指差し恫喝
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1987年(昭和62年)12月18日、当時24歳の小和田雅子が目黒区小和田家近くの路上にて取材カメラマンに対し、かなり厳しい言葉を発し指差し恫喝をするという事件

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『フォーカスFOCUS SPECIAL』1993年1月22日号<「皇太子妃内定」7年の大逆転>pp.6-7より引用

『SPA!』1993年2月10日号 田中康夫 神なき国のガリバー
(『言いたいこと、言うべきこと〜神なき国のガリバーvol.3〜』田中康夫 扶桑社1994年7月20日初版発行 pp.36-39に再録)
 思うに、クラウンプリンス・ナルが数年来、魅力を感じていた要素の一つだったであろう“彼女らしさ”の中には、「婚約」発覚後、大分の変化を来たした部分がある。
例えば、自宅前で激写(フォーカス)された際、舌打ちしながら明らかに「馬鹿野郎」と呟き、「どこの社(プレス)よ、名乗りなさい」と気丈な反応を見せた魅力を、今の彼女の中に見出すことは、難しい。


『週刊文春』2006年3月16日号 悲劇のプリンセス「不適応」の理由 雅子さま友人・恩師・同僚…50人の証言<上> p.40より引用
 自宅前に張り込んだ(12)元写真誌記者C氏は、反省をにじませながらこう話す。
「自宅から駅に向かう雅子さまにぶら下がって話を聞こうとしたことがあります、ところが『マスコミは嘘ばかり!』とおっしゃったので、
私もしつこく『どの辺りが嘘でしょうか?』とお聞きしたんですが、何もお話いただけず、駅に着いてしまいました。
 雅子さまは満員の上りホームに立っていらした。私はこの取材で初めて雅子さまにお目にかかったんですが、あまりに美しかったので、『何とか写真に収めたい』と反対側の下りホームに行って、レンズを向けたのです。
 撮った瞬間に雅子さまが気づかれました。すると全力疾走で上りホームと下りホームをつなぐ陸橋を駆け上って、私のほうにまっすぐ向かって来られたんです。
そして私の胸倉を両手でつかんで揺すぶって、
『フィルムを出してください!』
 と抗議されました。その勢いに私は一言も口が利けず、フィルムをどうしたかも忘れてしまいました」