【紀元節】「建国記念の日」は、なぜ「建国記念日」ではないのか...『日本書紀』に基づく神武天皇の即位日がそもそもの由来
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いまは「建国記念の日」である2月11日は戦前、「紀元節」と呼ばれていた。
由来は『日本書紀』に基づく初代天皇・神武天皇の即位日だ。これを太陽暦に換算すると、紀元前660年2月11日にあたる。明治政府はこの日を「紀元」(建国の日)として、祝日にすると定めた。
戦後、紀元節は姿を消す。天皇の神格化に関係する祝日としてGHQ(連合国軍総司令部)の意向で廃止された。
1950年代に入ると紀元節を「建国記念日」として復活を目指す動きが高まった。
だが、紀元節の根拠となった『日本書紀』の内容が、史実であるという確証はない。
神武天皇が即位したとされる時代、日本は縄文時代の末期?弥生時代の初期にあたる。即位日を裏付ける史料はない。なお同書では、神武天皇は127歳まで生存したことになっている。
■三笠宮さま「紀元節」復活に反対
皇族(昭和天皇の弟)で歴史学者でもあった三笠宮さまは、「紀元節」に反対の論陣を張った。
1957年11月13日付の毎日新聞は、三笠宮さまが「この問題は純粋科学に属することであり、右翼、左翼のイデオロギーとは別である」と発言したことを報じた。
また、デイリー新潮によると、三笠宮さまは「紀元節についての私の信念(「文藝春秋」59年1月号)」の中で、以下のように記している。
「日本人である限り、正しい日本の歴史を知ることを喜ばない人はないであろう。紀元節の問題は、すなわち日本の古代史の問題である」
「昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、架空な歴史――それは華やかではあるが――を信じた人たちは、また勝算なき戦争――大義名分はりっぱであったが――を始めた人たちでもあったのである」
「もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人としてこれらのことには大いに責任がある。だからこそ、再び国民をあのような一大惨禍に陥れないように努めることこそ、生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての責務だと考えている」
■「2月11日」以外にも候補があった?
「建国記念日」を定める法案は、1957年から何度も提案され、激しい論争となった。
当時の自民党が提案した2月11日以外にも、4月28日(サンフランシスコ講和条約発効日)や5月3日(憲法記念日)、4月3日(「十七条憲法」制定日とされる日)なども候補にあがった。
■「建国記念日」ではなく「建国記念の日」
最終的には1966年、佐藤栄作内閣が2月11日を「建国記念の日」と制定した。「建国記念日」ではなく「建国記念の日」だ。
2月11日を「建国記念の日」とするにあたって、当時の総理府総務長官・安井謙氏は国会で以下のように答弁している。
「建国をしのび、国を愛し、国の発展を期するという、国民がひとしく抱いておる感情を尊重して、国民の祝日にすることといたした」
「明治初年以来七十有余年にわたり祝日として国民に親しまれてきた伝統を尊重した」
(1966年4月15日・衆院本会議)安井氏は続く答弁で「日本書紀の史実についてこれは正しくないのだ、事実に間違っておるのだという学説は多々ございます」とした上で、神武天皇の即位日を「民族の伝承」とした。
安井氏は続く答弁で「日本書紀の史実についてこれは正しくないのだ、事実に間違っておるのだという学説は多々ございます」とした上で、神武天皇の即位日を「民族の伝承」とした。
その上で「これを象徴的に建国をしのぶ日とすることは、すなおな国民感情に一番これは触れてくる問題であろうという確信を持っておる次第でございます」と述べた。
佐藤首相も「建国をしのび、国を愛し、国の発展を期するという、国民ひとしく抱いているその感情を率直に認めて、そしてこの日を定めようとするものであります」と、「愛国心の涵養」に資するという姿勢から答弁した。
保守派から紀元節の復活を求める声が出る中、当時の政府は2月11日を歴史的事実として「建国の日」と位置づけることは避けた。あくまで「建国というできごと」そのものを象徴し、祝う日とするという姿勢を取った。
以下ソース先で
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190211-00010003-bfj-001-view.jpg
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190211-00010003-bfj-002-view.jpg
2019/02/11 17:12
https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/kenkoku-kinen-no-hi >Y染色体が同じなら良いなら、他人の空似でもよい
これ言ってるやつ、本気でバカだな
中学生向きに解説しても理解できないなコイツ 建国記念日なんか無い方が良い、今はそれがクールだ。 >>566
「Y染色体ハプログループ」って自然人類学で必須のタームだが理解出来るか?
疑似科学ではない いずれにしろ男系男子ではY染色体が受け継がれるという当然の科学的な話をしているだけで、皇統にあるY染色体がありさえすれば良いという話をしているのではない
それは阿呆、もしくは女系容認革命支持者の話のすり替え そりゃおま建国から長くて三百年そこそこの西欧とか
暇あれば国家転覆と簒奪で分解してた中華とか
余裕の書物で1300年越えてる日本だと伝説とか伝承に頼るしかねえんだよ
さすがにホツマ文字とか漢字伝来以前の石碑文字も
九州が火山に沈んだときに一緒に消えたのか?って勢いだし
あそこら辺の間違い無く漢字伝来以前の石碑神代文字を研究しないものなのか >>569
あまり下品なことは言いたくないが、2600年の皇国の歴史で、たったの一人の皇后が浮気しただけで崩壊するからなぁ
その程度の問題だよ、y遺伝子論なんて >>558
お前は西洋的革命を誤解してるw
>>560
横だが
その前の「ひいき目に見ても」が見えないのか文盲
>>562
お前がY染色体論の孕む問題点を全く理解できてないだけ
そしてなおかつY染色体論に従うような
「とにかく一致すると見なして良い何者かを天皇にすえても良い」
なんて話は記紀に記されていない
あくまで系図としてそれに従うというだけ
ホントにバカだな
>>564
そうやってかじった知識を振り回すからバカなんだよ
古代にY染色体云々なんて判る訳が無く
遺伝という経験則しかないので似てりゃ何でも良いんだよw
コレがY染色体論のエセ科学としての過ちだ 現代は人造国家ばかりだ、建国記念日なんてあると「どこから独立したんだ?」って聞かれるぞ。 >>573
別にそこが大事なわけでもないしな
国体を維持してきた国としての存在が大事なわけで 面倒くせぇ国家のブランドを押し付ける対象がいるんだから大事にされてるってのが実際。
バカにしてるわけじゃあない。だから畏怖されてる。 >>564
「以外」がダブった
訂正
Y染色体というのは性分化以外の遺伝情報はほとんど失われているから
他人の空似というのは単にたまたま似ているだけか、Y染色体以外の遺伝情報が伝えられているかのどちらかである。 >>571
ならばなおさら
歴代の男性天皇は必ずしもY染色体を引き継いでいる訳ではない
という科学的な話になるだけ >>575
それは大丈夫
世界中が日本だけは別格と認めてるから
中華と朝鮮以外は j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop j-pop
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Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 127歳とか見ると、本当と仮定すれば
昔は半年で1歳、四半期で1歳と数えたのではという話もあるね >>567
お前は自然人類学をかじって知ったかしてる
エセ科学の塊w そもそも建国記念なんて要らん。日本のように古代から一貫して国家を維持してきた国で、
「建国」なんて概念は不要だ。 >>569
干支一周の60年加算されてると考えた方が自然なんだよ >>574
>>571
まあ、共産主義から正常に戻った20世紀末の東欧革命も革命だが
「文脈的」に王政廃止がここでいう西洋的革命だ
一般にもそういう「革命」の言及の仕方はあるだろうに 間違えた
>>582
干支一周の60年加算されてると考えた方が自然なんだよ >>586
> 「文脈的」に王政廃止がここでいう西洋的革命だ
そりゃおまえさんの勝手な妄想 もしも社会主義政権とかできたら皇族・旧皇族と公家とか自称してる人間たちを
科学的社会主義に基づいてDNA鑑定して社会主義政権の正統性の根拠に使うんだろうな
ガチで血統がつながっていたら血統による統治の非科学性ゆえに王朝は倒れ社会主義は勝利したとか
血統がつながっていなかったら虚構による統治の非科学性ゆえに社会主義は勝利したとか
いくらでもネタになるよな
古墳を発掘したら楔形文字の石版が出てきたとか黒海沿岸で見つかった銅剣に似たものが出土したとかありそうwww >>584
いや別に建国の概念があっても問題無いんだが >>583
知らなかったのか
Y染色体ハプログループって分かるか?
勉強になってよかったな
理解出来てないなら再度説明してあげるが >>588
もはやただのいちゃもんだな
まあそういう意味で言ったという事だ
しかし女系容認は明確に革命支持だよな >>582
今が皇紀で2679年らしいが
水田稲作伝来が3000年以上前確定してる現状だと
神事として水田稲作やってるところから鑑みるに
実際の天皇の起源はどこからなんだろなってのは少し真面目に研究して欲しいんだがな
宮内庁管轄地をちっとは研究用に解放できないもんか 日本の農地の歴史について気になっていろいろ調べてみた〜(・3・) >>591
あのねえY染色体ハプログループはここでは不適切なんだよw
それ解らないからかじっただけの知ったかと判明してんの >>592
お前の言質に則ったら女系容認になるってだけの話だが?
お前こそが女系で断絶させるお前のいう西洋的革命を目指す不届き者だ
という結論に至る
俺は女系容認など一切していない
お前の脳みそが腐ってるだけ >>595
他人の空似とか意味不明な事を言っていたのはお前だよ
再度説明しておく
Y染色体には「他人の空似」に関わるような遺伝情報はほとんど無い
ほとんど性分化に関わる遺伝情報のみ
だからハプログループについても理解出来てないだろうとの老婆心だよ
勉強しとけ >>598
だから古代人がY染色体なんてものを認識してる訳無いだろと言うてるのだ
そしてハプログループてのは平たく言えば人種を追いかけてく代物なので
系図の正当性を求めるものではない 三輪山に天の鳥船が不時着して、俺の先祖の天孫が降臨した日だろ? >>600
ちゃうよ
日向国からやってきて大和国の橿原に居着いて即位した日 神功皇后の息子の代で皇統が途切れたという人に言いたいんだが、
日本書紀や古事記をしっかり読めば、途切れていないとはっきりわかる。
応神天皇の誕生が父(仲哀天皇)から15か月後って部分にこだわるからいけない。
仲哀天皇の死の現場にも、応神天皇の誕生にも、応神天皇の大和入りにも、
武内宿祢が神功皇后に付き添ったとちゃんと書いてあるだろう。
その通り、応神天皇の父は武内宿祢なのだよ。
そして記紀に書いてある通り、武内宿祢は孝元天皇のひ孫だ。
ちゃんと男系でつながっていたのだよ。 >>67
たかが冥王星くらいで嬉しそうだね
全宇宙から見ればゴミ >>602
>応神天皇の誕生が父(仲哀天皇)から15か月後って部分にこだわるからいけない。
訂正
誕生が父(仲哀天皇)の死から15か月後 >>602
> その通り、応神天皇の父は武内宿祢なのだよ。
ここに至るところが飛躍であり血脈があるという根拠にはならない理由
別にそれが事実でも構わんのだが「絶対とは言い切れない」のが記紀 >>599
だから古代人は「他人の空似」で良いとはならなかったね
当たり前の話
他人の空似でも良いと言い出したのはお前 >>607
はい即ちY染色体論なんてのはエセ科学だということが立証されましたw
そんなもんに拘泥したら「他人の空似」でも良くなるというのが荒唐無稽なY染色体論 >>597
>お前の言質に則ったら女系容認になるってだけの話だが?
>お前こそが女系で断絶させるお前のいう西洋的革命を目指す不届き者だ
一体どこを読んだらそうなるんだ?
引用して示してくれないか? >>608
まだ理解してないのか
Y染色体はほとんど性分化に関わるのみ ざっと調べてみると
水田稲作が始まった時代
長江〜上海あたりで7000年前の水田の遺跡とかあるそう
※長江が水田稲作の起源ではないかと考えられているらしい
日本に水田稲作が伝わったのは
九州地方に3000年前くらいらしい(縄文時代の後期)
引き続き 歴史を調べまっす(・3・) >>609
Y染色体ハプログループ持ち出したからだよw
どこの馬の骨か解らん奴でも日本人男性ならOKになるからだよwwww
>>610
性分化に関わるだけなのは百も承知
なのでY染色体を辿るのは無意味
だから系図としてY染色体論を持ち出すのはエセ科学 >>611
日本の水田も面白いが
養蚕と麻布と陸稲の歴史を調べるとわけわからなくなるくらいに面白いぞ >>613
いや〜歴史は面白い
邪馬台国 論争で目覚めたw >>612
>Y染色体ハプログループ持ち出したからだよw
>どこの馬の骨か解らん奴でも日本人男性ならOKになるからだよwwww
ならないけど
バカですか? >>613-614
その辺面白いんだよなあ
ただ魏志倭人伝の記述内容が
結構そのままの当時の日本列島(九州〜畿内辺りまで)の状態を記してる気もする
もっとも陳寿の脚色が入ってるだろうけどね そして、九州福岡しゅうへんの発展の歴史は
邪馬台国 卑弥呼
伊都国 神武天皇の時代が西暦238年ごろ
大陸では三国志の時代やな(・3・)
この頃は九州全盛時代やな >>612
>性分化に関わるだけなのは百も承知
>なのでY染色体を辿るのは無意味
>だから系図としてY染色体論を持ち出すのはエセ科学
なので?
だから?
系図としてY染色体論?
全く論理が繋がらない
破れかぶれの日本語書いてて平気? いずれにしろ男系男子ではY染色体が受け継がれるという当然の科学的な話をしているだけで、皇統にあるY染色体がありさえすれば良いという話をしているのではない
それは阿呆、もしくは女系容認革命支持者の話のすり替えである >>611
アマテラスらがいた高天原は長江中流域だな。
環濠集落も銅鐸も出ているから、もう確定でいい。
そこからさかのぼると、皇紀はいま7000年くらいになろうか。 >>619
記紀を読んでみ?
記紀編纂時(6・7世紀)には、男系の万世一系などどうでもよかったことがわかるから。 >>619
> 皇統にあるY染色体がありさえすれば良いという話をしているのではない
なあ ID:lc0xHMyC0 お前だろ?>>449は一体何なんだ? >>619
ついで
男系男子だからと言って必ずしもY染色体が受け継がれているというのは
「必ずしも言えない」というのが科学的見識
絶対視するお前のはエセ科学
あと西洋的革命の原語をよく見てその言葉の意味確認しろ
断絶などの意味は一切ない 水田稲作
7000年前 長江〜上海
↓(伝来に4000年)
3000年前 九州
↓(伝来に300年)
2700年前 畿内
↓(伝来に500年)
2200年前 関東
関東、ド田舎w(・3・) さらに
>>619
>>453もお前だろ?無駄な改行入れるのがお前の特徴だし
> ご落胤なんて日本全国にたくさんいるだろ
これこそがハプログループな?w
> ただ男系という事が系図で繋がってるのが分かるのは旧皇族を含む皇族だけ
結局系図に頼るのでY染色体関係無いww >>620
呉の遺族が日本に来たという伝説はそれなりに信憑性があるな
米作も南方由来だし、日向に天孫降臨したというのも南方由来だと考えられる
畿内の古墳と呼応している西都原古墳群があるのも東征伝説で説明が付く
半島経由だと説明がつきにくい >>621
どこを読んだらそうなるのかね
引用して示してくれるか
(やってくれないよね、さっきも要請したのだが、出来ないから無視)
むしろ女系で王朝が途切れていても、王権の権威づけのために男系男子の継承で糊塗したという説の方が優勢だが 弥生時代に九州で稲作全盛になって・・・
238年ごろ 九州 邪馬台国
次の農地革命は
646年 36代孝徳天皇 大化の改新ごろからだの(・3・) 直系の男系男子以外は断絶としたのは、明治以降の見解だな。
この見解を当てはめると、応神も継体も断絶してしまったことになる。
が、記紀によるとちっとも断絶していない。
先祖(父系が天孫、母系が国つ神)を共有するグループ内でオオキミと巫女(または皇后)が引き継がれてきた、
これからもそうだ、というのが記紀の世界観。
皇統を断絶に追い込んでいるのは、男系万世一系主義者。 >>623
男系男子ならY染色体は受け継がれていますけど?
どういう「他の場合」があるんだ?
説明してくれ
・X染色体との乗り換えはほとんどない
・塩基の置き換えが起こりうる
これは当然の前提な >>628
さっきもって、俺はここにきたのが1時間前くらいよ。
男系万世一系がどうでもよかった引用ね。
いちばんわかりやすいのが神功皇后の条
男系万世一系を気にしていたらぜったい書き残したくない記述だ。 >>624
そこら返は実は環境というか寒冷問題もある
つまり雪が降るかどうか
そこからどんどこと東北を米で埋めていくんだけどな >>630
>直系の男系男子以外は断絶としたのは、明治以降の見解だな。
>この見解を当てはめると、応神も継体も断絶してしまったことになる。
お前はめちゃくちゃだな
傍系でも男系男子なら受け継がれるという伝統を受け継いだのが明治以降の見解だ
応神と継体は傍系だが男系男子
もういい加減にしてくれよ
バカの相手をいつまでもしたくないんだけど >>631
男系男子というのはあくまでも系図を指す
(Y染色体を受け継いでる前提は循環論法)
従って系図の中に他のY染色体が紛れ込む可能性は否定できない
以上 >>629
古墳時代〜飛鳥時代になって
この頃から農地は・・・口分田(くぶんでん)
6歳になると男子720坪、女子480坪の農地が与えられた
死んだら国に返却(1代限り農地)
ふむふむ
ちなみに、300坪=1反=1石 です
加賀100万石と言ったら=3億0000万坪ってことやな(・3・) >>636
1反は必ずしも300坪とは言えず1石の米が獲れる面積でもある
ので3億3000万坪かどうかはわからん >>633
(・_・D フムフム
雪が凄い東北地方は江戸時代まで大飢饉とかで苦しんだ歴史のようだの〜(´・ω・`) 明治政府の見解は直系優先だが、直系が途切れた場合は傍系
旧皇族が居たことも知らないバカかよ
議論にならない
これがGHQ洗脳の結果だ >>638
戦前もそだよ
2.26の要因の一つでもあるから >>637
いや〜本当に面白い
メートル法の今の時代でも農地は1反単位だからな
歴史やな〜 >>627
そこらへんは本当に面白い。
呉はもともと造船が盛んであるから、滅亡期に大船団を組んで日本列島にやってきてもおかしくはない。
また、呉は山東半島に港をもっていたというんだな。
そこから朝鮮半島経由で移民を送り出したとしてもおかしくはない。
信憑性はアレだが『山海経』や『論衡』の倭人とは、長江下流域の人々、朝鮮半島南部の人々、朝鮮半島より南にあるという島の人々なので、
中原(黄河中流域)の人々から見て、長江下流、朝鮮南部、日本列島西あたりの人々が同種に分類されていたという事実はけっこう重要だと思う。 >>634
いやいや、神功皇后の条を読めって。
傍系ですらないんだよ。
父たる仲哀天皇の死後15か月後に誕生した神の子だ、と書いてあるわけで。
この他にも父親がいまひとつ不明だが、いいんじゃないかな、ってエピソードがいくつか書いてある。
傍系ですらないエピソードが。
しかし、記紀の構造上、土蜘蛛以外の登場人物はみな天孫なので、誰が父親かはさほど問題にしなくてよいという世界観だね。 >>642
ALDHタイプの下戸分布も長江中流域と結構似てるんだよな >>636 口分田(くぶんでん) の次の時代の話は〜
水田稲作が栄えると人口が増えて
国・・・この頃の国と言うと天皇ってことでいいのかな?(・3・)
国は農民に支給する農地が足りなくなった・・・
そこで〜
自分で荒れ地を開発した農民は
1代で返却しないで良いよ
子供、孫まで3代に渡って農地権をあげよう〜とした
723年 三世一身法
44代元正天皇の時代やな 今の政治とか右左とか関係なく純粋に日本ってすごいよな
神話の国みたいなもんだろ >>642
呉の孫堅だか、孫策だか、孫権だかは〜
日本と台湾に大団船を送ったらしいで
台湾には到達できたけど
日本までは到達できなかったとか
魏の方が九州に近いから
やっぱ〜魏と邪馬台国の 親魏倭王印だよね(・3・) >>645
農地が足りないというか返さなきゃならんのでそれが近づくと荒れ地になっちまうことと
新たに開墾するには富裕層でないと無理だったから
ので頑張って3代で開墾しきればあげちゃうよって奴ね >>641
それよく海外の人が勘違いする
加賀百万石とはきっと大帝国だったのだろうとか
百万石に匹敵するほどそれだけ食料が豊富だっただけなんだけど
あっちは面積でしか基本考えないから
日本みたいに食料の取れ高で土地の価値基準計算しないから >>645
だが、しか〜し
人口は更に増えて
まだまだ農地が足りないーー
国家の危機や
どうすんだーー
そうだッ こーなりゃー もう
自分で農地を開発した農民には
永代使用権を認めよう〜〜
農地の私有地化に踏み切った
これも日本の農地の歴史の大事件やな(・3・)
743年 墾田永年私財法(こんでん えいねん しざいのほう)
奈良時代 45代聖武天皇の時代やな >>648
まさに農地の改革が
日本の発展の歴史だの >>649
加賀の方は農地効率どうなんだろね
雪が多くて大変なイメージだけど
やっぱ九州が一番有利な気がする〜
明治維新を起こした薩摩(九州)、長州(山口県)も南側の富豪だしの〜 神話的に記念日なわけで象徴的なものだから
歴史的事実云々で突っ込むような話じゃない。
それ言うならクリスマス祝う国全てに言えって事になる >>644
下戸遺伝子を考えると、人の移動は確定的なんだよな。
あとは、文化的移動(稲作技術、青銅鋳造技術、言語など)をどう説明づけるかだね。
>>647
呉には大船団を送った記録があり、日本列島には大陸から来た伝説があり。
おもしろいよね。
卑弥呼は、どうかな〜、いまのところ誰にでも当てはまってしまうからなあ。 >>653
てゆか日本は古代国家がそのまま続いてる特徴があるんで
神話的要素で様々な決めごとがあっても別におかしくはない
古代国家なんてのは神話があって神々の子孫が王族である
というパターンが標準的
古代マケドニアも王族はヘラクレスの子孫だしね >>650
だが、この農地大改革が天皇集権時代の終わり
武家集権へのキッカケとなったようだの〜
中央集権を維持するためには国家が農地を開発して、国家が貸し出さないとね
農地開発を民間に委託したことが
豪族の繁栄をもたらし
武家、幕府時代へと移行したの(・3・)
さ〜まだまだ歴史はつづく >>653
そうだね。神話なのだから突っ込むのは野暮というものだ。
初代天皇の母と祖母がフカ(サメかなあ)の化身だったとか、現代ではありえない長命が続いたとか、
いいじゃんね、おもしろいんだから。
神話の世界観にY遺伝子とか直系傍系とか言い出すのも野暮というものだ。 おれは今でも、けんこくきねんびと言っているけどなw
の なんていれんわw >>654
まあ長江下って暖流に乗っちまえばどんぶらこw
様々な技術が持ち込まれていって
あとは縄文人との緩やかな融合が成されていったという感じで
言語だけは受け入れる側のものを引き継いでいった感じかね? >>593
水田跡と確定してるのは2600年前の遺跡までだな >>660
だねえ。大陸の東端に位置する島に、氷河期で陸続きになったときに移動してきた人々がいて、
大陸から切り離された以降は、西で何かあると移民がやってきて、混じる。
その繰り返しなのだろうね。
俺が一番知りたいのは言語なんだけども。
文法構造は朝鮮や満州と近く、単語はそうでもないというあたりがな〜。
呉の当時の言語ってどうだったかがカギだろうけど、誰もわからんようだね。 >>657
ちなみに、この墾田永年私財法から
荘園と言われる大農家、大地主が生まれて来たのじゃな
天皇家、伊勢神宮とかの直属の荘園を 御厨 と言ったのじゃな
我が地元地域は
船橋夏見御厨と言って平安〜鎌倉〜室町時代と天皇家や、伊勢神宮の神領だったんやな(`・∀・´) >>627
水田耕作が南方由来だなんていってる考古学者、歴史学者、植物学者はいないよ
いるなら名前を挙げてね、一人でいいから >>652
ぶっちゃけ
加賀の百姓めちゃくちゃがんばった
それしか言葉が出ないくらいがんばった
ほんとそれだけ
むしろ水田で安定して米が作れるとなって
超必死で米ばっかり作ってた
寒くて他にもまともじゃないから雪解けから雪が降る前に出来る米が神様状態
結果が加賀百万石 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています