■女系天皇、女系皇親の実例

法令用語の「男系」「女系」が最初に使われたのは、『旧皇室典範』の草案の『皇室制規』(女系容認案)。
『日本国憲按』の明治13年案には、「男統」「女統」という言葉もあった。
『皇室制規』では女帝と臣籍の皇胤男子(「皇位継承資格」のない男系男子)の間に生まれた皇子を、「女系」と定義。
つまり、皇統の「男系」「女系」は単なる血縁ではなくて、「皇位継承資格」の継承経路を指している。
出自制度の「男系」「女系」は所属出自集団を表す「姓」や「苗字」の継承経路で区別されているが、皇統の場合それに
相当するのが「皇位継承資格」。

 皇室制規
 皇位継承ノ事
 第一 皇位ハ男系ヲ以テ継承スルモノトス若シ皇族中男系絶ユルトキハ皇族中女系ヲ以テ継承ス男女系各嫡ヲ先キニ
 シ庶ヲ後ニシ嫡庶各長幼ノ序ニ従フヘシ
 第六 皇族中男系尽ク絶ユルトキハ皇女ニ伝ヘ皇女ナキトキハ皇族中他ノ女系ニ伝フル事第三第四第五条ノ例ニ拠
 ルヘシ
 第七 皇女若クハ皇統ノ女系ニシテ皇位継承ノトキハ其皇子ニ伝ヘ若シ皇子ナキハ其皇女ニ伝フ皇女ナキトキハ皇族
 中他ノ女系ニ伝フル事第三第四第五ノ例ニ拠ルヘシ
 第十三 女帝ノ夫ハ皇胤ニシテ臣籍ニ入リタル者ノ内皇統ニ近キ者ヲ迎フヘシ

「歴代天皇・皇親は全て男系である」という解釈は、皇統男系説を前提としている。
「男系継承の不文法」が存在した場合、「皇位継承資格」は初代天皇を起点として父から子へ受け継がれ、全天皇・皇親
が「男系」となる。
一方皇統双系説では親王位・王位が「皇位継承資格」なので、親王位・王位の継承経路が男子のみなら「男系」、間に
一人でも女子がいれば「女系」。
そして>>677で説明した通り、皇統男系説では継嗣令第四条の婚姻規制の必要性を示すことができない。
「男系継承の不文法」は存在せず、従って「歴代天皇・皇親は全て男系である」という解釈は誤り。

《女系天皇・女系皇親の実例》
〇天照大神を皇統の起点とした場合→全天皇・皇親
〇神武天皇を皇統の起点とした場合
@和銅8年(715年)2月の詔[元明天皇]―吉備内親王の子の膳夫王、葛木王、鉤取王(3世王、父は長屋王)
を2世王とする
A天応元年(781年)2月の詔[光仁天皇]―能登内親王の子の五百井女王、五百枝王(のち春原朝臣五百枝)
(5世王、父は市原王)を2世王とする
※@Aは選択的に父方の「男系王位」を破棄し、母方の「女系王位」を適用。
※皇位継承資格の序列は、「女系親王位>男系王位(継嗣令第一条)」「女系2世王位>男系3世王位(膳夫王、
葛木王、鉤取王)」「女系2世王位>男系5世王位(五百井女王、五百枝王)」となり、男系と女系は同格。

上記以外で女系天皇・女系皇親の可能性があるのは、B孝徳天皇(=軽皇子、皇極天皇の弟、父は茅渟王)、C漢
皇子(皇極天皇の子、父は高向王)、D有馬皇子(孝徳天皇の子)。
※「天皇」「皇子」「親王」と言った称号は律令制のものだが、軽皇子や漢皇子が皇極天皇の即位時に「王」から
「皇子」になったと認識されていたのなら、皇位継承資格はB姉から弟へ、C母から子へ女系で受け継がれたことに
なる。
※「母方のみ皇統の皇親(有姓の皇親)」は、違法([継嗣令第四条])なので存在しない。