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>『週刊文春』2005年8月11/18日夏の特大号 “実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”
>帰化時の官報には1949年(昭和24年)生まれとなっている

2005年に週刊文春で韓国人だったことを語っていたようだ
いつ帰化したかは知らない


和田 アキ子(わだ アキこ、1950年4月10日 - )は、日本の歌手、タレント、司会者、ラジオパーソナリティである。

在日韓国人として出生し、その後日本へ帰化

本名、飯塚 現子(いいづか あきこ)。旧姓、和田。帰化前の通名は、金海 福子。


大阪府大阪市天王寺区舟橋町[8]。朝鮮系日本人であり、帰化時の官報には1949年(昭和24年)生まれとなっている。

済州島出身者の父と、朝鮮半島出身者の母を持つ在日韓国人2世で、かつての本名は金福子、通名は金海福子であった。
4人兄弟の長女で、下に3人の弟がいる。父は柔道の師範で大阪環状線鶴橋駅の近所にある自宅で柔道場を開き、母は乾物屋を営んでいた[9]。
芸能界デビュー時に、在日韓国人だとわかる名前をまずいと思った父親が、
和田アキ子の叔父(叔父は当時すでに帰化して「和田」姓だった)の養子にしてもらい、
同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となった[10]。
彼女本人が日本に帰化している。

『週刊文春』のインタビューで、「『自分は日本人ではない』と知ったのは中学生の頃。区役所に行って分かった」と語っている[10]。


中村竜太郎、『週刊文春』2005年8月11/18日夏の特大号 “実録 和田アキ子「血と骨」のブルース”