福田村事件 - Wikipedia

福田村事件は、1923年9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安の中で、
香川県からの薬の行商団15名が千葉県の旧「東葛飾郡福田村三ツ堀」で地元の自警団に暴行され、9名が殺害された事件。

1923年3月に香川県を出発していた売薬行商団15人は、関西から各地を巡って群馬を経て8月に千葉に入っていた。

関東大震災発生から5日後の1923年9月6日の昼ごろに、千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀の利根川沿いに休憩していた行商団のまわりを
興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた。

福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在の巡査が本署に問い合わせに行った。
この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態であった」。
生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が二発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」。

検挙されたのは、福田村の自警団員4名および隣接する田中村の自警団員4名。
8名が騒擾(そうじょう)殺人罪に問われたが、被告人らは「郷土を朝鮮人から守った俺は憂国の志士であり、
国が自警団を作れと命令し、その結果誤って殺したのだ」などと主張しており、また、当時の予審検事は、裁判の前から「量刑は考慮する」と新聞に語っていた。

判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが、あとの7名には大審院で懲役3年から10年の実刑判決が出された。

「行商団一行の話す方言(讃岐弁)が千葉県の人には聞き慣れずほとんど理解できなかった」
「千葉県の人との意思疎通の際に話す標準語も発音に訛りがあり流暢でなかった」などを理由に朝鮮人と見なされ、一連の事件が起こったと言われている。

戦後もずっと事件は闇に葬られていたが、1979年に事件の遺族らから「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼実行委員会」などに連絡があり、事件の現地調査が始められた。

2000年3月には香川県で「千葉福田村事件真相調査会」が設立され、同年7月には千葉県「福田村事件を心に刻む会」が設立された。