【無神論】「無宗教」のアメリカ人、カトリック教徒を上回り最多に 米調査 ★4
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「無宗教」の米国人、カトリック教徒などと並んで最多に 米調査
2019.04.14 Sun posted at 15:34 JST
https://www.cnn.co.jp/usa/35135718.html
(CNN) 米国人の宗教観に関する調査で「無宗教」との回答がカトリック教徒やキリスト教福音主義派を上回って23.1%を占め、初めて首位に立ったことが14日までにわかった。
イースタン・イリノイ大学の政治学者でキリスト教バプテスト派の牧師でもあるライアン・バージ氏が、長年実施されている総合的な社会状況調査を新たに分析した結果となっている。調査の参加者は2000人超で、個別での面談にそれぞれ応じていた。
同氏によると、カトリック教徒は23.0%、福音主義派は22.5%だった。ただ、これら3グループの数値は回答率の誤差の範囲内にあり、統計学的には同一の数字と見なしている。
同調査では44年間にわたって信奉する宗教に関する同じ質問をしているが、今回のような数字の並びは初めてとした。
無宗教の層の激増は1990年代初期から始まった。91年以降では266%も伸びたという。今後4〜6年間は明白な最大勢力になるだろうとも推測した。
無宗教と答えた層はさまざまなグループから成り、無神論者、不可知論者、心霊主義者や特定の組織的な宗教にはくみしないとする人々などが含まれる。
無宗教の層の増加の背景要因については専門家の間でさまざまな見方が出ている。無神論者の団体責任者はインターネットの存在が要因とも分析。ネットは無信仰者が同様の思いを抱く者を見出せる場所を提供していると指摘した。
1980年代以降生まれのミレニアル世代に独自な傾向との意見もある。この世代は、事実確認に貪欲(どんよく)で世界について好奇心を抱くとも分析している。
関連
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★1の立った時間
2019/04/14(日) 17:26:13.70
前スレ
【無神論】「無宗教」のアメリカ人、カトリック教徒を上回り最多に 米調査 ★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1555294774/ >>662
遊郭に売られた女たちも奴隷ですよ
人身売買は普通に行われてた
日本とヨーロッパとの違いは
他国と陸続きだったヨーロッパは他民族も活用し
島国だった日本は国内だけで行われてただけです
良くないのは日本は欧米よりマシみたいな考え方で
それは一神教より多神教の方がマシとか言うのと変わらないのです
物事を考える際に自身をどこかに立脚させてしまうと
客観的判断が出来なくなります >>671
嘘々、それは君が作り話をしている。
アジテーションか何かだろうね。遊郭は非公式だから
お寺の過去帳には記録が残っているが、公式のである
宗門人別改帳からは抹消されている。
またキリシタンを弾圧していたと言う史実とも整合性が
取れなくなる。
これはね、日本では特別な身分が士族、公家、仏僧など
上にはあったけど下にはなかったので被差別民と
不可触民の区別が付いてないんだな、理解してないで
書き込んでいるコピペとかもよく見かけるし 差別とか宗教って難しく考えがちだけど要するに
当時の公衆衛生のことだ。昔は消毒やら細菌やら
よく分かってなかったからな。疫学的に対処するしかなかった。
日本だと差別は地域で分けていた。部落地区はその名残
ようは物理的に汚いので一旦入ったら、町に戻るには
日数が経ってからと定める、それがハレとケ。
おかげで町の清潔は保たれた。
一方で韓国やインドは身分で差別した。空間では
分けていないので町内ではごちゃ混ぜ。汚い業務を
する人たちを身分で分けたので、感染しないように
触れてはいけない慣習がある。
鶏が先か卵が先かは分からん。定めても日数を守らず
町に来てしまうので身分で差別するしか無かったのかも
知れないし、あるいは反対に都市行政が未発達だったので
身分で分けて業務を仕分けしたのかも知れない。 >>672
キリシタン弾圧が作り話みたいなものです
徳川が南蛮貿易を独占する為
及び宗門人別長を作成するのに利用しただけです >>674
さすがにそれは物的証拠もあるのにファンタジー過ぎ、
目的意図も理解不能に陥る。
論理的整合性も取れていない、宗門人別改帳を作成するために
奴隷貿易をしたって意味不明でしょ。
こっそり隠れて仏僧がやっていたかも知れないけどね。
人として扱われないのと、奴隷として扱われるのどちらが
マシかという議論ならまだしも、ありもしないことを捏造したらダメよ。
あと韓国では賎民のほうが常民より税金安いからすすんでなった
なんて事例もあったり、農奴は領主の支配下ではあるものの
特権が与えられていたりする。 >>675
キリスト教を禁止にすることで
庶民はキリスト教でない事を証明する為に宗門人別長に自ら登録されるしかなかったという構図です
宗門人別長の目的はもちろん徴税が目的です
貿易独占の方は
徳川は武力で日本を統治しているわけですが
諸国の大名および有力者が伴天連との南蛮貿易を通じて
鉄砲・火薬・アヘンなどを手に入れることを徳川は恐れたわけです
因みにこの徳川をコンサルタントしてたのがイエズス会です >>676
どこでそんなデタラメ吹き込まれたんだ
キリシタン弾圧の主な目的が奴隷貿易を排除するためだ
当時の世界は大航海時代で奴隷真っ盛りだぞ
なんかその辺を拗れている人いるんだよな。
あのね、昔のことではなくても現代でも売買春は日本では
ない事になっているんだよ。分かる?公式には売春は存在
しない国なの。
その前提を踏まえて、日本でも売買春はある、
売春は女性たちのセーフティネットでもあり貧困から救っている、
日本には性風俗で生きている貧困層もいるのであり、そういう
現実を見ることが大事なのです。
と力説したら訳が分からないでしょ、だって無いことに
なっているんだから。それを本当はあるけど政府が独占して
いるのですなんて言い出したら珍説でしょうよ。 それに奴隷にも文化があるからね
ロック&ロールとかもそう、聖書がそもそも奴隷の娯楽だし、
チャリティーや乞食も奴隷があった地域にありがち。
日本だとそうした文化が見当たらないんだな。
また代理出産も禁止、精子バンクや、卵子の提供も禁止、
いずれも人身売買を彷彿とさせるからだろうと考えられる。
もし日本にかつて奴隷があった地帯ならこんな禁じられて
いたり弾圧の痕跡が多いのも奇妙なんだ。
どうやら士族に奴隷が発生しないように弾圧をさせていた
ようなんだな、それで商人は放っておくと人身売買始めるから
厳重な監査対象だった。妾とかいたようだしな。 >>677
奴隷貿易を排除したのは
日本の尊厳を守る為的な事が理由ではなく
(日本の支配者層はそんな人道的連中ではありません)
奴隷と引き換えに鉄砲・火薬・アヘンを入手してたからなんですよ
因みに豊臣が利休を処刑したのは
利休がそのバイヤーだったからです
利休はその取引をやる場所として独自の様式の茶室を作ったのです
しかし秀吉も伴天連追放令を出しながら
フロイスやヴァリニャーノを追放などしてないのです >>679
悪いけど根拠がなさすぎる。
名誉のために残忍なことをしていたと言う
批判ならありえるが、名誉を重んじなかったと言うのは嘘っぱちでしょう。
またそれもよくある、ほとんど捏造的な解釈なのだが
それを受けてどうしたか?なんですよ、そこが重要なわけ
そしたら何をしたかといえば、止めたわけですよね、つまり止めた。
あなたがやりたいのは安穏と暮らしている人々に
過酷な現実を知らせて、それに耐えうるだけの精神を育ませようとする
農民一揆みたいな話なんだな。一種の革命論なんだよ。
でも実際に奴隷を排除した人にその革命の論理を使っているもんだから
時系列が逆向きになっていて、そして支離滅裂になってるんだよ。 日本の魔の手が民衆に迫る! とこう言いたい訳でしょう。
しかしその前に世界が奴隷貿易真っ盛りなんだよって事実を
認識しないとならないわけだ。横行していたから日本も当然
巻き込まれた。巻き込まれるのが嫌だから禁じた。
その事実を逆から見て、日本も奴隷貿易してましたと
言うのは転倒があるよね。
日本は国力が衰えてグローバル化の波が押し寄せると
奴隷に近い状態になりがちではある。戦国時代だったから
色んなことがグチャグチャだったんだよ。 >>680
時系列に沿って説明してますよ
で、オフィシャルストーリーでは現実との矛盾があるのです
その理由を論理的に説明してるだけです
大事な事は世界中で支配者層と従属層の関係は同じような物であり
宗教はその支配者層のツールだという事です
また、支配者層にとって宗教は統治のツールとして最適ならば
何でもかまわないという事です
因みに徳川家康と言うのは
徳川→徳のある川→ヨルダン川
家康→イエズスです 詭弁は宗教原理主義者がシステム的に作ったのは間違いない
それを磔にされてまで証明した人が居た
だが詭弁主義者の恐ろしさは、ここで終わらなかった
なんとその証明者を神格化して詭弁主義の宗教団体を立ち上げた 宗教の発生は、やはり、
「死の合理化」を、人間はできにくいなどから発しているのかな。
人間の死体であっても、それは物質であるのだから、
「生ゴミと全く同じく、それらを区別せずに同じく処理すればよい。」
とまで合理化してしまえる人間は、一般的には「狂人」と呼ばれるだろうからね。
>>682
だから説明できてないんだって、あなた自分で自分の言いたいことが
分からなくなってるわけ。
・日本も奴隷があったから良かったねと奴隷を要求しているの?
・それとも奴隷を忌避しているの?だとするとそれは日本は
鎖国によって目的を達成したのだから奴隷貿易が(公式に)あった
と言うのは事実と異なるよね。
と言うか李氏朝鮮や、アメリカの奴隷制度の歴史とか
知った方が良いと思うよ。ちょっとあなたのは奴隷に憧れを
抱いているのだと思う、ノンプア・コンプレックスの類でしょう。
あと、>>678もそうだけど今日の日本の状況と異なっている件に
説明が出来ていない。 >>657
ということは、
Siriが語る内容は真実ではなく、
アップル社の利益を増大する内容に限定されるわけだ。 >>687
Siriが「神様は存在しません」と言うと
詐欺宗教団体が怒るでしょ
商売の邪魔するなって >>657 NHKから、文化人としての出演として、依頼が来て、
「出演してもいいが、その番組で、神はいない!と言わせろ」というと、
すぐに出演依頼をキャンセルされるそうだ。
NHKが信心深いのだろうとは思わないが、
やっぱり各方面に、やばい事になるからなんだろうね。 >>685
>日本も奴隷があったから良かったねと奴隷を要求しているの?
日本も奴隷はいました私が紹介した人々は奴隷です
貴方は欧米の奴隷制度との相違点を持ってそれを認めたくないだけです
日本は西洋のような野蛮な国では無かったという事にしたいからです
>奴隷貿易が(公式に)あったと言うのは事実と異なるよね。
何ですか公式と言うのは?あった無かったの話に公式非公式など関係ありません
で、あったのは事実でそれを秀吉が是とせず止めさせたも事実です
しかし私が言ってるのは、その理由は日本人を伴天連に売り渡すなど屈辱だなどと言った理由ではなく
伴天連と奴隷貿易をしてた連中が秀吉を脅かす
鉄砲や火薬を受け取っていたからだと言ってるのです >>684
もっと単純な話で、死の恐怖や悲しみに人間が耐えられないということでしょう
人は死ねばそこで終わり、その後は何も無し、では怖くて悲しくて耐えられない
でも死は終わりではなく、天国に行くとか転生するとかいつか復活するとか信じることで恐怖や悲しみを減らす(又は無くす)ことができるなわけだ
勿論これだけが宗教の由来ということもあるまいが、大いに関わっている問題ではないかな >>691 説明、ありがとう。
実はそれらの意味を含めて、「死の合理化」といったつもりだった。
言葉足らずな面を、説明してくれて、とてもよかったよ。 >>692
ただ、それでも人は死んだら終わりだと思ってるけどね
だからと言って、「死体はただの物体で生ゴミ同然だ」なんて割り切っているわけでもない
それはまた別の話だと思う >>690
それはオリエンタリズムへの批判だね。
日本は平和な国であり奇麗な国だったという思い上がりを
ねじ伏せたいと言う気持ちで挑んでいたわけでしょ。
でもそういう批判は正しくしないと効果がないと思いますよ。
遊郭にしても地域差があったようで西の京都では外を歩けるけど
東の江戸では実質監禁されているようなもので外出禁止。
つまり都市は奇麗な事は奇麗なんですよ、だって外に
出ないように閉じ込めていたのだから。妓楼にしても遊女を売る
ためと言うより、遊女を使って稼いでいるわけです。
中には高い金を出して買っていく人もいるようで、妾と呼ばれる
身分のようなものもあるんですよ。
関係ないわけないじゃない、その公式にしたかどうかによって
日本の態度が分かるんだから。非公式にしているから公式な
対応が取れないので権力がスムーズに動かせない、それは
今でも弊害として表面化することがあり、例えば性病が蔓延して
いるけど性風俗はない事になっているから動けないわけだよ。 >>694
君と違って私は感情論なんかで歴史検証しませんよ
その時代に生まれてもいない私には思い入れなんかないですから >>695
感情的なのはあなたですね
やはり見方が偏っている、差別と言うのは
カント的に言えば〈物自体〉に貼りついた属性を切り替えることで
世の中を動かしていく力のことなんだ、これをシンボルと呼ぶ。
奴隷とは何だというと、ヒトであり、なお且つモノでもある。
ヒトとして見れば人倫に背いていると責められ、
モノとしては経済力になる。どうやらヒトとしての人道に注目
しているようだけど、経済的に見てみると西洋では庶民の
所有物だったから飼えばそれだけで労働力になるわけだ。
裏を返すと日本の庶民は奴隷を買うことができないので
代わりに奴隷の仕事もやらなくてはならなくてキツイわけだよ。
中には王族や貴族たちのお気に入りもあって、それが道化と
呼ばれる人たち。道化は障害者であることが多く、教会は障害は
罪だとか徳が低いなどと言って迫害した。
道化は奴隷としては使い物にならないポンコツ品だけど
それを気に入る人たちもいたわけだな。 >>697 ゆる過ぎて、精神的支えにならなかったら、
いざという時には役立たないかもしれないぞ。
戒律厳しくても、いざというような苦難の時期に、それが支えになる。
そうだからこそ、宗教の価値があるという見方はできそうに思えるが。
例えば、ユダヤのあの執念深く生き延びようとする原動力の根幹には、
全然ゆるくはないユダヤ教の戒律があるのでは、と思えるのだ。
>>699
そう。神道の神々は生きた神々ではないわな。どう言えばいいのかな。
信じても生きている人間に働きかけることがない。働きかけるとしてもそれは
高貴なことでもないし善くもない。つまり、ゆるいのではなく信じるに値しない神々。
死んだ神々と言っても過言ではないだろうなあ。 >>698
>それはオリエンタリズムへの批判だね。
>日本は平和な国であり奇麗な国だったという思い上がりを
>ねじ伏せたいと言う気持ちで挑んでいたわけでしょ。
こんな了見で相手が説を唱えてるなんて
貴方自身が感情で語ってるからそう思ってしまうんですよ >>700 興味深い意見だね。
つまり神道の神々は、「神の死骸」ということか?
でもそんな意見や解釈、今まで聞いたことがなかったよ。
それ本当? >>701
あなた>>690で思いっきり自分の考えを表明してましたよ
それに対する意見ですよ、それ。 >>323
なんかバタイユお勉強しました臭なレスだなあw 昔は海外の人に無宗教と言うのはやばいと聞いた覚えが >>705 お勉強ではなくて、本当に視点が変わるというのが、バタイユ。
フーコーなんかも、あっそうだったのか。そうとしての認識で、すぐにこれから歩き出します。
みたいになったりもするかな。
思想がファッションでなく、本当に見方も行動も変えるのね、といった例になるだろうね。
無宗教の葬式って燃やすだけ?
俺今死んだとしたら多分お経読まれたりするけど正直意味とかよく知らないし、死んだ後釈迦の弟子になりたくないし戒名とか仰々しいのもいらない。 >心霊主義者
ユグノーか
こいつら複音派の亜種やんけ
つか無宗教と思ってるだけで結局こいつらユダヤ系カルトだらけだろ >>698
その時代で障害者に援助するのは宗教組織しかないけどね。 >>704
考えと感情って違いますよ
例えは自分は日本人だから
日本の歴史や偉人と思ってた人物が大したことが無かった的な考察は嫌だとか
身近な神道や仏教が、自分が駄目だと思ってる一神教と五十歩百歩にされるのは納得できないとか
こういった物が感情です
自身を何らかの理由でどこかに感情移入させて論じるのが感情論なんですよ
私はそんな自身をどこかに立脚させて歴史検証をしてないですから >>710 死は不可避なので、怖がっても無駄。
死を必然的な前提とした場合それは不可避なので、
つまり「死を怖がっている時間」は、結果として無駄な時間消費となりやすい。
だからそんなのは無視して、もっと楽しい事をやったほうがいいだろう。という事になる。
>>713
支援しているのは貴族や王族みたいだよ
むしろ障がい者は権威化する恐れがあるのか、詳しいことは
分からんけど迫害する側だったようで >>97
そもそも「人」を描くのもOUTじゃなかった?
だから壁画や装飾を幾何学模様にしてるらしい。 >>711
若い頃は積極的にそうしてくれって思ってたが、オッサンになったら送る立場になる人が好きにしてくれって思ってる。
送る人の気持ちや世間体ってもんがあるから、死人が口出すこっちゃないかなと。 >>714
いやいや、してますよ
その奴隷のイメージってかなり実体とは異なってますから。
あなたがやっている事、と言うか求めているのは対象aですね。
欲望の原因としての対象のことです、先ほどから全然無関係な事ばかり
言っているので会話がかみ合ってないんですよ。
あなたの中にあるイメージがあって、それを求めていて、
彷徨っていると言う事でしょう。
なので奴隷がいないという事実に対して、特定の観念が発動しているんです。
突然、自分が解放軍になった自己像のイメージを作りたがっている。
そしてその解放された感覚が客観性と結びついているので、
事実の羅列よりも解放されたい衝動に自己を投影しているのだと思う。
その投影はあくまで気分なのだけど、まるで客観的なものであるかのように
感じられる。 スレタイがおかしい、無神論と無宗教は違う
宗教を信じなくても神仏への個人的な信仰心を持つ人もいる >>719
では奴隷で検索してWikipediaでも見てください 奴隷の話題が、長引いているようだが、
神と奴隷は、本来深い関係にあると考えられるのかな?
神が存在するとされることによって、聖なるものと碑なるものが創り出されて、
碑なるものが奴隷とされる。
だから奴隷の誕生と、神の誕生は時を同じくする。
というような説になっているのかな? >>721
日本語版Wikipediaでは参考にならないんじゃないかな。
そもそも、奴隷の取り扱い方法とかあんま考えない方が良いわけです。
穢らわしい件なので思考がみるみるおかしくなります。
例えばですよ、奴隷は強姦が是なんですよ。なぜって奴隷と
自由恋愛なんて出来ないわけですから少なくとも形式的には強姦です。
された側も良い子種を貰えるからうれしい訳です。
ヒトであり、モノであり、飼育動物でもある、複合的な性質を持っている。
本質はシステム的だけどそういう発想はしてもらいたくない、
日本社会なら尚更だ。人質を使った交渉だとか、あるいは保険金殺人や、
もしくは臓器の売買や、臓器用に作られた人体など
奴隷制を考えると言うのはそう言うことでしてね。 >>722
神様の誕生は最近シュメール神話の発見により更新されて
五千年前になった。確認される限りは文字の誕生と同時なのは
変わっていない。
なお龍という字は気候からきているようで稲妻で、
文字ではなく像としては八千年前からあったと考えられていはいるが
明確な起源は相変わらず謎のまま。
奴隷の起源はいつからなんだろうな、分からないな。 >>724 奴隷と王との通底はあると言われてるよね。
よく言われる、革命で全部ひっくり返して、王となれるのは、何も持たざる奴隷身分から生じるのだ、みたいなね。
ところで、
神とそれを司る聖職者と、奴婢である奴隷との通底は、やはりあったのかな?
神の僕(しもべ)いうのは、神の奴隷であると宣言しているのも同然だろうという言い方もできるしね。
そういや、日本国内のキリスト教系の学校で、「聖隷なんとか」って名乗ってる学校もあるよね。
奴隷と聖職者って、とっても近接しているのかもしれないね。 葬式以外にも
学歴教とか会社教とか
年収教とかセックス教とか
科学進歩正しい教とか
動物を食うのは罪ではない教とか
いろいろある
疑わずそれらを信仰してるのは
宗教そのもの >>725
革命勢力は、貴族や労働者などの市民だよ。
王は一国の長であり主、奴隷はモノだよ。
王様は帝に対して弱い、拡大する勢力に取り込まれてしまう。
皇帝は一国だけでなく複数の国を支配する帝国の長です。
皇帝は聖と俗の二つの性質を持っています。
そして奴隷も人倫と経済の二つの性質を持っています。
そして拡大する勢力にとっては安価な労働力である奴隷は魅力的であり、
また他国を侵略した際はとりあえずその国の人は奴隷になります。
そしてしばらくしたらモノであった奴隷をヒトに切り替えるんです。
そうなると奴隷の持ち主は大変だ、ある意味奴隷も大変だ。
奴隷の価値がゼロになってしまい経済は大混乱する。
とかく皇帝は奴隷の扱いには苦慮するわけです。迂闊に手を出せない。
解放してしまうと経済的なダメージで恨みを買い暗殺されたりします。
このことが分かっている地帯は意図的に奴隷体制にしたりもします。
最初から奴隷がうじゃうじゃいるような地帯なんて帝からすると
制圧したくないのです。 >>693
死体は生ゴミとまったく同じだよ
生きている人と死んだ人はまったく性質が異なる
そもそも土葬は人の死体専用ゴミ捨て場だし火葬は人の死体専用焼却炉だから そもそもアメリカはプロテスタントの国ですからね。
無宗教の人はそれだけ地域との繋がりがない人なんだと思いますね。
そして、以前も言いましたように、無宗教の人は思想的に幼い人が多いのです。
無宗教の人にとっても神はいるのです。それは会社のボスだったりね。
儒教や共産主義と一緒でね、”私は宗教など信じない”とわめいてる人が
儒教思想や共産主義の幼稚なガリベン階級社会文化にどっぷり浸かってると
笑えないですからね。 >>162
一神教の人たちにとっては東大寺であろうと伊勢神宮であろうと
“ちいさなほこら”に過ぎないって話は聞いたことがある 題目やニセ本尊拝んでも何の功徳も無いから共産党に入党したほうがマシ こうやって宗教家ってマウント取りしかしないもんな
普通に会話してて嫌じゃんこんな連中はさ >>732 そりゃそうなんだろうね。
神社では、天に届くという感じが弱い。
キリスト教会などだと、背景からして天の神に届けてくれそうな仕組みが感じられる。
ところで、イスラムのモスクでも、そのように天に届くようには感じられると思うのだが、
キリスト教もイスラム教も、その届く天の神様のトップは同一なわけだよね。
「あ〜、時間なくて通りがかりだけど、モスクで祈らせて」とかいうキリスト教徒や、
その逆の例としてのイスラム教徒がいないってのは、神社な日本で育った私には、どうにも解せないのだ。 >>736 無神論は警戒されるし、無宗教も無神論と混同されやすい。
だからそのようにジョークでかわすという現実的手段となったのかな。
実際に、その教団を立ち上げて、億人の信徒を集めれば、もっと楽しくなるかもね。 キリスト教の矛盾。イエスが起こした奇跡を信じろと言う一方でそういった奇跡や神秘体験(天啓、神の声、悪魔、天使たど)を寓話や比喩として解釈すること。
神学、聖書解釈(解釈学)の伝統における主要な三つのアプローチでは。
1字義的アプローチ、2寓喩的アプローチ、3適応。このうちの1と2は、特に問題ないと思うけど。
2の寓喩的アプローチだと、神の声や悪魔、天使や奇跡を寓喩つまり、比喩だって解釈しちゃうから信仰も何もなくなっちゃうような気がするけどな。
宗教が哲学化、学問化しちゃう危険性があると思うんだよな。
と言うことは、イエス・キリストの奇跡も復活も寓喩つまり比喩だってことにもなるよね。そう、解釈も出来る。
これは、違うんじゃないかなと思うけど。宗教って人を救う物だろ、哲学化や学問化したら宗教じゃなくなる。 A.E.マクグラス著の科学と宗教。キリスト教の聖書に限らず宗教の聖典って霊感(トランス状態)を受けて書かれる物だよ。それを、寓喩。つまり、比喩や寓話だと解釈するのは違うと思うけど。霊感を受けて書かれたら、霊感を受けたのは事実はわけだ。
寓喩的な解釈だと、仏教では釈迦が菩提樹の下で悟ったのも
寓喩なのか、イスラム教のムハンマドがジブリールから神の声を聞いた、預言を受けたのも寓喩なのか。
このやり方は、違うと思うけどな。そう言えば、仏教が近代に入って
学問化、哲学化したのもキリスト教の神学的な解釈をしてるからなのかもしれないな。
近代仏教学では、悪魔は心の中にのもので外にあるものではないと
解釈してるし。
何でも欧米人の言うことを鵜呑みにするのは、どうかと思うが。欧米人だって、間違ったことは言うし。案の定、先進国では、キリスト教の信仰心が低下してる。 >>741 >奇跡を信じろと言う一方でそういった奇跡や神秘体験
奇蹟については、特にカトリックでは、
「奇蹟認定会議」みたいな宗教会議が必ず持たれて、それによって「奇蹟」となる。
端的に言うと、「奇蹟」認定ルートという利権構造が確立されているようなものであって、
それ以外を奇蹟として崇めてはならず、そして認定された「奇蹟」ならそれを崇めよ。
というように、ほぼ固定された「利権構造」となっているのだ。
それら「奇蹟」の効用によって、信心を深めるとか、信者の増加へと繋がるので、
それらは、宗教組織維持としては、キャンペーン材料としては必要とされる構造になっているのだろうね。 人間が二千年くらいでそんな進化するとも思えないし
宗教はしょうもないが衆愚はもっと酷いのは歴史が証明している >>740
天理教が案外そういう経緯で発案されてたりして キリストは実際に復活したのではなくて精神的に信者の心のうちとかに復活したのだという
いかにも現代人が好みそうな説を唱えたグノーシス派との神学論争を1,2世紀頃に経験済みなのが
キリスト教なのだという。グノーシス派の説は否定された。
殉死した信者の信念を教会が吸収し続けるには教説が理性的である必要はなかったんですな。
ただ信じさえすればよい。
そうした引き出しが2000年分あるということの意味をたぶん生きている人間には理解できないにちがいないよ。 >>746 本当に、現物で生きて甦る。
このような復活の、スペクタクルがなくては、そのコンテンツの魅力が失せるわけよ。
そこらは現在のハリウッド映画での、作品成立要素と同じ。
「人はみな愚か。衆愚の興味へと訴えて、そしてそれらを信者として獲得せよ。
現実的な数量的解決と発展とは、そのことだ。」
ということで、キリストの復活は、新約聖書に組み込まれてしまい、
後の多数の宗教会議でも、そちらを優先するとされたのであろう。 日本でこのアンケートをやると当然、仏壇と神棚両方ある家が多数出るだろうがその場合どう回答したらいいんだろ 聖書の伝統的解釈のうちの一つである。
寓喩的解釈は、本当にこれでいいのか。
ガリレイ・ガリレイを異端審問で裁いた時も、伝統的な三つの聖書解釈で裁いた。
寓喩的な解釈って本当にこれでいいのか?この解釈方だと、荒野の誘惑もイエスが起こした奇跡も復活も比喩になるけど。いいのか、これで。この解釈方だと
密教の仏も菩薩も比喩になるな。てか、空海の修行も比喩なのか?密教がなりたたなくなるから、比喩じゃ困るんだよね。
>>字義的ではない、あるいは寓喩的アプローチで、聖書のある区分では完全に文字通りに読むことはできないように書かれている、と主張するものである。中世には、聖書の三つの字義的ではない意味が認められていた。
これは、十六世記の多くの著述家からは、何かを誇張したものとしてかんがえられていたのである。
この見方では、創世記一章を詩的ないし
寓喩的記述として考え、そこから神学的、倫理的原則を導き出し、地球の起源に関して、字義的解釈によって歴史的事柄として取り扱うことはしない。(科学と宗教 A.E.マクグラス) その、自称無宗教のアメリカ人が、日本に来ると、
日本人の宗教観にケチをつけるんだからな。
無宗教なら黙ってろ。 >>746
そうやって理性を封殺してきた結果が、十字軍という名の略奪であったり、サン・バルテルミの虐殺だったり、魔女裁判であったり、明白な天命という美名の下に行われた侵略行為だったりするわけですよ
その引き出しにはゴミが詰まってるの 欧米人が仏典を神学と同じような解釈をしたから、仏教が哲学化・学問化(内面化)したんじゃないかな。近代仏教学は、欧米から入ってきたものだし。
聖書の伝統的解釈の寓喩だと、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたのも比喩なのか。浄土教の極楽浄土は比喩なのか。
密教は、神秘的な体験を通して悟りを開く宗派だけど、菩薩も仏も比喩なのかね。
これは、解釈というより奇跡とか神秘的体験の排除だと思うんだが。
一方で奇跡を信じろと言いながら、神学者たちは奇跡を神秘体験を
比喩として解釈して
神学を勉強する。
これって、宗教じゃなくて哲学だろ。哲学と宗教の違いがなくなってしまうだろ。
俺は、奇跡や神秘的体験は残しとくべきだと思うんだがな。 本当はみんな神なんているわけないの分かってんでしょ?
こんな文明社会で何言ってるんだか >>751
理性の名の下に大量虐殺したのが共産主義。
理性主義とか今更はやらんな 創世記の神の声が聞こえたのも比喩なんだな。う〜ん。神学者自体がこういったものを、比喩だって言ってるからね。
神を信じろと言われても、キリスト教にかかわってる現場の人間が奇跡とかを本当の意味で信じていないのだから、どうしようもないもんな。
>>神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」??
>>次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。?? >>753
神が実在するか否かという問題とは何の関係も無く
人間の精神の構造的要請として神を必須としている
そのことが重要なのであって前者ははっきりいってどうでもいいこと 実際に大学で聖書を教えてる牧師自体が神の声とかを比喩だと言って信じてない。
だから、カトリックの神父やプロテスタント牧師が若者が神を信じないと嘆くが。ローマ法王(フランシスコ法王)自体が唯物論だからな。
日本人が思ってるほど、西洋人は信仰深くないと思うよ。 水はどう頑張ったってワインにはならないからね。
奇跡を心から信じるためには、科学に対しては目も耳も塞ぐしかない >>757
宗教が扱うのは例外もあるにせよ基本、超越の問題
そして超越ってのは検証可能性の外部なのであり、比喩以外に語りようが無い いまだに宗教なんか信じてるのは、
思い込みの強すぎる異常者のみ。
犯罪予備軍。 プロテスタントの話だけど。牧師が教えてる内容じたいがこんなのだぞ。
> >「アブラハムはここで神の声を聞いたわけですが、ここで素直に神の声を聞いた、と読んではいけませんよ。本当に聞こえたら、それは頭のおかしい人ですからね」
> と仰ったんですね。
クリスチャンは、自分たちは他宗教の信者のことを無信仰とか馬鹿にするが。
本当の意味で神を信じてるかどうかと言われたら似たようなものだろ。
>>Re: はじめまして。
> はじめまして、城戸崎と申します。
> 僕はキリスト教系の大学に通っているのですが、大学の必修科目だったキリスト教の授業がきっかけで、キリスト教に疑問を抱くようになってしまいました。
コメントありがとうございます。
キリスト教の大学のクリスチャン率がどのぐらいかは知らないのですが、
まさか、全員がクリスチャンではないですよね。むしろ、「普通の人」の割合の方が圧倒的に多いですよね?
そんな普通の人がキリスト教の授業を受けたときに、本当に素直にキリスト教を受け入れられるのか興味がありました。
> その教授はどこかの牧師をやっているとかいないとか仰っていたのですが、アブラハムがイサクを捧げる場面の解説で
> 「アブラハムはここで神の声を聞いたわけですが、ここで素直に神の声を聞いた、と読んではいけませんよ。本当に聞こえたら、それは頭のおかしい人ですからね」
> と仰ったんですね。
> 「それを言っちゃったら信仰も何も無いのでは…」と思いました。
出ましたね。クリスチャン特有の「言い逃れ」です。聖書の中の都合の良い箇所は、「聖書にこう書いてあるから」と文字通り解釈するのに、都合の悪い箇所は「文字通り解釈してはならない」と言い訳するのです。とにかく、その場その場の都合で聖書の記述を解釈するため、
聖書の解釈に一貫性がないのです。
これがクリスチャンの習性です。
> それ以降、キリスト教について自分なりに調べまくっている中、このブログにたどり着きました。
> 幼い頃からキリスト教に関わってきたわけではありませんが、記事がどれも的確なご指摘であるため、最初から読まていただくことにしました。
的確と言いますか、理論的に考えればそういう疑問が出るはずなのに、クリスチャンはなぜ気付かないのか不思議に思います。
> これからも、どうぞお疲れの出ませんように。 宗教が無ければどういう世界になっていたか想像してみるといいよ >>753 神と信仰体系は有効なツールであったりもするのだよ。
それは支配する側の方便以上に、信者側の精神的支えとしても、実際に有効に働く場合があるのだ。
神は実在するよ
この世はもうすぐ終わる
そして裁判が始まる >>759
神の考えることは人間にはわからない。
これを、仏にすると。仏の考えることは人間にはわからない。
仏は何でも見通してる。神にすると。神は何でも見通してる。
う〜ん。超越と言われても。 バカだから科学的な話はさっぱり理解できないけど
スピリチュアルや宗教の話はすいすい頭に入るんだわ 子供のころ、ありんこ飼育キットというのがあったが、アリはまさか自分を飼育している人間がいるとは思わないだろう
この世界も同じこと >>768 面白い意見だね。
だから神は存在するかもしれないが、別に人格者でもない、最低な奴かもしれないんだよね。
困ってる人や現状苦しんでる人が
救われないなら科学なんて一円の値打ちも無いだろ
気持ちだけでも救われる宗教の方がマシじゃね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています