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https://ja.wikipedia.org/wiki/三笠宮崇仁親王
1950年代後半から『紀元節』(神武天皇即位紀元に基づき、初代・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とする)の
復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者・歴史学者としての立場から『神武天皇の即位は神話であり史実ではない』として、「神話」と
「史実」は切り離して研究されるべきと強く批判し、積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。

一方で、復活を推進する人々は三笠宮を激しく非難し、なかでも里見岸雄や野依秀市は、三笠宮を「無責任」「非常識」「左翼」と批判し、皇族の身分を
離れることを要求する著作を公表している。右翼団体の構成員が宮邸に押しかけて、面会を強要した事件も起きている[6]。結果的には、『紀元節』という
元来の呼称は使用されなくなったものの、国民の祝日の一つとして、「2月11日を建国記念の日とする」ということが制定された。

逸話
日中戦争当時、進駐先で、事態が未だに解決しない理由について全員(およそ200人)に自由記述で答案を書かせた後、“日本人が真の日本人たり得ていないから”と答えた一人のみを及第判定。
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」と自らが生きた時代を振り返っている[29]。