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>明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった

象徴制の「象徴」という用語は辞書的な定義とはかなりずれる
君主のsymbolとしての象徴化は19世紀の段階で議論されているわけで、海外からすると象徴も君主・元首のダウングレード版となる

実体として権力・権威を取り除かれた君主が象徴制君主であるため、象徴は「君主・元首」のダウングレード版と考えれば良い

識字率が低い19世紀イギリスにおける象徴の機能の骨子は、19世紀の文盲で教育がなく情報もない大衆が権利を行使しやすい直接民主制(国民投票による大統領選出等)の道理・正当性に対抗して
「間接民主主義で選ばれたエリートが国民を円滑に支配するための手段」となる
ウォルター・バジョット「イギリス憲政論」(19世紀イギリス)によると、最底辺や中間レベルの大衆はエリートに対して忠誠を示さないが、高貴な君主がいれば社会体制に対する支持を得やすく
有用な政治的ツールである。そして選挙によって選ばれた賢者たるエリートの代議士が効率的に支配するという考え方において、「象徴」はエリートの使いやすい道具と言える
19世紀イギリスの一般人は文盲でろくな教育も受けず貧しく愚かであり、威厳のある高貴な天上人である象徴があることで、(政治思想による)主義(-ism)から独立した国民の効率的な支配ができるという説に依る

これに対して日本ではエリートの質が著しく劣り(科挙や利権権力維持しか能がなく、一般人の方がよっぽどましなぐらい使命感・専門的知識・献身的資質が欠如)、
緊急事態や国が急激に衰退している状況でも日本に四季や国体があるから大丈夫程度で済ませてしまう愚物が大半のため、
これであれば直接天皇が責任を取る親政のほうがましという投げやりな圧力が底辺から湧いてきた。天皇親政運動の根本には、天皇が儒教君主の徳を体現しエリートの
悪政から解放してくれる救世主という意味合いが強く、エリートがどうしようもなく腐敗し堕落した国家における儒教原理主義の一形態と言える(市民革命ならぬ儒教革命・朱子学革命)

象徴はエリートの質が担保できた場合にのみうまく作用するが、日本人の精神的文化には一時的に良いものに飛びついても外部のものであれば悪いところばかり貶して良い面をポジティブ
に捉えず、内部のゴミのような欠陥品をあがめる素質があるため直接民主主義には向かず、大統領制よりはるかにマシな選択と考えることはできるため一定の合理性は認められる

https://ja.wikipedia.org/wiki/象徴天皇制
ヨーロッパの君主制との比較
君主制をとる国で、日本の天皇のように君主に政治的な権限がない国は、北欧やオランダ、スペインなどが挙げられる。

日本の天皇以上に政治的な権限が制限されている君主として、スウェーデン国王があげられる。1979年の憲法改正以後、
首相任命権などの形式的な国事行為すら認められていない。政治から完全に分離され、国の対外的代表としての地位しかない。
そのため、象徴君主制という新たな区分を設けるべきではないかとする意見がある。

その一方で、リヒテンシュタイン家は、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、
ヨーロッパ最後の絶対君主制と言われる。

ウォルター・バジョットは「イギリス憲政論」で成文法の憲法を持たないイギリスでヴィクトリア女王をsymbolと位置
づける憲政論をしている。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_English_Constitution
England had a ‘double set’ of institutions – the dignified ones ‘impress the many’ while the efficient ones ‘govern the many’.
The dignified or ‘theatrical’ parts of the system played the essential role of winning and sustaining the loyalty and confidence of
the mass of ordinary people whose political capacities were minimal or non-existent; they helped the state to gain authority and
legitimacy, which the efficient institutions could then use. Bagehot was an unashamed elitist who believed bleakly that the ‘lower orders’
and the ‘middle orders’ were ‘narrow-minded, unintelligent, incurious’. Throughout The English Constitution, there are references to
‘the coarse, dull, contracted multitude’, ‘the poor and stupid’, ‘the vacant many’, ‘the clownish mass’.