>>271 はじめてのレスのようだが、完全に間違いだし説明にもなっていない。
【 人間は私利私欲のために生きるものだ。 】
だからこそ、周りの動きには注意しなければならない。
ゆえに、国歌と公共心とはなんの関連も無く、それをやる効果も無い。

>公共のために尽くそうとする心
公共と国家(国歌)は、同じ意味として捉えるべきではない。
公共的な概念も、国家もエラーを犯す可能性があるし、過去にも間違いを犯した。

>社会的連帯を自覚する心
連帯しなければならないという法律は無い。
連帯が正しく、連帯しないのが悪いという考え方は普遍の原理では無い。

何度も繰り返しているが…
国家に同意するかどうか? 公共のために尽くすかどうか?
社会的に自分を連帯させるかどうか?
これらは、個人が自由に個々の意思によって判断されることであり、
そうでなければならない、というものでは無い。

国民が国のために尽くしてくれるような、魅力と誇りある国家を目指さないかぎり、
なにをやっても、国民からの支持は得られない。

【【 国民の自由意思により、国家が承認され、国家が愛されていること… 】】
これがもっとも基本であり、重要な事です。

国歌を公務員に強制したり、理屈がなりたたないようなことを絶対的概念だと
思い込ませることで、愛国心などをごり押しするのは、北朝鮮やヒトラーや
大日本帝国の天皇ファシズムのやる非民主的な下劣国家のやることである。