>>426

https://en.wikipedia.org/wiki/Essence–;energies distinction
Orthodox theologians generally regard this distinction as a real distinction, and not just a conceptual distinction.[3]
Historically, Western Christian thought has tended to reject the essence–energies distinction

ギリシャ正教は東洋的な魂と物質を分ける思想を保持するが、魂と物質は西欧のキリスト教主流派では単なる修辞にすぎない

カトリックおよび、カトリックから派生したプロテスタント宗派において魂は神が人間との契約のために作った、死後の状態を一次的に保持するための器にすぎない

キリスト教以前においては、魂の世界なるもので世界を説明し、物質世界の生涯を仮の身とする自然信仰(先祖信仰)をベースにした多神教・二元論宗教が主流だったが
多神教・二元論宗教には物質世界と科学の否定とも言える要素によって、イデアーの世界を研究することはあったが、同時に物質世界を低次元と見なす傾向をうみ
観測不可能な魂に関する迷信を権力者が制限なく変えられる土壌を作り、科学的思想との対話はせずひたすら神話にしがみついた

始まりの光=ビッグバンはエネルギーであり、宇宙にはエネルギーはどこでもある、よって神の遍在(Omnipresent)も満たす
神がエネルギーと不可分という思想は、世界観を大きくばっさり2つに分けて安易な神話的説明を不可能とさせ、物理学と共存・対話しようという強い推力の源となった
また宇宙物理学や、太古の宇宙人の存在蓋然性は、キリスト教の思想が本質をついていた可能性も示唆している