【歴史】お花見を広めたは“暴れん坊将軍”だった?上流階級の遊びから庶民の娯楽への変遷
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4/1(月) 20:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000132-dal-life
全国各地に桜の便りがやってきている。日本で「花見」といえば一般的に桜の花見のことで、新元号「令和」の出典となった日本最古の歌集「万葉集」にも桜の花をめでる数多くの歌が存在。
平安時代も、詩歌の対象として多くの歌人に取り上げられている。そんな「花見」を今でこそ老若男女が楽しんでいるが、きっかけを作ったのは“暴れん坊将軍”としても有名な徳川八代将軍・吉宗だったという。
【写真】地上300mで花見ができる!?
平安時代は“貴族の春の遊び”として桜の花見が最盛期を迎え、朝廷や貴族等の逸話が数多く残されている。奈良・吉野山は西行の歌にも詠まれ、同所から桜が移された京都・嵐山も有名になった。
これ以後、京の都を中心に全国的に桜の花見が広がっていったとされ、豊臣秀吉による「吉野の花見」(1594年=文禄3年)と「醍醐の花見」(1598年=慶長3年)は余りにも有名だ。
このように長い間、桜の花見は朝廷や天下人、そして貴族たちなど上流階級の人たちのお遊びであった。これが庶民にまで広がったのは、江戸時代以降のこと。徳川吉宗が隅田川土手などに桜を植え、江戸の庶民に花見を奨励したのが始まりだとされる。
以下ソースで読んで 春は夜桜 夏には星 秋には満月 冬には雪 それで十分酒は美味い >>1
ニュースじゃないスレを立てるなカス
削除依頼出しておけよ 桜が満開になると途端に寒く天気が悪くなる
嫌がらせのようだが、科学的なメカニズムあるのか? 古典落語の 長屋の花見 が好きだ
卵焼きが買えないから沢庵で代用するとか 農民が農耕を始める指標として農地の近くに植えていた説は? >>5
花鳥風月っすなぁ…w
酒の肴はそんなモンで良いわなw またこういう「デマ」を流す……
平安の時代から、庶民も花見してたし、れっきとした記録もあるわい >>3
>>1くらい読め。
秀吉のは権力者の道楽で、一般に花見を広めてはいない。 お花見の主力層ほど
花なんか見てない
ただの酒飲み >>17
そんなものはないけど。
そんな時代に花見していたのは貴族だけ。 >>17
お前こそ、それが嘘でないというならきちんと出典を記せよ >>21,25
じゃあ時代的に確実な「鎌倉時代」のお話な。
鎌倉仏教が広まっていく中で、庶民と仏教の関連性が強まってく。
信徒って奴だな。
その彼らを惹き付ける手段の一つが「山桜」だった。寺に美しい花(特に桜)を
植えて、集客にしてた。当然、そこで門前町ができあがり、季節によっては
賑わいを見せている。
花見の起源は確かに貴族スタートかもしれないが、庶民レベルでの花(桜)の
愛好は鎌倉時代には出来上がってる。
どだ? >>27
そりゃ、花を見るだけなら散歩で十分だからな >>28
だから、何にそう書いているのか出典を記せよ >>27
男女とも、下半身が暴れん坊将軍に成りたいだけだからなw で? このスレに飛鳥山について言及はあるの?
ないっぽいなあw ここはネトウヨ板だろ? それが限界だよwww
吉宗と花見っていったら飛鳥山じゃねえかなあwww
ネトウヨのカッペは東京モン気取りでいるけど、こういう教養もないから度し難い
徳川吉宗公もな、享保年間にアスカルゴに乗って飛鳥山を上ったんだよw
そこで「紙の博物館」「北区飛鳥山博物館」「旧渋沢邸」の三館チケット買って勉強したんだよwww
その学習成果に感動して桜を植樹し江戸の桜の名所になったんだよwww
当り前じゃねえかなあwww 吉宗は小石川療養所の開設などよい政策を行った一方で、倹約令で庶民にまで節約を強要して景気を冷え込ませた経済オンチ。
決して松平健のような完璧超人ではなかった。 >>21,25
この記事が言ってる「吉宗から」ってのは、おそらく墨堤からでしょ。
「花見」って言葉自体がさらに難しくて、「花を見ながら宴会を」ってことが
定義だとすれば、春の田起こし前に行う庶民の演芸(宴会)なんかも花見って
ことになる。これは猿楽が生まれる一つの形であり、鎌倉よりも古い。 堤防作って桜植えて花見の人手で鎮圧させたとか何とか >>1
ついでにサンバ広めたのも暴れん坊将軍だと書いとけ
そしたら今日が何月何日だか誰もが思い出す 「花見」の起源は、桜の起源でもある古代韓国にある。
その証拠に、4世紀中頃に造られた高句麗古墳の壁画には、
花見をする韓国人の姿が描かれている。
ttps://pbs.twimg.com/media/DyTsSr5U8AAiWS5.jpg >>37
隅田川の堤防を強固にする為に、
花見を奨励して人力で踏み固めたってな話をどっかで聞いたな。 秀吉の花見も有ったし、大坂城が落ちて徳川時代に成って城跡にある花を大阪庶民が空き地で楽しんだり
しらべりゃ、平安より歌に花が出てきくるんだから、そんなわけねーだろ
意味わからん記事だな > お花見を広めたは
チュゴクジンガカイテルアルカ? デイリーの親会社の神戸新聞は早稲田閥だからな
神戸や大阪の悪口ばかり書いて
東京賛美ばかりしとるわ 「河川」や「池」の土手に「桜」を植えたのは「花見」のためじゃなくて
丈夫な堤防を作るため説ってのはどうなのん? 古代の農民の歌とかですら歌が出て来るし、歌で女性の気を引く文化あったろ?
花なんて咲いてりゃ、農作業の合間にどっこいしょで座って、貧しいながらも昼飯でも食って花眺めるくらい普通にあるだろ
大げさなんだよ それまでは咲いてても見なかったの?
桜は山から神様が降りてきた時に座る木だって話を聞いたけどなぁ
神様が降りてきて人里の様子を見るために桜に宿ると花が咲く
だから人々がその下で宴会をして神様を楽しませるんだって
居るとは気づかないふりで楽しんで
神様はそれを眺めて満足して帰り山から恵みを下ろしてくれる しかしスレを瞥見すると自称愛国者のネトウヨどもが
花を見ることそのものが日本人に昔からあった美風の如くいってるよ
こりゃウケるねwww
だったらネトウヨ軍オタども、今後一切、ウリたち親韓左派の平和主義者を
「お花畑」とかいってdisるなやwww 花の美しさ、一応わかるんだろう? チミらもwww
ウリはだれに恥じることもなくお花畑、大好きだけどね。そして勿論平和もなw
長い冬が去って春の園芸、まさに楽しんでるぜwww 昔の愛知県民(特に尾張)は徳川吉宗が嫌いだったけど、松平健のおかげで好きになったという話を聞いたことがある。 まあ季節的に外で花眺めてるには梅と桜は早すぎる
躑躅 アヤメ 牡丹 紫陽花 朝顔 菊の方が時期はいい 熊野神社という縁での飛鳥山だっけ
春が桜 夏が川涼み 秋が紅葉 だったか金を掛けずに庶民が楽しめるようにしたとかは聞いたが
んで現在は展望台こそ無くなったがスロープカーあると 上流階級は梅を見てた
庶民は桜を見てた
わかりましたか?カスっ♪ >>57
秀吉の時代だと梅の花見やな
まあだからか知らないが大阪城には梅林あるし >>30
徒然草に記述があったかもな
あと秀吉云々は>>1くらい読め お花見を庶民にも広めたのは平泉藤原家だろ。
京都嵐山に桜を持ってくる100年前くらいに既に当時日本第二の大都市平泉の北上川対岸の束稲山を吉野並みの桜の名所にしてた。
西行の歌もあるぞ。 >>62
秀吉の時代なら桜が主流だったかもな。
梅も有ったろうが。 花見を40人ぐらいでやったが、桜の花を見ている人はほとんどいなかった いや平安時代から花見はあった。
西行が人が大勢繰り出して煩くて嫌だと詠んでいるw やどにある 桜の花は今もかも 松風早み地に散るらむ
厚見王 天平勝宝頃
絶等寸の 山の峰の上の桜花 咲かむ春へは君し偲はむ
播磨娘子 養老頃
共に700年代ころか、まあ花視て美しいとか起源とか言い出すとツマラナイだけだ 単に江戸時代に、生産力が上がって、
庶民文化が花開いたに過ぎないよ。 江戸の町人は月に10日働けば贅沢はできなくても食えたらしいからな >>63
徒然草に庶民が現代のような花見しているなんて記述はまったくありませんね。
デタラメもいい加減にしなさい。 >>47
当時の庶民は文字なんて知りませんから和歌なんて残せません。
和歌なんて残している時点で庶民とはかけ離れた身分の人ですね。 記述にある中なら、花見も正月も庶民を初めて招いたのは小田氏治だと思う >>81
庶民をどう定義するかだが、当時の農民や兵士も歌を読んでいた
書けないとは限らん >>81
ヨーロッパと違って日本には寺子屋があった
まあ、ヨーロッパも教会教育とかちょっと力を入れてたがな
ロベスピエールなんか、フランス国王が勉強させてくれたから国王を殺せたんだぜ 吉宗って人生が質素倹約だったからそれ以降もそうだけど
今に残る江戸の庶民文化って吉宗以前まででだいたい終わって発展がない >>87
暴れん坊将軍で中尾彬が演じる尾張大納言かよ 現代でさえ現在進行形でどんどん低俗な文化に変化して行ってるというのに 江戸の5台死因とかいうデータがあるが…
1脚気
2流行病
3暴れん坊将軍
4押込強盗
5忍者 桜の植樹が流行った記録だと平安とか奈良時代やなかったか?
つまりその頃には既に梅や桜の鑑賞することは成立していたって事やろ
何でさらに数百年もあとの時代に出来たことにしたいん? >>20
目の前の、意中のおねえちゃんの頬の桜色を眺めてるんだろww
それも悪かないなwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています