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ナチス共産主義者が社会主義を実現しようとしたが敢え無く失敗し、略奪を決意したのが先の大戦の発端と言えないでもない

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツの経済
四カ年計画
しかしドイツ国内の資源類は偏っており、また軍需産業への労働力集中は農業人口の減少を招き、
食糧自給が困難になった[60]。1937年11月5日の秘密会議でヒトラー自身も完全な自給経済体制構築
は不可能であると述べ、自給が可能であるのは石炭・鉄鉱石・軽金属・食用油にすぎず、食糧にい
たっては「まったく無理」であるとした[61]。ヒトラーは食糧自給のためにはヨーロッパ内での
領土獲得が不可欠であると述べ、近い将来における戦争準備推進を要求した(ホスバッハ覚書)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ナチス・ドイツの経済
ゲーリングの時代
1936年夏頃には外貨不足と2年連続の農業不振が重なって、ドイツ経済は深刻な原料危機を迎えており、
景気失速の危険があった[30]。この危機を乗り越える方策としては協調外交と軍拡の減速に政策を切り
替えるか、軍備拡大を続けて領土拡大によって占領地から収奪するかという二つの道があったが、ヒトラー
とナチ党にとっては後者以外の選択はあり得なかった。