【社会】特攻隊員たちが恋人らに宛てた最後の手紙、大阪で初晒し 会社員の女性「胸が痛んだ」
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太平洋戦争末期に特攻隊員が記した手紙や遺書、写真などを公開する企画展「恋人への最後の手紙」が、大阪市北区のギャラリーよみうりで開かれている。
主催する知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)は「隊員一人一人に、かけがえのない人生があったことを知ってほしい」と呼びかけている。
九州最南端の陸軍特攻基地跡に立つ会館では、沖縄戦で戦死した陸軍特攻隊員1036人の遺書などを保管。戦後70年あまりが経過し、戦争を知る世代が少なくなっていることから、積極的に県外での展示を実施している。府内では今回、初めて実現した。
会場では、23歳で戦死した福島県出身の穴澤利夫大尉と、府出身の特攻隊員6人が恋人や家族に宛てた手紙の複製を展示。最愛の人に向けた言葉の数々からは、自分の死後も相手の幸せを願う純粋で、強い思いが伝わってくる。
穴澤大尉の展示では、婚約者への聞き取りや手紙を基に、2人の出会いから戦死までを説明。特攻隊入隊前に愛を打ち明けられた婚約者が恋文を読んだ後、「眺めた空が殊に美しく思われた」とつづったメモや、穴澤大尉が「あなたの幸せを希(ねが)ふ以外に何物もない」と記した最後の手紙などを紹介している。
大阪市阿倍野区の会社員の女性(30)は「激動の時代を生きた若い恋人たちの言葉に触れ、どんな思いで過ごしていたのかと胸が痛んだ」と振り返り、堺市中区の会社員の男性(63)は「県外展示は、すばらしい試み」と話した。入場無料で20日まで。問い合わせは知覧特攻平和会館へ
2019年2月17日 11時52分
読売新聞オンライン
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/16033606/
http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/5/4/54879_1231_8f40bb373a69a73f69e705ad1dc158b7.jpg >>84
まあ今上がちゃんと戦地回って慰霊して回ってくださってるから 片足を失って田舎に帰って来た旦那がたもいたしな戦争は
そのかわり戦争を体験した旦那がたの奥さまには年に数度の恩給が婆ちゃんたち死ぬまで振り込まれてたな ヤマトの士官室を一室独占し 中から鍵を掛けて誰にも入室させなかった
酒瓶を運んだ士官が 全裸で踊っていた との証言がある 富永恭二:航空部隊の指揮官として息子を特攻死させたが本人は最前線のフィリピンから台湾に逃亡、シベリアに抑留されるが天寿を全うする。
菅原道大:後で自分も行くからとか言って特攻隊を送り出し、終戦時に部下から行きましょうって言われたら「特攻隊の慰霊するからやっぱ行かない」と却下、養鶏やりながら天寿を全う
倉澤清忠:菅原の部下として特攻隊を送り出す。飛行機のトラブルなどで帰ってきたパイロットを監禁するスパルタ施設を運営。
戦後は印刷会社経営、特攻隊の生き残りからの報復を恐れ常に拳銃を携帯。勿論天寿を全ry
黒島亀人:「変人参謀」と言われ数々のキチガイ作戦とキチガイ特攻兵器を立案。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。なお、宇垣纒の手記(後に「戦藻録」として出版)を遺族から借り出し、自分に都合の悪い部分を破棄、「電車に置き忘れた」などと言い逃れる。当然天寿をまry
源田実:自分の指揮する部隊でも特攻やりたいからよろしくと部下に命じたところ、部下から「私が操縦するから貴方は後席に乗ってください」と言われソッコーで沙汰止みに。
戦後は航空自衛隊に入り航空幕僚長、自民党から参議院議員に。議員時代、日本全土を無差別爆撃したカーチス・ルメイに勲一等を授与する工作する。
言うまでもなく天寿をry
太田正一:米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。自分が乗るから開発させてくれと上層部に頼み込んだ癖に「適性なし(笑)」とやらで出撃せず。終戦直後逃亡、名前と戸籍を変えて暮らす。至極当然に天寿ry >>73
そうだな。
丁度ゴーンが日産のCOOに就任した年に起こった「栃木リンチ殺人事件」も、
ゴーンに不祥事が見えないよう、無かったことにするよう、
日産栃木工場と栃木県警が共謀して隠匿したために、事件解決が遅れ、被害者を救出することができなかった。
ゴーンは日本人の愚かしさ・無責任さを最初から肌で感じていたのだろうね。 どこの国にも負けない戦争をするために軍備増強しなければならない タイチョーらは敵前逃亡の卑怯者
倉澤清忠陸軍少佐:
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊の組織運営を担当。戻ってきた搭乗員を振武寮檻に隔離し毎日「「面汚しだ。国賊!」殴った。
余りの悔しさに自殺者も出した。自身もパイロットだが最後まで出撃しなかった。
戦後は元特攻隊員の復讐に恐れ、ピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。 >>8
女郎さんならいたんじゃね?
君を忘れないの映画にもそういうシーンはあったと思う 戦争から帰って来た旦那がたはその後何人も子供を作ったりの世帯もあったからな昭和20年代
その子供たちも70歳過ぎてたり70代に近い年齢になりましたな! >>104
うちのじいさん親代わりに育てた弟3人戦地で死んだけど国からはなにももらわなかったらしいぞ >>73
どう見ても欠点や突っ込みどころがある作戦でも
上官がどこかの馬鹿みたいに「これで行こうじゃありませんか!」って張り切っちゃうと
部下たちは左遷や僻地送りを恐れて「良いんじゃないです?かねぇ…www」と消極的な賛成に回って
あたかも「全会一致」みたいな空気で物事が進んでしまう
旧海軍関係者を集めて行われた海軍反省会では「やましい沈黙」と指摘されていた 大正一桁生まれの男でも病気など理由に戦争へ行かなくて済んだ男もいたらしいな
酒好き爺だった人はそのパターンだったと年寄りに聞いたことあるw >>110
小さい頃は日本にこんな愚かで恐ろしい時代があったとはと思ってたけど
大人になってブラック企業とかが問題になってるのを見て全く変わってなかったんだと感じたよ
復讐が無いところも含めて >>107
これも・・・
【特攻をやらせた人たち】
永仮良行:現地で特攻隊員を殴りながら「そんなに命が惜しいか!命のいらない搭乗員は内地にいくらでもいるんだ!」と言って特攻へ送り出す。天じry
中島正:現地で全軍特攻を唱え、目を合わせると特攻に行かされると噂される。私も後に続くと言って特攻を送り出したかと思えば、
私は内地に戻って君たちの活躍を後世に残すと言って内地に帰り、戦後は特攻を自分に都合がいい美談に変えた著書を発表。天寿を全うする。
真鍋正人:特攻隊員の前で「俺は成績が良かったから早く参謀になれる。だからここでは死,ねねえんだよなぁ」と言いながら特攻へ送り出していた。天寿を全うする。
永仮良行:現地で特攻隊員を殴りながら「そんなに命が惜しいか!命のいらない搭乗員は内地にいくらでもいるんだ!」と言って特攻へ送り出す。天寿を全うする。
坂井三郎:特攻隊員に対し「私も後に続く。遅いか早いか!ごちゃごちゃ言うな!」と言って特攻へ送り出す。
戦後は自分に都合がいい話を作り著作活動で有名に。ねずみ,講で荒稼ぎしたり原爆投下を賞賛したりと。天寿を全うする。 知覧で見た手紙はみな達筆だったなあ。ほとんど10代だったけど >>114
それは奥さまたちに対しての恩給制度とは違うだろうしなぁ
片足を失った人とも金額違うと婆ちゃんから聞いたかも うちの叔母は恩給で一度も働いた事なく
90歳ぐらいで亡くなったな >>84
陛下は参拝拒否でええ
英霊はあんなとこにおらんやろ
なんたら会議とか軍服コスプレオタクがおるだけどっしゃろ?
そんな連中や東條牟田口みたいな連中が巣食う場に英霊がいやはりますか
故郷の墓か千の風になってはりますやろ >>104
うちの婆さんは爺さん(徴兵組、陸軍に5年奉公。故人)の軍人恩給をまだ貰ってるわ
確か二ヶ月に一回15万くらい振り込まれてる >>110
21世紀まで存命だったらしいね
大往生 >>115
最近男は協調性高いみたいなニュースのスレ立っててさ
嘘だろ女のほうが協調性モンスターじゃなかったのかよ?ってレスがたくさんついてたんだけど
どうやら同調圧力に屈するのは協調性高いからこそらしいんだ
そう考えるとたしかに組織で生きる男の方が協調性高いのだろう
そして空気読まないってものすごく大事な能力なのかもしれない ネトウヨ特攻隊員が大阪で粗チン晒して女性の胸揉んだ >>8
金で解決してたのが慰安婦だろ。
その意味では、当時は高尚な職業だったのかも知れぬな。 >>118
坂井三郎って永遠の0にも出て来たよね?
宮部の言ってることは正しいとか >>101
いや、マジレスするがチョン半島大騒動の人民軍総突撃戦法に関しては
マッカーサーが前線できっちり指揮執れば割と対処可能だった
それをせずにキムチ臭いから東京から離れたくないよと、半島に半日以上は止まらず必ず日帰りし
ヤバくなったらソ連がやんわり、それやると俺が出ざる得なくなるから
毛沢東は嫌いだから通常兵器なら無視するんで核だけは止めようなって言ってくれてるのに
キムチの臭いが死ぬほど嫌だから核を落とすしかないって議会で言い続けて更迭された >>126
名前は忘れたが結論が出ないでウダウダやってる会議や
新しいことが想像できない会社に全くの素人を入れるとあっさり解決する場合があるという現象と言うか効果がある
空気を読まない=場の空気に飲み込まれないってことだから
そういう人間も必要なんだろうね 両方共アンフェタミン系の覚醒剤で
ドイツ商品名がペルベチン
日本商品名(日本軍通名)ヒロポン 知覧には一度行ったが
さすがに感動したな
涙はこらえたけど 知覧の疾風も然るべきところに渡して修復してもらえよ
飛燕は川崎が綺麗に修復したぞ >>14
天皇なんか「責任をとる!今日から…人間になる!!ドヤ!(実質、何も変わらない)」だもんなぁ(´・ω・`)
他国の人間に天皇は裁かせちゃいけないけど、日本国民としてケジメをとらせなきゃいけなかった。 >>131
いやいや、怒涛の突撃で砲撃や機関銃で防戦しても追いつかず、パニックになった
国連地上軍が総退却を泣きついて、それで空軍と空母航空隊がやみくもに
爆弾を落として、その総量が日本爆撃を優に上回って、そのために韓半島の
インフラが全滅したってさ。マッカーサーがいてもどうにもならなかったでしょ。 化学式製法が若干違うが効果のある部分は共通
連続投与(服用)しても30時間が限界。脳そのものが疲労するため。
そのためヒトラーはバルバロッサ作戦を電撃戦にした
ところが補給兵が間に合わず(派遣できず)肉体も脳も疲労困憊したのが
作戦の最大の失敗と言われている。実際負け始めたのは35時間後である。
なお錠剤の支給はほぼ全員 服用は自己判断だった。
神風は日本酒の一升瓶の中に予め混ぜられていた
出撃隊員はそのことは知っていたと思われる(=>誰も書いていないから) >>137
こんな事言うと発狂するバカが来るだろうけど
最低でも日本人のケジメとして退位くらいはしてもらうべきだったかもな 靖国の遊就館の、特攻隊コーナーで
同じく、最後の手紙コーナーがあって
読んでたら、泣けてきてさ
いいおっさんが恥ずかしいなって、周りみたら、みんな泣いてた 男女平等を唱えるフェミは、
これについてどう思ったんだろうね?
男女平等ならば、
特攻隊員が男性ばかりというのは、理に合わんよな。 もともと作りすぎたゼロ戦の 廃物利用だよ
当時の最新鋭機どころか空中戦や攻撃作戦には米機と性能差があったから。
だから「特別」攻撃隊なんだ。 >>130
源田は志賀少佐が存命中にNHKのインタビューに
参謀から特攻出せと言われて困ってると言われたので
私から行きます。士官は全員出しましょう。司令は最後に来て下さい
ただし条件があります。要請した参謀が後ろに乗ることですと言ったら
まったくだと答えて、その後特攻の要請はこなくなったと答えてる
坂井なんか士官どころか戦中は下士官だから、そもそも命令された事やる以外に権限がない
そいつは本当に嘘混ぜる嘘つきだよ >>147
遊就館だと花嫁人形もなかなか切ないものがあったわ 如何程の覚悟だったかと思うともう頭が下がる
世が世ならとたらればしても仕方ないが >>127 = >>138
↑
パンスト朝鮮顔のネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がものすごい勢いで暴れまくってるからな。
日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨( ネトエラ)の正体 ●●●
http://www.fuyuu.com/home35/uyokunosyoutai.html
. ネトウヨとかいうけどな右翼事務所に仕事柄何度か行ったことがあるんだが
ほぼすべての事務所に金親子の肖像画が飾ってあったぞ
つまりああいう気印機関ってのはマッチポンプのチョンって訳 オリンピックでも薬物使用の記録は抹消されメダルを剥奪されるように、麻薬を使用した人間の作った如何なるものも信用出来ない >>1
晒すなよ。最低だな。人生のなかで一番気持ちのこもった手紙だぞ。 >>154
基地内の慰安所や基地周辺の娼館ならともかく
地元の恋人に出撃前日に合うのは無理。
ソビエトと違って日本軍は特攻隊でも最低限の訓練はしてたから。 >>159
おっと米軍と独軍の悪口とSF条約否定はそこまでだ >>145
この日本人の範囲は時と場合によって変わるけど非常時にはとても狭くなり大衆は弾かれる
特攻隊員はこの日本人の範囲の中に入れてもらえてなかったわけだよ
偉い人は日本人だけど下々はそれを維持するための捨て石なのだ
最近では氷河期世代が日本人の枠から弾かれた
弾かれた本人は自分は日本人て思ってたからショックだろう
日本人扱いされてないことに気付いて無いのもいるか >>1
故人のハードディスクの中身を晒すようなことはするもんじゃないだろう 知覧見てきたがただただ気持ち悪かった
日本人のダメなところが凝縮されたような気持ち悪さ 源田にあったことがある。
その話は嘘だと思う
なんかせこい人だった。
源田の選挙応援してた人がしょぼいヨットハーバー経営してて源田に騙されて
破産、ハーバーが閉鎖になったので歌舞伎町奥の当時の源田のマンションに行った >>165
死んだ人には人権はない。
現在の犯罪報道だって加害者のプライバシーには配慮されるが、被害者のプライバシーを守る報道などない。 夫婦、家族はいいけど、ラブレターはダメだろ
こいつ死ね前に手紙寄越した重すぎるって晒した女もおかしい >>45
恋人いない→むなしい
恋人いる→つらい
かな
せっかく恋人いるなら子種残しときたいだろうけど
父親のいない子旦那のいない女が容易に生きていける時代ではないだろうし 部屋番号とか知らなかったけどマンションの表の道路に何人も立ってて
教えてくれた。
秘書みたいな背広着た人が出てきて ソファに座ってる源田に案内してくれた
なんか全然関係ない日本軍の話しされた。結局出資金分相当の現物弁済で中古のボートをくれた マッカーサー率いる米軍は捕虜をとらないで有名だった
敵は皆殺しだった両手を上げて投降しても撃たれた
そんな中突っ込んでくる特攻隊はただただ恐怖を相手に与えた
万歳特攻もそうだが死を超えた軍勢は理解の外だったからだ 晒さないほうが本人のためのこともある
おまえらのHDDのごとく >>178
お前の先祖は役に立たないから召集されなかったと思う >>167
志賀少佐は別の書籍なんかでも>>151の話してるぞ
そもそも制空権が全てつって343空に人材かき集めてるのに特攻なんか考える訳がない
菅野大尉が笠井さんの回顧録で源田をオヤジと慕ってたのも特攻反対だから
特攻推進の中島が343空に来た時に即追い払ってくれと菅野が進言したのを受け入れてるしな 三国人(失笑)は日本が勝っていたら当然戦勝国だったのか?(笑) >>9
大和の将校の手紙も泣けるよ
当時の20前後の若者が大人過ぎて驚く
未来の日本の為に散っていった英霊たちに合掌 実家の上を旋回できた人は幸せだったよね
10代で向かった子は切ないね >>36
そうそう特攻なんて現代の下級への搾取しわ寄せとなんら変わらない >>167
自決など当然せず逃げ回って
戦後も旧部下将兵による襲撃を予感し拳銃を携帯していた人は誰だったっけ?
いずれにせよ将官以上の責任ある立場で戦後まで逃げ回ったやつはクズ >>1
なお上層部を批判した遺書は
握りつぶされた模様 戦後は日本人の模範とすべき姿に奉られてしまってるだろ特攻兵たちは 不満があるなら特攻隊を見ろお前は甘えてるんだと、権力者が立場の弱い者や奴隷を屈服させるのに都合よくつかわれてしまっている >>137
天皇は靖国神社に参拝だけはして欲しい。 >>68
ちょくちょく見るコピペの一部だろうけど、航空特攻の発案者は大西瀧治郎中将ではない
大元の提案は侍従武官だった城英一郎大佐。戦前から航空特攻を提案し続けていた人物
むろん当初は賛同者などおらず、連合艦隊や軍令部に提案しては却下を繰り返してた
転機となったのはマリアナ沖海戦。通常攻撃では全く通用しないことが露呈してしまった
比島決戦の捷号作戦に空母千代田艦長として参加予定だった城大佐は
第341海軍航空隊司令の岡村基春大佐、第252海軍航空隊司令の舟木忠夫中佐を味方に付け
フィリピンの第1航空艦隊司令官大西中将の説得を試みたがこれも失敗した
ところが台湾沖航空戦で敗北の責任を取り、第26航空戦隊司令官の有馬正文少将が自ら陸攻を操縦し自爆攻撃を敢行
この有馬少将の自爆突入は大西中将に大きな衝撃を与え、航空特攻容認へ一気に傾くことになった
大西瀧治郎中将は終戦直後に自決
城英一郎大佐はエンガノ岬沖海戦で降伏を拒否、空母で巡洋艦と砲撃戦を演じ、撃沈され戦死
岡村基春大佐は1948年、第341海軍航空隊の練成基地だった千葉県館山で鉄道自殺
舟木忠夫中佐はフィリピンに残留し、地上戦を戦いクラーク飛行場で玉砕戦死
つまり初期の特攻の構想に関わった人物は全員が戦死か自決で責任を取ってる >死を超えた軍勢は理解の外
悪いがこれも戦記ものが作った嘘なんだ
電磁弾が開発支給開始されたのはヨークタウン直後で
この効果で心理的要因は相殺されたと書いてる
神風も極初期だけだろ 戦果があったのは >>188
特攻自体は局面によっては合理的で効率的な戦術だから
下級への搾取しわ寄せも場合によっては合理的だってことかな? >>186
軍上層部が保身に執心あるいはバカだっただけで
死んだ若者はそのバカに付き合っただけであって
日本のためになったわけではないだろう残念ながら >>151
そのコピペ野郎に源田のネタで同じことツッコんだら
「それはお前の解釈がどうたら」みたいな返しされて吹いたわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています