壇ノ浦の戦いのとき、後白河法王も頼朝も安徳天皇の身柄の確保や遺体の捜索より、
三種の神器の回収に必死になっていたことからすると、このときの三種の神器は本物であった可能性が高い。
そして結局、鏡と勾玉は回収されたけれど、剣は海に沈んでしまった。本物の神器のひとつが失われるという
大失態をごまかすために、「実はあれはレプリカでした。本物は熱田神宮にありますからご安心を」
という話が作られたのでしょう。