『第四次中東戦争 ゴラン高原の作戦・戦闘』
開戦以来シリア軍は約1400両の戦車を投入したが、10月10日正午には「パープル・ライン」の西側にはシリア軍戦車は1両も残っていなかった。
イスラエル軍は、ゴラン高原の支配領域で当時最新鋭のT-62を含む867両のシリア軍戦車を鹵獲した。

シリア軍の侵攻を排除したイスラエル軍は本格的な反攻に転ずるが、最大の問題は攻勢の限界線をどうするかであった。
ポイントは、ソ連の軍事介入を招かない限度で、シリア軍の脅威をいかに極小化できる線まで進出するかであった。
そこで首都ダマスカスを長距離砲で脅威し得る、縦深約20キロの線を進軍限界とすることになった。

イスラエル軍は太陽に向かって攻撃前進することを避けるため、10月11日11時、一斉に「パープル・ライン」を超えて攻撃を開始した。
12日夜、イラク軍はシリア軍の苦境を救援するため、戦車310両を南方からイスラエル軍の脇腹に突きつけてきた。
16日にはヨルダンが誇る精鋭の機甲1個旅団が同じく南方から攻撃してきた。
さらにサウジアラビア軍も参戦したが、イスラエル軍は強靭なる戦闘によりこれらを撃退、ゴラン高原の要城を確保して停戦を迎えた。

18日間の激戦により、シリア軍の戦死者約3500名、損失戦車約1150両。
これに対しイスラエル軍は戦死者772名、損失戦車約250両であった。