『開けられたパンドラの箱』より植松聖の手紙

●意思疎通がとれない人間は... (17年7月4日消印の手紙)
《先日は『創』を差し入れて貰い誠にありがとうございました。精神科医や障害者に係わる皆様のお考えを大切に拝読しました。日本の常識を考える機会をいただきましたこと心より感謝を申し上げま す。この度は、私の考えを手紙に書かせていただきました。お手数をおかけしてしまい大変恐縮では ございますが、一度お目を通して貰えましたら幸いです。
 私は意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております。私の考える「意思疎通がとれる」とは、正確に自己紹介(名前・年齢・住所)を示すことです。
 世界人権宣言第一条には「すべての人間は産まれながらにして平等であり、かつ尊厳と権利とについて平等である。人間は理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければ ならない」とあります。
 まさに仰る通りですが、世界には理性と良心、とを授けられていない人間がいます。人の心を失 っている人間を私は心失者と呼びます。
 私の考えるおおまかな幸せとは「お金」と「時間」です。人生は全てに金が必要ですし、人間の命 は時間であり、命には限りがあります。重度・重複障害者を養うことは、莫大なお金と時間が奪われます。
 彼らには多種多様な個性がございます。
何もできない者、歩きながら排尿・排便を漏す者、穴に指をつっこみ糞で遊ぶ者。 奇声をあげて走りまわる者、いきなり暴れ壊す者、自分を殴り続けて両目を潰してしまった者。 ご飯が気に入らないとひっくり返す者、食べ続けてとてつもなく身体のでかい者、水を飲み続けて 吐いてしまう者。大半は水虫やたむし等の皮膚病をもっております。
 我が子を否定することは親である人の立場からすれば、まるで自分自身を否定されたかのように錯 覚されることもあると思いますが、それは完全な誤解であり、どんなに優れた人間でも重度・重複障 害者を産む可能性はあります。
 現代の医療でも出産前に障害をもっている゛確率が高い゛ことは分かります。しかし、その時点で 重度・重複障害者と確定されたわけではなく、そこで我が子を殺す選択ができないのが現実です。
 無条件で命を救うことが人の幸せを増やすとは考えられません。天人合一という言葉がございます。 自然界の法則はとても良くできていて、人間界、社会の法則は一致するのが理想という意味です。
 私は支援をする中で嫌な思いをしたことはありますが、それが仕事でしたので大した負担ではござ いません、しかし3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました。