■江戸時代 キリスト教が論破され布教失敗


『日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。

それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。

 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。

元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。すると日本人が追求するわけです。


「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」』


ザビエルの書簡より

「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。』


ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で、

「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。』