6世紀、ペルシャ帝国は、東ローマ帝国と雌雄を決すような余裕のある状態ではなく、北方の蛮族に備え文明国どうしで協調すべき情勢だった

ペルシャ王ホスロー1世は、封建諸侯の力を奪い取り中央集権的な官僚制度と巨大な常備軍をもつことで
戦争を有利に運べるようになったが、中央集権を維持するための過剰な軍事費や莫大な公共事業の維持のために財政を圧迫し、帝国が崩壊する原因を作ったともされる
またホスローは全方面で敵を作り続けた。テュルクと比べたら文明らしき痕跡のあるエフタルを滅ぼしたが、テュルクを邪魔するものがいなくなりペルシャのシルクロード利権
に集中できるようになった。テュルクとは後に通行税をめぐって全面衝突することになる

地政学的にテュルクを牽制し緩衝材となりえたエフタルを滅ぼしたことで、東ローマ帝国とテュルクに挟まれたまま、強大化したテュルクと長期戦を戦うことを強いられることになる

ペルシャ帝国はホスロー1世の負の遺産によって全方向で長期消耗戦を繰り広げたことによって徐々に弱体化し、イスラムによる征服を許すことになる