https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00010000-binsiderl-soci
アナウンサーは、勝ち組サラリーマンであり、特権的なタレントでもある。人気稼業のリスクを取らず、会社に守られながら個人的な知名度を上げることができるからだ。
特にキー局の女性アナは、“職場の華”であり、かつ男性と対等な待遇が保証されている究極の勝ち組女子と、かつてはみなされていた。

■「身内」扱いの理不尽に納得がいかない
その背景には、多くの働く女性が直面する二つの壁があるのではないか。
年功序列の会社組織の内輪意識と、女性に対する性差別的な扱いだ。女性はさらにジェンダーの縛りとの掛け算になる分、悩みは深い。
会社の内輪意識の壁とは、どれほど業績を上げようとも「一組織人である身の程をわきまえろ」という無言の圧力が相互監視的に働く状況である。番組上はメイン出演者の一人であっても年功序列で、身内として一段低く扱われることも多い。
いいパフォーマンスをするかどうかは、個人の才覚である。ゲストであるタレントも、出演者として個人の脳みそで対等に勝負する。その自負があるだけに、なぜ「身内」であることを理由に正当に評価されないのかと納得のいかない思いをしている局アナは少なくないだろう。

また、会社によっては人件費圧縮のために採用の形態が変わり、レギュラー番組なしのベテランが年収1000万円なのに、寝る間もないほどテレビに出ている若手アナは、子会社採用であるためにその7割ほどの給与水準という場合もあるという。
タレントや先輩よりもいい仕事をしている自分が、と独立を考える若手がいても不思議ではない。

■「一人前のキャスターとして扱われない」
あるアナウンサーは「局アナは、どんなに頑張っても、地道にキャリアを積んでも、メインキャスターの座はニュースを読んだこともないタレントや独立した元他局の人気アナにさらわれてしまう。」と不満を漏らす。
どんな人気者でも「組織の歯車であることを忘れるな」という年功序列の圧力に加え、社員同士の嫉妬も作用する。
数千万円から億単位の出演料が支払われるメイン出演者の横で、ここに長くいても先はないと見切りをつける若手がいるのも当然だろう。

また、女性アナウンサーは男性出演者をアシストする仕事が多く、意見を述べたり出演者に鋭い質問をすると「生意気だ」と言われがちだ。この「生意気だ」は、 “社員のくせに生意気”と、“女性のくせに生意気”の二つがかけ合わさっている。

中長期的にキャリアを考えたくても会社には女性の人材を育てる気がなく、若い頃は忙殺され、女性は消費期限付きのナマモノであるかのような扱いを受けていると感じることもあるだろう。

■理想は「若くて可愛くて従順ないい子」
意思決定層もほぼ男性が占めており、マッチョな業界の文化が根強く残っている。ことに女性アナウンサーには“職場の華”を求める傾向が強い。
“女子アナ”というコンテンツが、未だに盛んに消費され定番化しているという現実は、日本で女性の置かれた立場を象徴している。若くて可愛くて従順ないい子ちゃん(しかも適度に隙があってエロティック)が理想的な女性であると、男性だけでなく女性も思い込んでいないだろうか。“女子アナ”が好きでも嫌いでも、その価値観に知らず知らずのうちに縛られている。
入社当初は若手女子であるという理由で注目され引き立てられたが、年次を重ねて後輩が入ってきたり、自信をつけて主体的な発言をするようになった途端に煙たがられ、性差別的な構造に気づく女性は少なくないだろう。
男性と同じ仕事をしているのに女性には容姿や若さが求められ、女子力なるもので評価される。

■男尊女卑に適応するしかない悲しみと怒り
あるベテラン女性記者は「セクハラなんて気にしないのが強い女だと思っていた。女を強みにしてしたたかに仕事をするのがプロだと思っていたけど、自分はそうやって女性を追い詰める側に回ってしまったんだ」と悔し涙をにじませた。
男尊女卑の構造に適応するしかサバイブできない悲しみと怒りは、多くの働く女性が感じているのではないだろうか。

■主体的に行動する女性たちへの眼差しの変化
そんなメディアで働く女性たちの懸命な働きかけが奏功し、人々の意識も変わった。
男性週刊誌「週刊SPA!」の「ヤレる女子大学生ランキング」という記事の撤回を求めた当時学生の山本和奈さんらの署名運動には瞬く間に5万人を超える署名が集まった。

放送局を辞めた女性アナウンサーたちが、果たして昭和時代から脈々と続くビジネスの世界で、望んだ通りの活躍ができるかは未知数だ。それでも意見をはっきり言う女性や、主体的に行動しリーダーシップを発揮する若い女性に対する肯定的な見方は広まりつつある。