【ミステリー】「自転車」は2000年前から使われていた? 古代インド寺院で「自転車に乗る男性」の絵が見つかる
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2000年前の「自転車に乗る男性」
http://gakkenmu.jp/wps/wp-content/uploads/2019/03/gakkenmu.jp_jitensha2-1.jpg
インド南部タミル・ナードゥ州のティルチラーパッリ県に、パンチャヴァルナスワミーという名の寺院がある。それほど規模が大きいわけではなく、特筆すべき由緒もない寺院だが、2018年の7月ごろから、国内外から多くの人々が訪れるようになった。
その理由は、寺院内のレリーフにある。内部には陽の当たらない一角があり、そこの壁にあるレリーフに、どう見ても“自転車に乗っている男性”の姿としか思えない絵が描かれているのだ。
自転車が発明されたのは1800年代のヨーロッパだ。わずか200年ほど前の出来事でしかない。しかしパンチャヴァルナスワミー寺院が建立されたのは今から2000年前だ。時系列を考えればオーパーツ的な遺物ということになるのだろうが、レリーフに彫られているのは本当に自転車なのだろうか。
絵をよく見てみよう。レリーフの人物は、ショールと装束から、口ひげを蓄えたインド人男性と思われる。男性はハンドル状のバーの両端を握り、サドルのような箇所に座っている。一方の足はペダルと思しきものの上に乗っている。さらに、ペダル状のものがもうひとつあるのがわかる。車輪もふたつだ。描かれているものは、現代人の目で見れば、自転車であることは疑いようもない。
自転車には車輪と、そしてチェーンなどの動力装置が必要で、乗り手は倒れないように自力でバランスを保たなければならない。車輪が発明されたのは6500年ほど前の青銅器時代だ。インドでは、3800年前に作られたと考えられる二輪馬車が見つかっている。つまり、馬に引かせることでスピードを出す二輪馬車のメカニズムならば3800年前のインドで確立されていたことになる。
世界レベルで歴史を見れば、車輪は6500年前に発明されていたにもかかわらず、自転車が生れたのはそれから6000年も後だった。なぜこれほどの時間がかかったのだろうか。筆者は反対に不思議に思える。
だが、パンチャヴァルナスワミー寺院の自転車レリーフは、少なくともインドにおいて2000年前から自転車が使われていた可能性を示すものにほかならない。二輪馬車によって動力系統のメカニズムがわかっていれば、車輪の並びと動力源を変えるのはそれほど困難なプロセスではなかったかもしれない。
パンチャヴァルナスワミー寺院は、7世紀に古代タミール語で書かれた『テバラム』という古文書にも記録が残されているため、それなりの歴史がある寺院と考えるべきだろう。その一部にひっそりと残されたレリーフに自転車が描かれていたことにだれも気づかなかったことには驚きである。それゆえ、レリーフに対する疑念をあらわにする人も少なくないようだ。
人類全体の発展に寄与するのは、現代科学の大きな役割のひとつだろう。ただ、歴史に埋没している情報をつまびらかにしていく姿勢も、現代科学の存在意義だと思うのだ。今後の調査研究によって新しい事実が発見されることを心待ちにしているのは、筆者だけではないはずだ。
(ムー2019年4月号より抜粋)
パンチャヴァルナスワミー寺院の外観。内部に件のレリーフがある。
http://gakkenmu.jp/wps/wp-content/uploads/2019/03/gakkenmu.jp_jitensha3-1.jpg
http://gakkenmu.jp/archive/18681/ >>266
ゴムはなくても皮とか内臓が代役を果す可能性はあるかも。
ttp://www.cnta-osaka.jp//assets/images/spot/180/28-3-3.jpg
単純に毛皮巻いてクッションにするなんて手も。 >>55
それ、古代インドの部族間の戦いの時に、隕石の空中爆発が起こった記録やで。 ソースがムーって言うのでいまいち信用が・・・
ただインドだけにもしかしたらという淡い期待もあるw ロケットやUFOのでも思うのだがどうして現代に合わせた内容なんだ >>271
それは簡単
人が見たいように見るから
ただの炎の車輪の真ん中に人がいる絵でも似たようなものが現在あるなら
それに当て嵌めようとする
もしかすると未来に翼で移動する乗り物があれば、未来の人は天使の絵を見て
こんな時からこんな乗り物があったかもと言うだろうw 敗戦前からジープに乗ってた写真が出てきてるからな。
あり得る。 年代は調べられないのか?
後で置いたものとか
他と一体になっているおおきな石で差し替えは不可能なものでも後で彫られたとかもあるからな
それさえクリアしたら
こんなもの自転車以外の何物でもない
しかも金属製だ
しかもしかもパイプ製
おかしい点は形は今の自転車のデフォルメであること
2000円前に自転車が有ったとしても別の形だと思うな
おれの鑑定結果は
ニセモノ >>222
編集部は「学術誌だぞ!」って怒らなかったのか。 修復したら違う絵になって客が来るのは万国共通なんだね >>9 >>10
なぜなのか考えてしまった。
ムーかよ。 見た感じレリーフが割りと最近彫ったように見えるんだが・・・ これさー、偶然似た絵が書かれているだけで「あった」というのはどうよ?
例えば今の時代にタイムマシンの絵が書かれていたら、千年後の人が「この時代にはタイムマシンがあった」というようなもんじゃね? 寺院が2000年前に建立されたものだからってレリーフまで2000年前のものだとは全く言えんだろ 何でエジプト人は車輪の発想がなかったのかね。
車輪があればいいピラミッド完成も5〜6年早かったんじゃね? 湯船の底に空いた穴の先にいた「顔平たい族」から学んでコピーしたのかもしれない インド神話のトンでも武具や乗り物を考慮すれば全然おかしくない これはインドというよりむしろローマあたりに自転車があったという方が信じられるな
ローマは道が石畳だったし トラストフレームといい、スポークといい
完璧過ぎだろ
ほんとかよ >それほど規模が大きいわけではなく、特筆すべき由緒もない寺院だが
ほんの4〜50年ほど前までレリーフが製作されてたんじゃないかと予想。 >>146
日本は、牛車から発展しなかったのが不思議
馬車くらい普通にできたろ
なんでカゴなんて退化してるのか 西洋の初期の頃の自転車って
前輪が大きくて後輪が小さい造りじゃなかったか かなり前から言われてるだろ。この石碑、実は18世紀くらいに作られたんじゃないの? 寺院は2000年前からあったかもしれんが
自転車のレリーフは去年彫ったかもしれんしな >>1
めっちゃ現代風の自転車じゃんw
スポークあり車輪を作る技術が2000年前にあったと言うのかw
これで、チェーンがあったら完璧だったのにw どう見ても自転車に乗る車だん吉を描いたレリーフ
車だん吉が2000年前から生きてたはずはないから明らかにフェイク >>301
それは初期ではない。
ペニー・ファージングといっていわば中期ぐらいにあたる。 フリントストーンで原始人が石でつくった車に乗ってたけどあんな感じ Bicycle Carved 2000 Years Ago - Advanced Ancient Technology Proved?
Phenomenal Travel Videos
https://youtu.be/9zHHPCAao4k
動画を見る限りでは2018年まで誰も気づかなかった場所とは思えない 様式がおかしい、こんな二千年前のレリーフはあり得ない。
最近のインドはナショナリズムの高揚が歴史のねつ造や起源の主張に至っていて、
全インドの学術会議でさえ三千年前の核戦争のことが史実として学問界のトップの碩学の口から語られるほどだ。
日本ではムーのおかげでこういうのをエンタメとして受け止めることができるようになっているが、インド人は真面目だから本気にしている。
インドでムーを発刊することが、日本になし得るインドへの最も大切な貢献であるといえよう。 オーパーツみたいな物ってほとんど嘘だとバレて
つまんなくなったな ニセモノだニセモノ
この乗ってるポジションは現代のペダル式の自転車のもの
2000年前にチェーンが作れるはずないから
このような乗り物があったなら蹴って進むしかできないから足が地面につくようなものでないといけない どう考えても、タイムトラベラーだろ?
サドルとペダルは、ありえないだろ? >>1
まんま現代のチャリでワロタw
やめなよこういうの >>315
南インドの寺はこんなで今でも石工がいるからなぁ
他の同じような柱との違いを見てみたいもんだ
かなり厚い彫刻で削ったとしたらかなり目減りしてしまうと思うけど
見た感じ上下の模様から急に彫り下がってもいないので
元々何か出っ張っている装飾でもあったのかな >>1
これ宇宙飛行士と一緒で後から掘ったんじゃねーの? >>300
いや、江戸時代の京都では牛車が近代化されていたんだよ
なんと、牛専用道路! しかも半地下で石畳
変な刺激があると牛が暴れるので、牛の視界を遮る半地下にしたんだ
そしてこれなら、暴れても道の外には出ない(落ち着くのを待てばいい)
このハイウェーは明治になってそのまんま、鉄道に使われた >>300
戦国期の朝鮮征伐で使われた黒田家配下後藤基次考案とされる亀甲車なる戦車がある
https://i.imgur.com/NubydxW.jpg >>300
宗教的、政治的な理由も考慮せんとな
家畜を御しやすくするための去勢についての方法論が海外から伝わっていたにも
関わらず、可哀想だからという理由でそれらの処置がなされなかった
仏教的価値観が重視され、畜生の殺生も禁忌に近く庶民はウサギや鳥とか魚ばかり食ってた ウサギを1羽2羽と数えるのはそれが理由とよく人口に膾炙されている
ということで馬とかに大八車を引かせるのも暴走させたりしやすく、馬引きを江戸の町では禁止されてたというのもあったりする
後町民が馬車なんか使ったりすると武家を見下ろす事にもなり、そこら辺からも幕府の許しなんか出る訳もなかった
後急峻な国土の所為で陸上輸送よりも海運や川(運河)輸送が主流だったというのもあるかもな >>335
クルクシェートラの戦いだろ
あったらしいよ >>3
>インドの韓国化
半島の血がそうさせるんだ 古代インド人はある種の気で自転車を操縦していたと思われる 2000年前からスポークやリムがあったんだな
へぇー >>305
でも、エジプトでは戦車が走ってたからな >>308
無い
それは20世紀に新しく作ったもので
しかも現地ではそれを隠していたわけでもない >>357
壁に赤い塗料は古代遺跡の壁画には欠かせない鉄板中の鉄板要素。信憑性アップの必須アイテム。 >>1
スレタイは【ミステリー】じゃなくて【ムー】だろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています