1945年の日本の敗戦直前、旧満州国(中国東北部)と旧日本軍が朝鮮国境付近で建設していた施設の遺構を日本の研究者が発見した。当時ひそかに進められた軍事拠点「光建設」計画の一部とみられる。組織図や施設配置を記した関連資料も見つかり、内地の「本土決戦」のような徹底抗戦の準備が旧満州国でも具体化していたことが裏付けられた。

 旧軍が大陸に建設した軍事施設を調べている「虎頭要塞(ようさい)日本側研究センター」代表の岡崎久弥さん(56)が昨春、中国側の研究者らに招かれ、戦時下に「東辺道」と呼ばれていた一帯を調査。北朝鮮との国境から約50キロ離れた吉林省通化市の山岳地帯で、トンネル状の遺構を発見した。

 崩落せずに残っている横坑は奥行き数十メートル。床面積を確保するためとみられる分岐した部分や、コンクリートで固められた一角もあり、先端部にはダイナマイトを使った掘削跡も残っていた。付近には資材の搬入口や貯水施設のような跡もあった。現地の行政当局によると、一帯は戦後になって地下施設は造られておらず、敗戦前のものと結論づけた。

 岡崎さんらによると、遺構は「光建設」と呼ばれた極秘計画のものとみられるという。通化市の西方の鞍山などで大規模開発された旧満州国の製鉄所は44年4月、統制を強化するため「満州製鉄株式会社」に統合された。戦局の悪化で鞍山の製鉄所が空襲を受けたことから、鉄鉱石や石炭が豊富な東辺道一帯に工業施設を集団移築し、徹底抗戦の拠点にする計画だった。

 当時の記録はほとんどなく、詳細は分かっていないが、現地調査後も続けられた国内の公的機関に残る文献の探索で、関連資料がこのほど見つかった。戦後の復員や引き揚げの業務を担った厚生省引揚(ひきあげ)援護庁(当時)が51年、満州製鉄の元幹部らへの聞き取り調査をもとに作った満州製鉄東辺道支社の記録に、計画の概要が一部記されていた。街路や製鉄施設、工場などの配置を示した地図に「【光】」の記号が付記された施設があり、その記号がついた「圧延」施設の位置と、今回見つかった地下施設跡の場所が一致した。

 また、資料の組織図によれば、…
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2019年3月3日8時0分
朝日新聞デジタル
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