
 攻撃がはじまり大損害をうけつつかろうじて逃げ延びた。支援にハリケーン戦闘機戦隊が
 到着したが日本軍航空隊の前にみるみる数を減らした。

■マレー半島の英軍はシンガポールに撤退することになった。日本軍は土地をよく調べ、
 ジャングル戦に長け空は日本のものだった。シンガポール軍10万に対して
 首相として以下の命令をだした:「男子全員を防備建築に使用せよ」「全員死に至るまで抵抗せよ」
 「スパイを取り締まれ」「降伏はゆるさない」「香港では水の欠乏によって降伏せざるを得なかった。
 水を確保せよ」。

■これでも日本軍の猛攻は止まらないので破棄も考えたが豪から非難された。シンガポールは
 全英帝国と中心地であり、難攻不落の要塞でありこれを見捨てのは裏切り行為だ、と。
 ここで日本軍を食い止めれなければ、連合国は一般国民に不安を与えるし、オーストラリア国民は
 英帝国の信用を疑うことになる、と激しい言葉で抗議した。

■日本軍は海峡を波状的に上陸してきた。首相として現地将軍に命令した:「今となって兵力を救うとか
 住民を救うとか考えてはならない。徹底的に戦うべきである。第18師団は今こそ歴史に名を残す
 べきである。指揮官は兵士と共に死ぬべきである。大英帝国の名誉が危険にさらされているのだ。
 我が国と我が民族の名誉がこの一戦にかかっているのだ」

■シンガポール市内はひどいものになった。働く者は居なくなり水道は今にも止まりそうで、
 倉庫が敵の手に落ちたので、食料と弾薬が無くなった。現地からの報告は:
 「市は完全に包囲されています。住民は100万人おり水道は破壊され24時間は持ちません。
 死者は市街に満ちこれを埋めることはできません」。2月25日降伏した。日本軍の要求は
 無条件降伏だった。これを受け入れ午後8時半戦闘行為は終了した。

■ジャワも3月8日降伏した。数千名の英軍蘭軍兵士がいた。ビルマ方面も日本軍の猛攻が続く。
 現地将軍から首相へ「長く持たせることは不可能です。日本軍におびえているし、
 支那軍は我が戦闘力を疑って尻込みしています」。3月8日に首都ラングーンが陥落。

■我が軍連戦連敗で印度では不穏な空気となった。ボーズ率いる一団は日本軍の勝利を希望していた。
 ガンジー派は中立政策をとった。

■ガタルカナル戦は激闘が続き日本軍は撤退した。米側は空母2巡洋艦7駆逐艦14が撃沈、
 日本側は空母1戦艦2巡洋艦4駆逐艦11隻。苦しい戦いを制して、以降日本軍は敗勢に向かった。