>>115
答え:

>他人にはマウント取りたがる
「マウント」=自分自身の経験・価値感に関して、相手に後出しで意見を言わせ、相手を優位に立たせること。
一見、卑屈な行為に聞こえるが、愛情深い親はこれに似た行為を、わざと子供に行わせている。
つまり、自分自身の過去現在の経験を子供に共有し、子供に「マウント」させると同時に、子供の考えの未熟さを諭すのである。
その過程を例えるなら、子供を親自身の心の中の「サンドボックス(砂場)」に招き入れ、子供に好き勝手に遊ばせることに等しい。
つまり「親の経験の共有過程」である。この過程を通じて、子供は親がどういう人間か、また人間がどのように感じ、考えるかを知る。

そのような親子のやり取りを経験しないまま、大人になればどうなるか?
誰にでも他人の心の中に入りたいという欲求がある。
だから幼少期に親の心に招いてもらえなかった人間は、他人の心に入り込もうとしマウントしたがるのである。
誰しも、無条件に受け入れてもらえる寛大さを期待するものなのである。

>承認欲求は肥大化
親からの経験共有過程は、更に、自分自身の問題や経験を他人と共有する方法を、親からコピーすることにつながるのである。
親の人間を知り、親に安心した子供はやがて、恥じらいながらも自分自身の心の中に親を招き入れる為に、親の言動を見よう見まねで真似するのである。
こうして自分の内面を他人と共有する術をコピーした人間は、自分のことを他人に伝える感覚が養われているため、承認欲求も満たされやすく肥大化することはないのである。

>社会に出て疎外感を感じる
「親からの経験共有過程」が欠落するとどうなるか?
・一番身近にいる人間を深く理解出来なかった
・さらには、一般的な大人の考え方や社会のしきたりに関する情報も、幼少期に得られなかった
・それだけでなく、自分の内面を他人と共有する意思疎通の方法も身についていない
つまり、分けのわからない、意思疎通も出来ないエイリアンの国に産み落とされることを意味するのである。
その様な状態こそ「疎外感」の正体であるが、それは人間の反応としては全く正常なものであろう。

>外国人と日本人のコミュニケーションの違い
よく外国人に「日本人が優柔不断で何を考えているか分からない」と不平を言われることがある。
それに引き換え外国人は、自分の問題や価値観の感情レベルでの共有を、何気なく自然とできることは、少し外国人と付き合ったことがある人なら分かるだろう。
このような差が生じるのは、幼少期における「保護者からの経験共有過程」の積み重ねに差があるからに他ならない。
つまり外国人に比べ、日本人は、幼少期における「保護者からの経験共有過程」が著しく浅く乏しいのである。
未熟な日本人の保護者は、子供に揚げ足を取られダブルスタンダードと非難されることを恐れるが余り、多くを語れないのかもしれない。