【福岡】「邪馬台国=甘木・朝倉説」提唱の元産能大教授・安本美典さんに朝倉市親善大使を委嘱
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朝倉市は3月30日、元産業能率大教授で邪馬台国は朝倉にあったとする説を提唱する安本美典(びてん)さん(85)に市親善大使を委嘱した。
市によると、安本さんは旧労働省などを経て産業能率大教授を務め、現在は「季刊邪馬台国」の編集顧問。多くの著書や講演で「邪馬台国=甘木・朝倉説」を唱え、市はこれを受けて祭りを開催し、市観光大使「女王卑弥呼」を選出するなどしている。
市民団体が主催した安本さんの講演会の前に林裕二市長が委嘱状を手渡し、「市の知名度向上に大きく貢献された。今後も市の発展のため、助言を頂けたら幸いです」とあいさつ。安本さんは「朝倉は今後も(豪雨災害からの復旧復興など)いろいろあるが、共に私も頑張っていきたい」と応えた。【桑原省爾】
毎日新聞 2019年4月5日
https://mainichi.jp/articles/20190405/ddl/k40/010/314000c?inb=ra
関連動画:
田川古代史フォーラム 邪馬台国は福岡にあった 通説への挑戦
https://www.youtube.com/watch?v=tsH88BHmgRo
https://www.youtube.com/watch?v=AgD10y30KRA 毀誉褒貶の有る人のようだが
昔、『人麻呂の暗号』『もう一つの万葉集』『日本語の悲劇』
など古代日本語が朝鮮語で理解出来るとか言った妄説が流行った時期に反撃を加えて
この珍ブームを終わらせるのに一役買った功績は大きい。 >>190
>>192
別に国が一つまるごとってわけじゃなくて、ある程度の数の人が移住して
きただけと考えてもいいと思うよ。 王朝の意味が理解出来てないで
王朝交代の字面に憧れて騒いでるだけなんだろうな
応神くらい、たしかな人も居ないだろ
いろんな意味を含めて >>200
日本全国地名の類似性なんて何処にでもあるんだがね。
福岡の住吉神社は最古住吉神社ではあるが、日本全国に住吉神社は2000社程ある。
同じ名前の神社と言うのは、住吉に限らず全国各地にあり東遷の証拠にはならない。 漢字の語呂合わせが本当に好きだよな
歳よりって習慣に成ってんの?
水平リーベボクの船だっけか?
ここにも「ボク」がある
年寄りの「ボク」好きは異常 >>205
東遷?
逆に東から神様がやって来て地名を塗り替えてるよ、
といった流れだったけど、
わかりにくくてゴメンねー >>204
応神仁徳同一説なんてのもあるんで確かな人ではないと思うがね。 >>51
イエス・キリストの墓が青森にあるくらいだから、邪馬台国が埼玉にあっても驚かないわ。 >>188
日向国の高千穂に住む神倭伊波礼毘古命さん御一行が引っ越してきたらしいよ。
神倭伊波礼毘古命さん御一行の前にも饒速日命さん御一行ってのも引越してきてたけどね。
更にもっと前には大物主さん御一行も引っ越してきてたり、時々大国主さん御一行とか少彦名命さん御一行も遊びに来てた。
ここまでは日本書記にしっかり書いてある。
これだけ外部勢力の情報を書いてるのに、卑弥呼さん御一行について書いてないってのはそれが真実だということ。
卑弥呼さん御一行は北九州の連合国ではあったが、神倭伊波礼毘古命さん御一行にはなんの影響もなく、いつの間にか滅んだ集団だということ。 >>212
その日向というのが今の宮崎ではなく、ここでいう甘木地方に
あって、「日向」という地名自体が「ヒムカ」すなわち「卑弥呼」
のいた場所を示している……という説もある。 >>51
天平時代の夕胡羊太夫は上野の人だっけ?
キリスト教信者とかなんとか 邪馬台国か知らんが福岡の田舎は遺跡ゴロゴロあるし何よりほとんど発掘調査なんてされてないからいくらでも巨大な遺跡出てくるんじゃないか?
そこいらの山だって掘りゃ古代の石器やらゴロゴロ出てくると思うわ
個人的には大宰府辺りじゃないかと思うけどなあ邪馬台国
福岡にあったと俺は確信してるけどな
だって全く発掘調査なんてされてないじゃんw まぁ、少なくとも巻向が決着付くまで無理やね
今は趨勢的に巻向になってる
一部のアレな老人が騒いでるだけ >>215
不美国の南が邪馬台国で
宇美町の南は大宰府天満宮なんだよな >>192
俺たちの祖先はアフリカでっせ?日本人は世界でもっとも移動し続けてきた民族の末裔
その移動距離は10万kmレベル 歴史学者でも考古学者でもない学者が「邪馬台国」を「独自研究」し、
素人をだまくらかして自身の小説を売りつけて金を得る
古田しかり
安本しかり >>219
大切なのは移動したことを証明しうる根拠だよ
文化を持たない時代なら人類学だけで解決せざるを得ないが、既に文化のある時代ゆえに
考古学的な根拠も要求される 魏志倭人伝にいっぱい国の名前出る
当時すでに日本国中に国があったんだよ
九州北部が強かったのは漢倭奴国王がいた昔の話 >>221
だからその根拠が海を挟んだ大陸の文献しかないわけで。 また九州の朝鮮人がわめいてるのか
邪馬台国は畿内で結論出ている >>212
その説に付け足して、邪馬台国畿内説の場合、日本書記の何処に邪馬台国や卑弥呼、倭国大乱、狗奴国との戦を置くんだ?という話になる。
神功皇后が卑弥呼なら、三韓討伐で朝鮮半島に渡って甲冑着込んでドンパチやってることになるが
魏志倭人伝の卑弥呼像では、外には一切出ないし、鬼道を操る高齢の婆さんとあり、余りにも一致しない。
日本書記の流れには邪馬台国も卑弥呼も置きようがない。
邪馬台国は北九州の連合国で、地の利を活かして帯方郡を通じて朝貢していたが、南の狗奴国との争いに敗れた勢力だったというのが
一番無難であり、史書の記述を無理なく汲み取った考え方でもある。 >>224
九州説の人は学会の5%ぐらいの変わり者学者で、
学会ではほぼ結論でてるけど民間の議論の盛り上げの為にあえて九州説に付いてるらしいからねえ
まあ盛り上がってるということは楽しんでる人が多くいるということ
多くの人を楽しませてるならお金がその人に入っていってもいいんじゃないかな >市観光大使「女王卑弥呼」
そこは卑弥呼じゃなくて斉明天皇だろ
朝倉宮で盛り上げればいいのに >>91
>>94
と言うか、先進文明を矢鱈真似したがるのが日本人の習性じゃね。
中国では刺青なんかしてる奴はいねえよ?という情報が伝われば簡単に捨てる。
大和朝廷ではどんどん中国の政治制度や文化を真似していってるし。
近いところでは、戦後はアメリカナイズされてればされてるほどマウンティング上優位に立てたし。
自分では価値判断出来ない人間が多いんだよ、日本人は。 >>91
使者は邪馬台国まで行ってないって何回言わないと分からないんだタコ >>219
最も移動したのは南米の原住民やイースター島の住民 >>213
日本書記では日向の高千穂という地名で表現されているので、日向国であってる。
これを日向という土地に充てるのは屁理屈 >>233
日向は福岡市(奴国)と糸島市(伊都国)の境
古代から先進地域だった北部九州から未開の地関西へ神武が東征へ出発したんだ。 >>233
邪馬台国時代の日向国は邪馬台国連合、狗奴国どちらの勢力圏なんだろうね? >>226
卑弥呼は伊都国に居たと魏志倭人伝には書かれてる
3世紀には北部九州に邪馬台国があり
その後に北部九州の一豪族の神武が東征し先住の関西の豪族を破り入植
701年にその子孫が大和朝廷を成立させた。 >>230
使者は卑弥呼と対面してますから邪馬台国まで行ってますよ。 >>228
そうですね、卑弥呼とは関係ないですね
朝倉宮でいった方がいいですね。 >>237
でもなぁ。伊都国までしか行っておらず、その先の行程は倭人から聞いた話とされるよね。
明らかに魏の使節団の関係者じゃない人が書いてる。
陳寿は魏の公的資料を入手できなかったため、
倭国に渡航したことのある地方役人か商人かの見聞録を参考にしたのかな? >>240
だから伊都国で卑弥呼と会ってるんだよ
伊都国が邪馬台国の都なんだよ。 >>234
日本書記には日向の高千穂に天孫降臨したとある。
これを捻じ曲げて福岡に天孫降臨させるから、北九州論者は信用されない。
卑弥呼が伊都国に居たというのも、伊都国の王の存在と卑弥呼を=と考える説だが、じゃあ魏志倭人伝の邪馬台国の記述はなんなんだということになる。
伊都国論者は、魏志倭人伝の一部だけを切り取ってるだけで当てにならない。 当時の硯は伊都国でしか発掘されて無いからな。
で伊都国から日向峠がばっちり見えてんのよ。
『我が国は日の巫女が占いやって統治しとります。
その場所が、あの山たい』
と高祖山を指差しました。 >>199
継体天皇は傍系を自称しているし捏造としても継体以後は
日本的カウントでは同一王朝。
さらに欧州基準を持ち込むなら三回どころかもっと増える。現皇室は
光格天皇からの光格朝という数え方になるだろう。
欧州は、傍系血筋だと外国王家になることが普通だったから、
傍系=別家という認識でかなり厳格だった。新規イメージのある欧州王室も
日本皇室式のカウントだと結構さかのぼれるはず。 >>218
具体的に
>>219
かけた年月のレベルが違うし、それは「国」の移動じゃないだろ
アフリカから移動してくる時にいきなり日本に移動してきたわけじゃない >>236
>卑弥呼は伊都国に居たと魏志倭人伝には書かれてる
>>237
>使者は卑弥呼と対面してますから
そんなことどこに書いてあるんだ? >>243
弥生時代の硯はこれまで、▽田和山遺跡(松江市)▽三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)
▽中原遺跡(同県筑前町)▽薬師ノ上遺跡(同町)など――で出土してきた。
(出典:毎日新聞2019年2月19日「今後のカギは文字確認 国産硯の製作跡から見えてきた弥生の『文明開化』」) >>245
足利尊氏は西へ東へ5000kmも移動してるな。 魏(220年 - 265年)の『魏志』倭人伝
帯方郡ー韓国−対馬國−一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(住吉)−投馬国(丹波)を経て邪馬壱國 >>80
天照大御神の記事と卑弥呼の記事に共通する部分が少なくないし、何より神武東征は邪馬台国東遷を彷彿とさせる 魏志倭人伝は
役人がサボタージュして、倭に行かずに又聞き情報かき集めて
行ったことにしたとしか思えないあいまいさ >>246
「世有王皆統屬女王國」
「魏の時代には倭王(卑弥呼、壹與)は伊都国に居た、倭の国々は皆、女王国に統属していた」
正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王 并齎詔 賜金帛錦罽刀鏡采物 倭王因使上表 答謝詔恩」
>>250
距離で説明・帯方郡ー狗邪韓国−対馬國−一大国(壱岐)−末廬国(呼子〜二丈)−伊都国(糸島市)−奴国(福岡市)−不弥国(那珂川町)
時間で説明・帯方郡ー−投馬国(狗邪韓国)−邪馬壱國 (伊都国) >>249
その時代って一応広い範囲で国の体裁ができてて中で移動してるだけやろ 九州北部の石甕に遺体をおさめる政権が滅亡したあとに
奈良で邪馬台国が出現するよ 「邪馬台国の卑弥呼」なんて、素人考えでは
どう見ても「大和国の日巫女」に悪い漢字当てただけにしか見えないけど
そう主張してる説が見当たらないのは何故 >>256
邪馬台国に敵対していたのは狗邪韓国の奴国
・・つまり狗奴国でこれが北九州にあり、後漢の光武帝から「漢委奴國王」の金印を授かっていた
邪馬台国の行程に出てくる奴国は、邪馬台国の女王・アマテラス(=卑弥呼)に国を譲った大国主という王がいる伊都国(出雲)の奴国
・・つまり、大国主神の最初の妃「八上比売」の国、因幡
ちなみに
長官は多模(たも)の不弥国は、田裳見宿禰の摂津国住吉 ID:tBdLMtVw0は糸クズと呼ばれてる電波だからスルーで
伊都国が邪馬台国だと言い張ってるから伊都クズ=糸クズ >>259
魏志に使われてる漢字の大半は小韻の首字、つまり同じ発音の字の一覧表の冒頭に来る漢字で、単なる発音記号
皆それを知ってるから言わない >>256
邪馬台国に敵対していたのは狗邪韓国の奴国・・つまり狗奴国で
これが北九州にあり、後漢の光武帝から「漢委奴國王」の金印を授かっていて【邪馬台国は北九州を利用できない】
280年〜-297年の間に書かれた魏志倭人伝では記述の時点で、30箇国が大陸に使者を通わせており
大陸と交易する港も、30箇国がそれぞれ所有していた
・・つまり、大陸と行き来する港は、国毎に30箇所あった
と考えるのが妥当
邪馬台国の行程に出てくる奴国は、邪馬台国の女王・アマテラス(=卑弥呼)に国を譲った大国主という王がいる伊都国(出雲)の奴国
・・つまり、大国主神の最初の妃「八上比売」の国、因幡
ちなみに
長官は多模(たも)の不弥国は、田裳見宿禰の摂津国住吉 つまり
魏(220年 - 265年)の『魏志』倭人伝
帯方郡ー韓国−対馬國−一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(住吉)−投馬国(丹波)を経て邪馬壱國 この人大学教授だったからてっきり歴史の専門家かと思ってたけど実は元役人で専門は心理学
歴史家としては在野
今でいうと八幡和郎みたいな立ち位置かね >>269
基本的に九州説を唱えてるのは郷土史家(笑)とか部外者のみと考えて間違いない 魏(220年 - 265年)の『魏志』倭人伝
帯方郡ー韓国−対馬國−一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(住吉)−投馬国(丹波)を経て邪馬壱國
邪馬台国に敵対していたのは狗邪韓国の奴国・・つまり狗奴国で
これが北九州にあり、後漢の光武帝から「漢委奴國王」の金印を授かっていて
【邪馬台国は北九州を利用できない】
晋の時代、280年〜-297年の間に書かれた魏志倭人伝では
「今現在、30箇国が大陸に使者を通わせている」と書かれており
大陸と交易する港も、30箇国がそれぞれ所有していたと考えるのが妥当
逆に言えば
邪馬台国の女王・アマテラス(=卑弥呼)は、弟のスサノオの娘婿の大国主から伊都国(出雲)を国譲りしてもらったおかげで
一大国(隠岐)−末廬国(松江)という大陸への海路と、それに精通した宗像氏という海洋豪族を手に入れたことにより
大陸に使者を通わせられるようになって、皇帝から「親魏倭王」に任じられたわけだ
そして、邪馬台国の行程に出てくる奴国は、邪馬台国の女王・アマテラス(=卑弥呼)に国を譲った「大国主という王」がいる伊都国(出雲)の奴国
・・つまり、大国主神の最初の妃「八上比売」の国、因幡
ちなみに
長官は多模(たも)の不弥国は、田裳見宿禰の摂津国住吉 ちなみに
古代出雲王家の子孫らによる伝承では、宗像氏の祖先は出雲6代主王の息子
つまり宗像氏はもともと、出雲の海洋豪族 朝倉の地名がアマテラスからきてるってのはちょっと感動したw >>270
じゃあ魏志に書かれてる絹などの産物の出土が、九州の方が圧倒的に多い理由を説明して見ろよ 邪馬台国の南に狗奴国があると魏志倭人伝に書いてある
狗奴韓国とは全く関係ない 後漢の光武帝から「漢委奴國王」の金印を授かった狗奴国が
北九州にあるのに
狗奴国が敵対する邪馬台国に北九州を使わせていた
なんてバカしか考えない >>280
バカか?
邪馬台国と狗奴国は対立していて魏は邪馬台国に狗奴国対策の土産を渡した関係なのに狗奴国に金印を渡すはずがない >>278
圧倒的?
3世紀に九州のどこでどれだけ絹が出た?
現実はほとんどゼロだろ >>281
北九州の狗奴国・・つまり狗邪韓国の奴国に金印を授けたのは後漢
奈良の邪馬台国に金印を授けたのは、後漢を滅ぼした魏
魏が邪馬台国に、後漢から金印を授かった狗奴国対策の土産を渡した
のは当然です >>281
北九州の狗奴国・・つまり狗邪韓国の奴国に金印を授けたのは後漢
奈良の邪馬台国に金印を授けたのは、後漢を滅ぼした魏
邪馬台国が北九州を利用できなかったのも当然だし
魏が邪馬台国に、後漢から金印を授かった狗奴国対策の土産を渡したのも当然です >>1
記述の信憑性すら疑わしいものを根拠に俺様推測と俺様解釈だけで積み重ねてるのだから滑稽の極みですわ
だいたい何をもってして邪馬台国だと確定するんだ?
これが卑弥呼の墓ですと記した石でも出てくるまでやるのか? 物証も無いのにまだこんな戯言を言ってる馬鹿いるんだな
邪馬台国は畿内にあったんだよ 後漢の光武帝から倭國王として「漢委奴國王」の金印を授かった委奴國は北九州にあった
その後漢から権力を、戦闘で奪ったわけではなく譲られた魏
の皇帝は、「漢委奴國王」の金印を授かった北九州にあった委奴國ではなく、邪馬台国に「親魏倭王」の金印を授けた
魏は後漢から権力を譲られたのだから
魏から倭國王とされるのも引き続き自分達だと思っていた
北九州の「漢委奴國王」の委奴國は当然のごとく
「親魏倭王」の金印を授かった邪馬台国を、倭國王とは認めない
「親魏倭王」の金印を授かった邪馬台国と、ことあるごとに敵対する
邪馬台国に自分の港を使わせるなんてことも絶対にしない
となると「漢委奴國王」の金印を授かった、北九州にあった委奴國は
邪馬台国と敵対していた狗奴国で
邪馬台国は北九州を、大陸への窓口として使えなかった
なんてバカしか考えない 真偽は別にして安本美典はやめとけよ
トンデモ町おこしになるで
ちなみにオレも九州派だがな 新羅の祖は神武の次兄の稲飯命
新羅の王子アメノヒボコが日本に来て垂仁天皇に会って
7つの宝物を献上して日本への帰属を願う
その際新羅は弟に任せたと語る
その後アメノヒボコは但馬で新たに妻をめとって定住して
持ってきたほかの宝物は但馬でアメノヒボコの子孫が継承する
あるとき垂仁天皇がその宝物も全部渡せと言ってきて
アメノヒボコのひ孫が渋りつつ献上する 後漢の光武帝から倭國王として「漢委奴國王」の金印を授かった委奴國は北九州にあった
その後漢から権力を、戦闘で奪ったのではなく、話し合いで譲られた魏・・の皇帝は、
「漢委奴國王」の金印を授かった北九州にあった委奴國ではなく、
邪馬台国に「親魏倭王」の金印を授けた
魏は後漢から権力を譲られたのだから
魏から倭國王とされるのも引き続き自分達だと思っていた
北九州の「漢委奴國王」の委奴國は当然のごとく
「親魏倭王」の金印を授かった邪馬台国を、倭國王とは認めない
「親魏倭王」の金印を授かった邪馬台国と、ことあるごとに敵対する
「親魏倭王」の金印を授かった邪馬台国に、自分の港を使わせるなんてことも絶対にしない
となると
「漢委奴國王」の金印を授かった、北九州にあった委奴國は
邪馬台国と敵対していた狗奴国で
邪馬台国は北九州を、大陸への窓口として使えなかった
つまり、邪馬台国は九州以外の地方の国
で
魏(220年 - 265年)の『魏志』倭人伝
帯方郡ー韓国−対馬國−一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(住吉)−投馬国(丹波)を経て邪馬壱國 古代九州北部の三勢力の関係:
みなと(=水・戸(門)=水辺のクニ)=後の「奴国」=今日の博多周辺
みなかた(=みなとの横方向)=今日の宗像(むなかた)
最初にみなとを支配した沿岸盆地の国。盆地は軍事的に有利。
スサノオ→天照に剣を噛み砕かせ→宗像三女伸(=権力放棄)
やまと(=山・戸(門)=内陸のクニ
そのうち、みなかたから覇権を奪取、港を支配し、鉄の輸入独占
天照→玉をスサノオにかみ砕かせ→男の神々が(=権力掌握)
なお、海幸彦・山幸彦の神話では、スサノオの剣が海幸彦の「釣り針」に
化けてるが、九州勢力(みなかた・やまと)と半島倭人との関係がわかる。 9代開化の子孫の父と
新羅王子アメノヒボコの子孫の母を持つ神功皇后は
三韓征伐で半島南部に出兵して属国にしたことになってる
これは神功が新羅王子の血を引いているからそういうことにしたけど
実際にやったのは15代応神天皇で母神功が助けた >>291
ちがうな。
魏代の邪馬台(やまと)の名が後世に大和朝廷に残ったということは、
漢代に邪馬台が覇権を有し、魏代には既に歴史的権威だったということ。
漢代に朝貢してたのは、奴国(博多)。
ということは、漢代は、邪馬台が配下の奴国に朝貢させてたということ。
魏志倭人伝の邪馬台は、三世紀頭の大乱で負けて、
男王(=剣を持つ王=権力追及)を禁止され女王卑弥呼を立ててる、
つまり、大乱で覇権を失い、名目上の盟主に落ちたということ。
この時、おそらく、奈良勢力(百済地域に接近し鉄を掌握か?)が
列島の覇権を握り、かつての盟主邪馬台に朝貢させたということ。 やまとは、みなとの覇権を牛耳れる軍事要塞の国。
つまり盆地の国。これが、やまと(邪馬台)の起こりの地。
@飯塚・田川の盆地 A日田盆地 のどちらかだな。
そのうち筑紫平野を押さえ、物流・軍事の拠点として大宰府
の地を最重要拠点として、西日本の覇権を握ったはず。 >>286
乱暴な言い方をすれば、勘違いや思い違い、脚色や創作が入っていたら記述の根本が揺らぐわけで
邪馬台国や卑弥呼なんて存在していたのかも怪しくなる。
ま、アトランティスの記述を信じて探してる人も実際にいるわけで
見方によってはそのレベルの代物でしかないと言えなくも無いよな。
証明の根幹である魏志倭人伝の信憑性は確かに確実でないのだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています