【宗教】「日本人は無宗教」は本当か 現代に息づく奇妙で真剣な信仰に迫る「奉納百景」★6
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ロリータファッションで着飾られた文殊院(福岡県篠栗町)の水子地蔵
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190306-00010001-bookasahi-000-3-view.jpg
■あの世での“バーチャル結婚式”描く「ムカサリ絵馬」
「日本人は無宗教」とよく言われる。寺社に行くのは冠婚葬祭や正月だけ、「葬式仏教」という言葉もあるほどだ。だが『奉納百景 神様にどうしても伝えたい願い』(駒草出版)には、そんな先入観を裏切る「本物」の願いの込められた奉納物が登場する。恨みをびっしりつづった絵馬、ロリータ風の水子地蔵……。しかもこれらの奉納物は決して「昔話」ではない、現代の風習だという。科学大国・日本でなぜ今もリアルな祈りが息づくのか著者の小嶋独観さんに直撃した。
※省略
――若くして未婚で亡くなった我が子のために、親が「結婚式の様子」を描いた絵を奉納する山形・村上地方の風習ですね。本書には絵の絵馬だけでなく、どこからか切り取ってきたような大人の花嫁と花婿の写真に、花婿の顔の部分だけ我が子とみられる幼児の頭を合成した物も載っています。親御さんを思うと切ない風習ですが、正直これはちょっとゾクっとしてしまい……。
これらは結婚しないで亡くなった人のための、あの世での“バーチャル結婚式”なのです。人がいないようなお堂の中で、壁を埋め尽くすようにムカサリ絵馬が飾ってある。絵馬1枚の持つ(インパクトの)強さと同時に、それらがたくさんあることで呪術的なパワーのようなものを物凄く感じましたね。
※省略
■大木に刺さる無数の鎌
※省略
――こう見ていくと、「日本人が寺社に出向くのは法事や正月くらい」という先入観とは裏腹に、実は今も叶うと信じて真剣に神仏に願いを託している現代人の姿が浮かび上がってきます。
日本人を無宗教だと考えたり、宗教に熱心でないとみなしたりする考えは、宗教を「上から見た」目線から出てくるのだと思います。庶民が神仏にすがる理由は、宗教側がやろうとしていることと実はちょっとズレているものです。庶民が神様にお願いする内容はある意味、自己中なものが多い。言い方が悪いのですが、自分勝手に神仏を利用している部分があるのです。
庶民にとっては(信仰対象が)神道か仏教なのかもごちゃ混ぜです。近所の「拝み屋さん」のような民間の宗教者に、神道や仏教といった区切りはない。あくまで、「お金を儲けたい」といった下世話な願いを叶えてくれるのがそういう人たちです。彼らにすがる人々にとって、神道だとかキリスト教だとかは関係ない。自分を救ってくれれば誰でもいいのです。
■14歳が奉納した「早く犯人が見つかりますように」の紙
※省略
――中には、不思議なことに近年になって盛り上がった風習もありますね。
先ほど出たムカサリ絵馬は民俗学の世界では比較的古くから知られていましたが、もともとは山形の人が細々とやっている習俗でした。近年テレビで取り上げられて、全国から奉納する人が増えたそうです。絵馬の量は10年前のピークを過ぎて減りましたが、それでも毎年かなりの数が奉納されている。
信仰とは社会的な影響も大きく受けるものです。例えば岩手県遠野市には「供養絵額」を奉納する習俗がありました。幕末から明治にかけてのもので、亡くなった人がおいしい料理を食べているような絵を描くのです。これは大正でぱたっと無くなりました。肖像画が普及したからです。昭和になるとそれが遺影になった。
実は、水子信仰も(中絶制限について活発に議論された)ウーマンリブ運動が盛んになった時代(1960年代以降)に起きたものです。ニーズがない奉納は廃れ、逆にうまくはまった習俗だけが後々も生き残っていく。時代時代で変化していく習俗すらあります。
■「ロリータ地蔵」にファンシーな「おっぱい絵馬」
――文殊院(福岡県篠栗町)で小嶋さんが見た、水子地蔵にロリータファッションを着せた「ロリータ地蔵」が典型ですね。ファッション感覚というよりは、服を用意した人の哀切な思いをどこか感じる写真でした。
他にもファンシーな「おっぱい絵馬」(山口県周南市の川崎観音)があります。女性が「お乳が出ますように」とか「子供ができますように」と奉納するのですが、絵馬のおっぱいの部分が「顔」風にデコられている物があったのです。これらの担い手は「ヤンママ」のような若い女性でしょう。こうして奉納物は時代ごとに変化していく。
(続きはソース)
3/6(水) 16:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190306-00010001-bookasahi-life
★1:2019/03/07(木) 19:10:32.66
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1552040856/ 誰も宗教の話をしていない
誰も宗教を理解していない
みんな、お金と女を欲しがってるだけだ そして「無宗教」が何を意味するかすら理解せずに無宗教を自認する浅薄さ 基本的に仏教とは祈れば病気が治るとか空が飛べたり魔法や奇跡を祈るようなものではない。
超現実的で世の中の原因と結果を明確に説いていて人間には苦労が多い娑婆世界だけどこれからどう生きたら楽か、または穢れを浄化する方法や悟りの技法など説いているのが仏教。
多くの日本人は墓や仏壇の前で先祖に合掌してても、クリスマスにケーキは食うがアーメンとは言ってないはずだ。 一神教が怖いだけ。
唯一絶対神ではなく、ヤオヨロズでいいのだ。 お金と女を捨てるのを
出家という
宗教において、お金と女というのは極めて重要
僧侶は、お金と女を捨てて、ひたすら神を求める
これこそが宗教です 俺らの頃は
みんなルーズソックスはいて
エアマックス狩ってたよ
カラーギャングとか
今のがまともじゃないかなーと
思ったりもするけども なぜ、僧侶は、お金と女を捨てて出家するのか
この意味を理解していない人は、宗教を語るべきではありません >>83
聞いた人がなるほどと思って自分の血肉というか知識として実践出来るような説法を出来る人が宗教家だよね。
要は時代時代の教育者、良い先生に巡り会えれば成長する。
まぁ〜現代では何処の親御さんでも「いただきます」くらいは教える、儀式かしてしまっているが子供でも自我に目覚める頃には理解出来る。 神社なんかにいくと樹齢何百年という樹木があるし、
神社そのものも1000年とか長い年月を信仰をされて続いている。
自分の祖先の何代も前から存在して、子孫の何代も後まで続いていく。
そういう流れの中にあって自分のちっぽけさを感じられれば、そう横柄なことも言えない。 >>25
日本人は「神の導きの道を実践」してないだろ?
日本人は普通に生きていれば
自分は善人だと自分のことを買い被りすぎじゃね?
世界標準からすると、善人とはいえないレベルな
もちろん、性根のいい人もいるだろうけど。 むしろ婚前交渉や離婚が当たり前なのに敬虔なキリスト教徒ですって欧米人こそ信仰心がないのでは 「宗教をやりたいです」
「お金と女を捨てなさい」
「お金と女を捨てなければ宗教はできないのですか?」
「そんな事はないよ。ほとんどの人は、お金とお名を捨てることはできない」
「では、私たちはどうすればいいのでしょうか?」
「常に、心を神様に向けて生活しなさい」 道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である(二宮尊徳) 宗派なんかどうでもいいし、
神に拝んだところでどうにもならん 僧侶は、絶対に、お金と女を捨てなければならない
普通の人は、無理だから、いつも心を神様に向けて生活する
恋人同士でも、夫婦でも、2人で一緒に心を神様に向ける
1人か、2人の子供を作ったら、セックスをするのをやめて、
まるで兄妹のように、2人で神様について語り合い、神様に心を向けて生活する
しかし、僧侶は別だ
僧侶は絶対に、お金と女を捨てなければならない >>104
うどん屋でラーメンとは言わないし人様に向かって手を合わせ南無阿弥陀仏とも言わない
ちびまる子 >>110
無宗教というのは特定の信仰を持たないという意味合いなので、大抵の人は理解しているだろうと言っている ちょっと調べたら無宗教は
チェコ76%、北朝鮮71%、エストニア60%
に次いで日本が多いんだって
日本以外どれも社会主義が長く機能した国だ
それを裏付ける様に旧東ドイツ出身者は無宗教が多い
「日本は社会主義国」てのも
あながち冗談なんかじゃないのかもな なぜ、僧侶は、お金と女を捨てなければならないのか
なぜ。出家するのか
これが、わからない人は、
宗教を、肯定も、否定も、できない
知らない物を肯定も否定もできないだろう 中国人で少数民族(土家族)の妻がいる。
初めて先方のご実家に伺った時、せっかく来たんだからお墓参り
してきなさいとの義母の進めで、妻と兄弟とお墓参りに行く。
お墓でみんなで神を燃やし(線香みたいな感じで)、ご先祖様に
よろしくお願いいたします。と挨拶をする。
何一つ違わない、自然な東アジアの文化がそこにあった。
夜に、炉端で義父に言われた。「私は党員だし、今の情勢で娘が
日本人と結婚するのはつらい、でも、毛主席は若い人には新しい
考えがあり、それを否定してはダメだと語録にあった。だから
私は娘の新しい考えを応援しようと思うと」
わたしは、「日本には不完全ながらも五族協和、東アジア人で
団結していこうという考えがありました。私の祖父は北支派遣軍で
お国にご迷惑をかけましたが、中国人のことは悪く言っていなかったと
自分の考えを伝えました。」
これからは、両家のご先祖なのだからともに敬おうという
義父のあたたかい心に感動を覚えました。
無宗教の共産国家と、無宗教の日本がわかりあえる瞬間でした。 >>121
当たり前だろ
共産主義は、宗教を禁止している
日本が戦争に負けた時に、多くの人が公職を追放された
つまり、公務員をクビになった
その時に、共産主義者が、大量に公務員になった
彼らは、文部省を支配して、
「天皇を神様にした過ちを繰り返してはならない!宗教は絶対に許さない!」
という教育を推し進めた >>104
仏教は哲学的だったり実践的な要素が多分にあると思うけど
超現実的ってのはちょっと違うんじゃないかなあと
六道輪廻とかファンタジー以外の何者でもないし、悟りをひらいて輪廻からの解脱を説く仏教も他の宗教と同様に信仰を軸に置いたペテンまがいの気休めに過ぎないってのは否定できないと思う
仏教だけ別格扱いする人も少なくないけどもね、あれも結局は宗教なんですよ >>123
俺も中国の朋友や元カノがいるけど結構分かり合っている日中者多いと思うね
ネットで叩いているレベルの連中は実社会だと少数すぎて最早措置入院させる領域だから論外だけど、中国嫌いの何人かも自分と一緒に接すると考え方が分かった人多かったな
自分も最初は誤った固定観念を抱いていたし 天国だの極楽浄土だのという架空不動産詐欺で稼ぐ耶蘇教や大乗仏教の信者さんたちは、
心の中に「自分や身内だけは天国や極楽浄土に行きたい」とかいう賤しい欲望しかないから
宣教師や坊主の詐欺に騙されているだけで、そんなものは「信仰」とは呼べないんだよね〜。 社会科学というのは
まぁ政治と経済がセットでね
経世済民といっても
上から目線で
遠くの親戚より近くの他人ともいうし
まぁ距離感というのは
難しいところだ
形而上学というのも
んな庶民生活に関係あるかといや >>93
>>93
結婚して子供が出来ると7,5,3の事を聞いてくるw
今では親に聞くよりネットで調べた方が分かりやすいから聞くことも少なくなったがそれでも話題として昔はあーだったこーだったは揚がる >>123
祖先崇拝は中国が起源でタイや日本とアジアを広く伝播した
考えみたいね >>128
いえいえ、こんな話でも共感して頂けて幸いです。
>>129
私は、中国人から変な日本人だといわれます。
いきなり本音から話すからです。だから面白いとも言われます。
私はおじいちゃん子だったので、ときどき散歩がてら墓参りに
いきます。妻もついてきてくれてお墓を洗ってくれます。
親父は、最初はこんなことになるならもっと早く日本人の嫁を
あてがうべきだったとか言って泣いてました。(当時日中関係が
最悪でNHKをみてイメージ先行だったため)
そんな親父は、旅行するたびに嫁にお土産をかうように
なってデレデレになってます。(俺には特に土産はないw)
年越しそばに「味が足りない」と言って中華街で買った具が
入ったラー油をドバドバ入れて担々麺にしたのもいい思い出です。
最近はカツオだしと昆布の味が分かってるくれてるみたいです。 >>136
お前の話は、宗教と何も関係ねえじゃねえか
女房とセックスしてるだけだろ
なんなんだよ 死後の世界があるなんて言うのは人生への冒涜
人生は一度だけで限りがあるそれについてもっと考えるべきだ >>138
父親に殺された小学4年生の女の子に
「人生は一度きりだ!」
と言えるのかい? >>137
そうかな?
政治的立場の違い(自由資本主義と共産主義)を超えて、
祖先を大切にしましょうという話なんだが。
俺の親父は自民党員だしな。
互いの祖先の立場や生きなければならなかった時代環境を
尊重して未来に向けて生きようという考えだと思うが。
それって、ご先祖様ありきなんだよ。
主義主張なんかかんけいないんだよ。
お互いが、お互いのご先祖を敬い、自分の新しい血として
相互に入れあうというものすごく宗教的なことんだんだよ。 学校のプールのブロック塀が地震で倒れて下敷きになって死んでしまった小学生の女の子もいた
東日本大震災で0歳の赤ちゃんが死んでる
人生は一度きりなんて大ウソだよ >>140
じゃあ、人生に、優劣がないこともわかるよな
ノーベル賞を受賞した人生も、小学4年で父親に殺された人生も、価値は同じである
そうだろ? >>127
六道輪廻は仏教以前のバラモンが仕切ってた時代の帝王思想。そんなの変だよと言えたのが2500年前のお釈さん。苦行も意味ないよ。インド中の
浄土教や極楽浄土の安楽国はいわば7つ目の生まれ変わりの世界。天国に言っても何れ人間界に戻るような修行のやり直しから抜け出した場所が極楽浄土。
そこはパラダイスであり煩悩にまみれて生きてきた者にとっても一発逆転で仏や如来になれるという特別な世界。ドラゴンボールみたいだけど自分が死ぬ時に頭がイメージすることや言葉が現実になると信じ込めるタイプなら極楽に往生することも可能だ。
無宗教な人は死の間際に何を考えるんだろう >>143
嘘つきはお前だろ人生は一度きりでもう二度とない
だから人生を大切にしろと本当の事を教えるのは大人の役目
障がい者や不遇な人に前世が悪かったなんて言う宗教のほうがよほど残酷だろ >>147
小学4年で父親に殺された女の子は、人生を大切にしたのか?
答えろ >>143
このよに神はなく人生は不条理に満ちていて無為に死んで行く子供もいる
それでも自分で価値を作り充実した人生にしようという事
セーレン・キルケゴールは「信頼の跳躍」という言葉を作り、人生は不条理で満たされていて、
世界は我々に無関心ではあるが、我々人間は自分自身の価値を作るべきなのだ、とした。我々は、
人間という有限な生しか持たない存在とも、条件をつけたりせずに関わりを持つことによって、意
味に満ちた人生を生きることができるのであり、それによって絶望と不安から解放されるのである。
たとえ他の人々と関わることは自分が傷ついてしまう結果をうみがちだとしても、
それでも他の人々と関わり合うことで、そうすることによってこそ、意味のある人生が送れる、とした[42]。 日本に根付いているのは宗教ってより文化だからな
信仰したり教義に則った行動をしたりなんて事はほぼしない
神頼みはしても、何の神に祈ってるのかも考える事はないし、クリスマスを祝っても、その実態はキリスト教とはまるで関係がない
お坊さんに来てもらってお葬式はあげても、宗派もお経の内容もまるで興味がない、そんな変わった国だからな >>148
その答えは>>149で
庵野もエヴァンゲリオンでキルケゴールのタイトルパクってた >>149
小学4年で父親に殺された女の子は、絶望と不安から解放されたのか?人生を大切にしたのか?
おまえは、自己中心的な考えの人間だな >>146
迷わずと言う事もないな
何時でも人生の帰路と言うときは
迷うもの 宗教というのは、自己中心的な考え方を捨てるのだ
神中心的な考え方になるのが宗教だ
自己中心的の反対は、神中心的なのだ
初めて聞く話かね? >>152
そこに至る前に死んでいるだろう
だが人間社会を無為に無残に死ぬ事がある
これは仕方ない事である
それにもし神がいるならなぜ彼女を救わなかったの? >>151
それはパクリではなくオマージュというのでは >>155
全て同じだろ
・金持ちになって死ぬ
・有名になって死ぬ
・小学4年で父親に殺される
宗教家は、全て等しい価値だと見る
これが宗教の真髄だ 特に欧米に行って自分は無宗教だと言うとかなり強烈な目で見られる。
これは海外では日本でいう躾や遵法意識が宗教と結びついていることが多く、神様がいつも見ているから罪を犯さないと考えることが多いからだ。
そんな場所で無宗教というと、宗教的制約がないから罪を犯し放題の動物並みの存在と思われるわけ。
なので、嘘でも神道だとか仏教だとか言ったほうがいい。 臨死体験者の話を総合すると現世に生きるほうが苦行のようだな
となると、早死に=かわいそうな出来事、でもなさそうだがね
むしろ、生かされてる人間の方がかわいそうって話だ ・金持ちになって死ぬ
・有名になって死ぬ
・小学4年で父親に殺される
宗教家は、この3つを同じだという
つまり、世の中は不条理に満ちており。
それを、気にする事はない
全てに意味がない
この世の全ては、夢、幻である
これが宗教的な考え方だ >>158
お前は虚無主義に埋没してるだけだよ
別個に意味を見いだせず画一的に考えてるだけだよ
それも怠慢だよもっと絶望仕切らないと活路を見いだせない >>158
死んだらみんな同じだわな
ビルゲイツだろうが、貧民だろうが 宗教家は、
神様は理不尽だ
神様は、公園の砂場で遊んでる子供のようなお方だ
砂場で、山を作る、作った山を見て喜ぶ、作った山を自分で壊す
創造、維持、破壊
を繰り返す
神様が、なぜ、そんな事をするのかって?
神様の考えを人間が知ることはできない
これは、神の遊戯(リーラー)なのだと 誰よりも、力強い書き込みをしている俺が虚無的だって?
誰よりも幸せな俺が虚無的だって?
小学4年で父親に殺された女の子に「人生は一度きりじゃないぜ。気にするなよ」と言う俺が虚無的だって?
よく考えてから物を言え
愚か者が >>164
違うよ今この世界が理不尽や不条理や欺瞞に満ちていて
お前はそれを受け入れられず神の仕業だって言ってるだけだ
この世は不条理や理不尽で満ちているという前提すら受け入れる事を拒否している >>166
不条理で、理不尽な時代なのだ
宗教家は、この時代を「カリユガ」と呼ぶ
ウィキペディアにも書いてある
↓
カリ・ユガの時代は人間の文明によって人々が神から遠ざけられ、霊的な堕落を引き起こしている
そのため暗黒時代と呼ばれる。
この時代にあっては人心は荒廃し、貧困・憎悪・狂気・悪疫等あらゆる害悪が蔓延する。
我々は、カリユガに生きてる
俺の話は勉強になるだろ 掃き溜めのような場でも
吐き出すことで
精神の安定がとれたり 人々が神から遠ざけられ、堕落を引き起こし、人心は荒廃し、貧困・憎悪・狂気・悪疫等あらゆる害悪が蔓延する
これが我々が生きているカリユガという時代の特徴だ
だから、小学4年が父親に殺された
そして、神様は、カリユガの時代に、どのように生きればいいのか教えてくださる
それを宗教と呼ぶ >>167
社会が荒廃してるのを神の不在だからというのは
責任転換でしかない祈れば神が戻ってくるのか?
インドなんて宗教が強くて酷い国じゃないか
なぜ社会が悪いのを自分達の責任として受け入れられないのか? >>170
生まれない 死なない
始まらない 終わらない
増えない 減らない
これが、この世界の実相だ
おまえは、幻を見ているだけなんだよ
しかも、俺もお前も、幻なんだ
なに言ってるかわからないだろ
だけど、これが宗教なんだ
おまえは、宗教について何も知らない >>161
お前さんの言っている事はブッダの考え方の一部にしか過ぎんな。
生・老・病・死の四苦に心を壊された純真な王家育ちのブッダが到達した
ある意味で中二病な仏教思想 業というか
カルマというか
本業を見失わないことだな >>173
だから、どうしたの?
お釈迦様は、俺の神様だよ
俺に教えてくれる人だよ
俺の書く言葉は、お釈迦様の言葉だ
それが宗教だ 寝ようと思ったけど『般若心経 』と『相対性理論』の類似性って面白いよね。
色んな解説本が出てるけどアインシュタインも実は仏教や般若心経の翻訳を読んでた説もある。
真実はいつの時代も真実だ。
そして何をどう思うかも自由だ。
ぎゃーてーぎゃーてー
ぱーらーぎゃーてー
ぱらそーぎゃーてー
ぼーじーそわかー 無宗教の日本人は少ないだろう。
日本人は無宗教だから中立とか合理的とかドヤ顔で語る奴は中共の手先。 神に頼んでも救える相談と救えない相談はあるんだろうな
自分の精神が関係する問題なら祈ることで精神状態が変化し結果として状況が好転するってのもあるだろう
祈った人間は神に救われたと思う
精神とか関係無い問題だとどうにもならないことの方が多いのは想像するに容易 >>171
質量的な話ではそれは面白いとも思う
ただ世の中をそういう視点で見るのは
やはり虚無的だろう物質主義を否定したりするのはその兆候だ
我々は生きているそして死ぬんだ虚無に埋没してる暇はない 少なくともネトウヨの禿デブ爺は安倍を信仰してるだろ >>179
それがカリユガなんだ
食わないと死ぬ
それがカリユガなんだ
全ては幻
全てに意味がない
そうは思っても、不安で心配になるのがカリユガなんだ
そういう時に、どうやって生きればいいかも、神様は教えてくださる
どうだ
神様のありがたさがわかったか
このお方を信じていれば間違いない >>179
俺は幸せ
おまえも幸せ
不安も心配もない
それでいいじゃないか
俺は嬉しいよ >>175
ブッダを師と仰ぐのは勝手だが、仏教の本質は出家修行だぞ。
本義仏教は引きこもり、すねかじりの「敗者の宗教」
俺は仏教とは折り合わないな。 見えない神をどうやって信心するのかがわからん。
話しかけても答えてくれる訳でもなく心の弱い人達の想像の産物としか思えない。 >>184
おまえは、地の果てまで行けばいい
そこで、5本の柱を発見するだろう
おまえは、その柱に落書きをして、小便をひっかける
「一度きりの人生を頑張って生きた!誰も行ったことのない地の果てまで行った!その証拠に柱に落書きしてきた!」
その時に、お釈迦さまが口を開く
自分の手のひらを見せて、
「おまえが書いた落書きはコレか?」
孫悟空ってか ああ仏教か
日本は自分の宗教もいいづらい
ここで匿名でも自分の宗教がいいづらい
言ったら攻撃されるだろう
この状況は良くないな つか、なんで西欧とか中東辺りの宗教や信教の基準に合わせて信仰を持たなきゃいかんのよ
日本には日本の程よい信教があってそれで上手く行ってる
儀式に臨んだり、崇高な物に対峙したらそれなりに厳粛な気持ちにもなる
それで十分だろ
その代り大地震や津波が来たって台風が来たって神よ!とか叫んだりもしねえ >>184
いや、初期の仏教には三宝の僧の概念自体がないよ
出家修行(集団)はの小乗の時代になるやり過ぎちゃってて、龍樹は涅槃を目の前に見ることによって出家自体を否定しいる 全ての宗教は、同じ神様に行きつく
全ての聖典は、同じことが書いてある
おまえが信じてる仏も
あいつが信じてる神も
俺が信じてる神も
全ては、あのお方の事なのだ 日本は近代国家が成立する時に宗教も新しく創ったから
その機能を別のものが代替するようになった時に離脱がスムーズに起きたって事じゃないかと思う >>142
人生一度きりだから亡くなったんじゃないのとマジレス 宗教の根源は死への恐怖の克服にあると思うが、もし不死が実現したらどんな社会になるか想像してみるといい
とんでもない地獄が具現化する事は容易に想像できるだろう?
誰にも平等に訪れる死は実に良くできたシステムで、死ねる事に感謝すらしたくなる 無宗教なんじゃなくて、既に宗教的価値観が生活に染み込んでるだけ。
あって当たり前のものなんだよ。 >>186
頭の弱いというかユング辺りからすると無意識と意識の壁の薄い人だな
精神分析してるとずっと欧州に暮らしてきた人が東方の宗教のイメージを描き出したり
未開の民族の神話とかなり近しい夢を見たりするそうだ
長い時間かけて人間たちに受け入れられてきた宗教とか神ってのは集合的無意識みたいなもんと
恐らく無関係ではないんだろう 神様とか、仏様とか、
聖書とか、クルアーンとか、お経とか、
なんで、こんなにいっぱいあるの?
それはね
神様は、優しいお方だから、
子供たちに、
お腹の弱い子にはおかゆを作ってあげたり
食いしん坊の子にはステーキを作ってあげたり
個人の霊的な進歩に応じて、
さまざまなメニューを用意してくださる
本当にダメな子にはAKBなんていうのまで用意してくださるんだよ
AKBを一生懸命拝んでる
それでもいいんだよ
だんだん成長するからね
そういう人に、あのお方の話をしても、理解できないし、信じることができないよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています