亡命を視野に入れていたダライ・ラマ14世は16歳、法王を取り囲む僧たちの17条協定についての意見は分かれた。身ひとつで亡命する、過酷な運命の予兆におびえる者もいた。そして彼らは若き14世に説いた。
「われわれが中共を刺激さえしなければ、仏教が弾圧されることはない」と。
 51年9月、法王が開いた議会では、結局、毛沢東のチベット支配は象徴的支配にとどまり、僧院も仏教も、ダライ・ラマの神聖さも侵されはしないという希望的観測を結論とした。結果として、
法王は「チベット地方政府」の名において、毛沢東に17条協定承認の手紙を送ったのだ。
 この半世紀余の歴史を振りかえれば、チベットと台湾に対する中国人支配の構図が似通っているのに気づかされる。共産党か国民党か、イデオロギーは異なっても、彼らは異民族支配の第一に中国人への同化政策を置く。
 チベットで、中共軍は17条協定をすぐに反故(ほご)にして、寺院の9割以上を破壊し、財宝を奪い、仏教を否定し毛沢東主義、共産主義の学習を強要した。今回の、3月10日以来のチベット人の抵抗に直面して、
中国政府は僧侶らに対する共産党大会の文献学習や愛国主義教育を強化したが、同種の政策はすでに60年近くも続いてきたのだ。
 さらに、チベット人からチベット語を奪い、中国語を習わせた。子供へのチベット語の命名を禁じた。
人民解放軍の兵士をはじめ、多くの中国人をチベットに送り込んだ。中国人男性とチベット人女性の結婚は許すが、その反対は許さないのだ。こうしてチベット人は宗教と言語と民族の血を奪われつつある。
 中国は、チベットは中国領で、当然だと主張する。