【無神論】「無宗教」のアメリカ人、カトリック教徒を上回り最多に 米調査 ★4
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「無宗教」の米国人、カトリック教徒などと並んで最多に 米調査
2019.04.14 Sun posted at 15:34 JST
https://www.cnn.co.jp/usa/35135718.html
(CNN) 米国人の宗教観に関する調査で「無宗教」との回答がカトリック教徒やキリスト教福音主義派を上回って23.1%を占め、初めて首位に立ったことが14日までにわかった。
イースタン・イリノイ大学の政治学者でキリスト教バプテスト派の牧師でもあるライアン・バージ氏が、長年実施されている総合的な社会状況調査を新たに分析した結果となっている。調査の参加者は2000人超で、個別での面談にそれぞれ応じていた。
同氏によると、カトリック教徒は23.0%、福音主義派は22.5%だった。ただ、これら3グループの数値は回答率の誤差の範囲内にあり、統計学的には同一の数字と見なしている。
同調査では44年間にわたって信奉する宗教に関する同じ質問をしているが、今回のような数字の並びは初めてとした。
無宗教の層の激増は1990年代初期から始まった。91年以降では266%も伸びたという。今後4〜6年間は明白な最大勢力になるだろうとも推測した。
無宗教と答えた層はさまざまなグループから成り、無神論者、不可知論者、心霊主義者や特定の組織的な宗教にはくみしないとする人々などが含まれる。
無宗教の層の増加の背景要因については専門家の間でさまざまな見方が出ている。無神論者の団体責任者はインターネットの存在が要因とも分析。ネットは無信仰者が同様の思いを抱く者を見出せる場所を提供していると指摘した。
1980年代以降生まれのミレニアル世代に独自な傾向との意見もある。この世代は、事実確認に貪欲(どんよく)で世界について好奇心を抱くとも分析している。
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2019/04/14(日) 17:26:13.70
前スレ
【無神論】「無宗教」のアメリカ人、カトリック教徒を上回り最多に 米調査 ★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1555294774/ >>710 死は不可避なので、怖がっても無駄。
死を必然的な前提とした場合それは不可避なので、
つまり「死を怖がっている時間」は、結果として無駄な時間消費となりやすい。
だからそんなのは無視して、もっと楽しい事をやったほうがいいだろう。という事になる。
>>713
支援しているのは貴族や王族みたいだよ
むしろ障がい者は権威化する恐れがあるのか、詳しいことは
分からんけど迫害する側だったようで >>97
そもそも「人」を描くのもOUTじゃなかった?
だから壁画や装飾を幾何学模様にしてるらしい。 >>711
若い頃は積極的にそうしてくれって思ってたが、オッサンになったら送る立場になる人が好きにしてくれって思ってる。
送る人の気持ちや世間体ってもんがあるから、死人が口出すこっちゃないかなと。 >>714
いやいや、してますよ
その奴隷のイメージってかなり実体とは異なってますから。
あなたがやっている事、と言うか求めているのは対象aですね。
欲望の原因としての対象のことです、先ほどから全然無関係な事ばかり
言っているので会話がかみ合ってないんですよ。
あなたの中にあるイメージがあって、それを求めていて、
彷徨っていると言う事でしょう。
なので奴隷がいないという事実に対して、特定の観念が発動しているんです。
突然、自分が解放軍になった自己像のイメージを作りたがっている。
そしてその解放された感覚が客観性と結びついているので、
事実の羅列よりも解放されたい衝動に自己を投影しているのだと思う。
その投影はあくまで気分なのだけど、まるで客観的なものであるかのように
感じられる。 スレタイがおかしい、無神論と無宗教は違う
宗教を信じなくても神仏への個人的な信仰心を持つ人もいる >>719
では奴隷で検索してWikipediaでも見てください 奴隷の話題が、長引いているようだが、
神と奴隷は、本来深い関係にあると考えられるのかな?
神が存在するとされることによって、聖なるものと碑なるものが創り出されて、
碑なるものが奴隷とされる。
だから奴隷の誕生と、神の誕生は時を同じくする。
というような説になっているのかな? >>721
日本語版Wikipediaでは参考にならないんじゃないかな。
そもそも、奴隷の取り扱い方法とかあんま考えない方が良いわけです。
穢らわしい件なので思考がみるみるおかしくなります。
例えばですよ、奴隷は強姦が是なんですよ。なぜって奴隷と
自由恋愛なんて出来ないわけですから少なくとも形式的には強姦です。
された側も良い子種を貰えるからうれしい訳です。
ヒトであり、モノであり、飼育動物でもある、複合的な性質を持っている。
本質はシステム的だけどそういう発想はしてもらいたくない、
日本社会なら尚更だ。人質を使った交渉だとか、あるいは保険金殺人や、
もしくは臓器の売買や、臓器用に作られた人体など
奴隷制を考えると言うのはそう言うことでしてね。 >>722
神様の誕生は最近シュメール神話の発見により更新されて
五千年前になった。確認される限りは文字の誕生と同時なのは
変わっていない。
なお龍という字は気候からきているようで稲妻で、
文字ではなく像としては八千年前からあったと考えられていはいるが
明確な起源は相変わらず謎のまま。
奴隷の起源はいつからなんだろうな、分からないな。 >>724 奴隷と王との通底はあると言われてるよね。
よく言われる、革命で全部ひっくり返して、王となれるのは、何も持たざる奴隷身分から生じるのだ、みたいなね。
ところで、
神とそれを司る聖職者と、奴婢である奴隷との通底は、やはりあったのかな?
神の僕(しもべ)いうのは、神の奴隷であると宣言しているのも同然だろうという言い方もできるしね。
そういや、日本国内のキリスト教系の学校で、「聖隷なんとか」って名乗ってる学校もあるよね。
奴隷と聖職者って、とっても近接しているのかもしれないね。 葬式以外にも
学歴教とか会社教とか
年収教とかセックス教とか
科学進歩正しい教とか
動物を食うのは罪ではない教とか
いろいろある
疑わずそれらを信仰してるのは
宗教そのもの >>725
革命勢力は、貴族や労働者などの市民だよ。
王は一国の長であり主、奴隷はモノだよ。
王様は帝に対して弱い、拡大する勢力に取り込まれてしまう。
皇帝は一国だけでなく複数の国を支配する帝国の長です。
皇帝は聖と俗の二つの性質を持っています。
そして奴隷も人倫と経済の二つの性質を持っています。
そして拡大する勢力にとっては安価な労働力である奴隷は魅力的であり、
また他国を侵略した際はとりあえずその国の人は奴隷になります。
そしてしばらくしたらモノであった奴隷をヒトに切り替えるんです。
そうなると奴隷の持ち主は大変だ、ある意味奴隷も大変だ。
奴隷の価値がゼロになってしまい経済は大混乱する。
とかく皇帝は奴隷の扱いには苦慮するわけです。迂闊に手を出せない。
解放してしまうと経済的なダメージで恨みを買い暗殺されたりします。
このことが分かっている地帯は意図的に奴隷体制にしたりもします。
最初から奴隷がうじゃうじゃいるような地帯なんて帝からすると
制圧したくないのです。 >>693
死体は生ゴミとまったく同じだよ
生きている人と死んだ人はまったく性質が異なる
そもそも土葬は人の死体専用ゴミ捨て場だし火葬は人の死体専用焼却炉だから そもそもアメリカはプロテスタントの国ですからね。
無宗教の人はそれだけ地域との繋がりがない人なんだと思いますね。
そして、以前も言いましたように、無宗教の人は思想的に幼い人が多いのです。
無宗教の人にとっても神はいるのです。それは会社のボスだったりね。
儒教や共産主義と一緒でね、”私は宗教など信じない”とわめいてる人が
儒教思想や共産主義の幼稚なガリベン階級社会文化にどっぷり浸かってると
笑えないですからね。 >>162
一神教の人たちにとっては東大寺であろうと伊勢神宮であろうと
“ちいさなほこら”に過ぎないって話は聞いたことがある 題目やニセ本尊拝んでも何の功徳も無いから共産党に入党したほうがマシ こうやって宗教家ってマウント取りしかしないもんな
普通に会話してて嫌じゃんこんな連中はさ >>732 そりゃそうなんだろうね。
神社では、天に届くという感じが弱い。
キリスト教会などだと、背景からして天の神に届けてくれそうな仕組みが感じられる。
ところで、イスラムのモスクでも、そのように天に届くようには感じられると思うのだが、
キリスト教もイスラム教も、その届く天の神様のトップは同一なわけだよね。
「あ〜、時間なくて通りがかりだけど、モスクで祈らせて」とかいうキリスト教徒や、
その逆の例としてのイスラム教徒がいないってのは、神社な日本で育った私には、どうにも解せないのだ。 >>736 無神論は警戒されるし、無宗教も無神論と混同されやすい。
だからそのようにジョークでかわすという現実的手段となったのかな。
実際に、その教団を立ち上げて、億人の信徒を集めれば、もっと楽しくなるかもね。 キリスト教の矛盾。イエスが起こした奇跡を信じろと言う一方でそういった奇跡や神秘体験(天啓、神の声、悪魔、天使たど)を寓話や比喩として解釈すること。
神学、聖書解釈(解釈学)の伝統における主要な三つのアプローチでは。
1字義的アプローチ、2寓喩的アプローチ、3適応。このうちの1と2は、特に問題ないと思うけど。
2の寓喩的アプローチだと、神の声や悪魔、天使や奇跡を寓喩つまり、比喩だって解釈しちゃうから信仰も何もなくなっちゃうような気がするけどな。
宗教が哲学化、学問化しちゃう危険性があると思うんだよな。
と言うことは、イエス・キリストの奇跡も復活も寓喩つまり比喩だってことにもなるよね。そう、解釈も出来る。
これは、違うんじゃないかなと思うけど。宗教って人を救う物だろ、哲学化や学問化したら宗教じゃなくなる。 A.E.マクグラス著の科学と宗教。キリスト教の聖書に限らず宗教の聖典って霊感(トランス状態)を受けて書かれる物だよ。それを、寓喩。つまり、比喩や寓話だと解釈するのは違うと思うけど。霊感を受けて書かれたら、霊感を受けたのは事実はわけだ。
寓喩的な解釈だと、仏教では釈迦が菩提樹の下で悟ったのも
寓喩なのか、イスラム教のムハンマドがジブリールから神の声を聞いた、預言を受けたのも寓喩なのか。
このやり方は、違うと思うけどな。そう言えば、仏教が近代に入って
学問化、哲学化したのもキリスト教の神学的な解釈をしてるからなのかもしれないな。
近代仏教学では、悪魔は心の中にのもので外にあるものではないと
解釈してるし。
何でも欧米人の言うことを鵜呑みにするのは、どうかと思うが。欧米人だって、間違ったことは言うし。案の定、先進国では、キリスト教の信仰心が低下してる。 >>741 >奇跡を信じろと言う一方でそういった奇跡や神秘体験
奇蹟については、特にカトリックでは、
「奇蹟認定会議」みたいな宗教会議が必ず持たれて、それによって「奇蹟」となる。
端的に言うと、「奇蹟」認定ルートという利権構造が確立されているようなものであって、
それ以外を奇蹟として崇めてはならず、そして認定された「奇蹟」ならそれを崇めよ。
というように、ほぼ固定された「利権構造」となっているのだ。
それら「奇蹟」の効用によって、信心を深めるとか、信者の増加へと繋がるので、
それらは、宗教組織維持としては、キャンペーン材料としては必要とされる構造になっているのだろうね。 人間が二千年くらいでそんな進化するとも思えないし
宗教はしょうもないが衆愚はもっと酷いのは歴史が証明している >>740
天理教が案外そういう経緯で発案されてたりして キリストは実際に復活したのではなくて精神的に信者の心のうちとかに復活したのだという
いかにも現代人が好みそうな説を唱えたグノーシス派との神学論争を1,2世紀頃に経験済みなのが
キリスト教なのだという。グノーシス派の説は否定された。
殉死した信者の信念を教会が吸収し続けるには教説が理性的である必要はなかったんですな。
ただ信じさえすればよい。
そうした引き出しが2000年分あるということの意味をたぶん生きている人間には理解できないにちがいないよ。 >>746 本当に、現物で生きて甦る。
このような復活の、スペクタクルがなくては、そのコンテンツの魅力が失せるわけよ。
そこらは現在のハリウッド映画での、作品成立要素と同じ。
「人はみな愚か。衆愚の興味へと訴えて、そしてそれらを信者として獲得せよ。
現実的な数量的解決と発展とは、そのことだ。」
ということで、キリストの復活は、新約聖書に組み込まれてしまい、
後の多数の宗教会議でも、そちらを優先するとされたのであろう。 日本でこのアンケートをやると当然、仏壇と神棚両方ある家が多数出るだろうがその場合どう回答したらいいんだろ 聖書の伝統的解釈のうちの一つである。
寓喩的解釈は、本当にこれでいいのか。
ガリレイ・ガリレイを異端審問で裁いた時も、伝統的な三つの聖書解釈で裁いた。
寓喩的な解釈って本当にこれでいいのか?この解釈方だと、荒野の誘惑もイエスが起こした奇跡も復活も比喩になるけど。いいのか、これで。この解釈方だと
密教の仏も菩薩も比喩になるな。てか、空海の修行も比喩なのか?密教がなりたたなくなるから、比喩じゃ困るんだよね。
>>字義的ではない、あるいは寓喩的アプローチで、聖書のある区分では完全に文字通りに読むことはできないように書かれている、と主張するものである。中世には、聖書の三つの字義的ではない意味が認められていた。
これは、十六世記の多くの著述家からは、何かを誇張したものとしてかんがえられていたのである。
この見方では、創世記一章を詩的ないし
寓喩的記述として考え、そこから神学的、倫理的原則を導き出し、地球の起源に関して、字義的解釈によって歴史的事柄として取り扱うことはしない。(科学と宗教 A.E.マクグラス) その、自称無宗教のアメリカ人が、日本に来ると、
日本人の宗教観にケチをつけるんだからな。
無宗教なら黙ってろ。 >>746
そうやって理性を封殺してきた結果が、十字軍という名の略奪であったり、サン・バルテルミの虐殺だったり、魔女裁判であったり、明白な天命という美名の下に行われた侵略行為だったりするわけですよ
その引き出しにはゴミが詰まってるの 欧米人が仏典を神学と同じような解釈をしたから、仏教が哲学化・学問化(内面化)したんじゃないかな。近代仏教学は、欧米から入ってきたものだし。
聖書の伝統的解釈の寓喩だと、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたのも比喩なのか。浄土教の極楽浄土は比喩なのか。
密教は、神秘的な体験を通して悟りを開く宗派だけど、菩薩も仏も比喩なのかね。
これは、解釈というより奇跡とか神秘的体験の排除だと思うんだが。
一方で奇跡を信じろと言いながら、神学者たちは奇跡を神秘体験を
比喩として解釈して
神学を勉強する。
これって、宗教じゃなくて哲学だろ。哲学と宗教の違いがなくなってしまうだろ。
俺は、奇跡や神秘的体験は残しとくべきだと思うんだがな。 本当はみんな神なんているわけないの分かってんでしょ?
こんな文明社会で何言ってるんだか >>751
理性の名の下に大量虐殺したのが共産主義。
理性主義とか今更はやらんな 創世記の神の声が聞こえたのも比喩なんだな。う〜ん。神学者自体がこういったものを、比喩だって言ってるからね。
神を信じろと言われても、キリスト教にかかわってる現場の人間が奇跡とかを本当の意味で信じていないのだから、どうしようもないもんな。
>>神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」??
>>次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。?? >>753
神が実在するか否かという問題とは何の関係も無く
人間の精神の構造的要請として神を必須としている
そのことが重要なのであって前者ははっきりいってどうでもいいこと 実際に大学で聖書を教えてる牧師自体が神の声とかを比喩だと言って信じてない。
だから、カトリックの神父やプロテスタント牧師が若者が神を信じないと嘆くが。ローマ法王(フランシスコ法王)自体が唯物論だからな。
日本人が思ってるほど、西洋人は信仰深くないと思うよ。 水はどう頑張ったってワインにはならないからね。
奇跡を心から信じるためには、科学に対しては目も耳も塞ぐしかない >>757
宗教が扱うのは例外もあるにせよ基本、超越の問題
そして超越ってのは検証可能性の外部なのであり、比喩以外に語りようが無い いまだに宗教なんか信じてるのは、
思い込みの強すぎる異常者のみ。
犯罪予備軍。 プロテスタントの話だけど。牧師が教えてる内容じたいがこんなのだぞ。
> >「アブラハムはここで神の声を聞いたわけですが、ここで素直に神の声を聞いた、と読んではいけませんよ。本当に聞こえたら、それは頭のおかしい人ですからね」
> と仰ったんですね。
クリスチャンは、自分たちは他宗教の信者のことを無信仰とか馬鹿にするが。
本当の意味で神を信じてるかどうかと言われたら似たようなものだろ。
>>Re: はじめまして。
> はじめまして、城戸崎と申します。
> 僕はキリスト教系の大学に通っているのですが、大学の必修科目だったキリスト教の授業がきっかけで、キリスト教に疑問を抱くようになってしまいました。
コメントありがとうございます。
キリスト教の大学のクリスチャン率がどのぐらいかは知らないのですが、
まさか、全員がクリスチャンではないですよね。むしろ、「普通の人」の割合の方が圧倒的に多いですよね?
そんな普通の人がキリスト教の授業を受けたときに、本当に素直にキリスト教を受け入れられるのか興味がありました。
> その教授はどこかの牧師をやっているとかいないとか仰っていたのですが、アブラハムがイサクを捧げる場面の解説で
> 「アブラハムはここで神の声を聞いたわけですが、ここで素直に神の声を聞いた、と読んではいけませんよ。本当に聞こえたら、それは頭のおかしい人ですからね」
> と仰ったんですね。
> 「それを言っちゃったら信仰も何も無いのでは…」と思いました。
出ましたね。クリスチャン特有の「言い逃れ」です。聖書の中の都合の良い箇所は、「聖書にこう書いてあるから」と文字通り解釈するのに、都合の悪い箇所は「文字通り解釈してはならない」と言い訳するのです。とにかく、その場その場の都合で聖書の記述を解釈するため、
聖書の解釈に一貫性がないのです。
これがクリスチャンの習性です。
> それ以降、キリスト教について自分なりに調べまくっている中、このブログにたどり着きました。
> 幼い頃からキリスト教に関わってきたわけではありませんが、記事がどれも的確なご指摘であるため、最初から読まていただくことにしました。
的確と言いますか、理論的に考えればそういう疑問が出るはずなのに、クリスチャンはなぜ気付かないのか不思議に思います。
> これからも、どうぞお疲れの出ませんように。 宗教が無ければどういう世界になっていたか想像してみるといいよ >>753 神と信仰体系は有効なツールであったりもするのだよ。
それは支配する側の方便以上に、信者側の精神的支えとしても、実際に有効に働く場合があるのだ。
神は実在するよ
この世はもうすぐ終わる
そして裁判が始まる >>759
神の考えることは人間にはわからない。
これを、仏にすると。仏の考えることは人間にはわからない。
仏は何でも見通してる。神にすると。神は何でも見通してる。
う〜ん。超越と言われても。 バカだから科学的な話はさっぱり理解できないけど
スピリチュアルや宗教の話はすいすい頭に入るんだわ 子供のころ、ありんこ飼育キットというのがあったが、アリはまさか自分を飼育している人間がいるとは思わないだろう
この世界も同じこと >>768 面白い意見だね。
だから神は存在するかもしれないが、別に人格者でもない、最低な奴かもしれないんだよね。
困ってる人や現状苦しんでる人が
救われないなら科学なんて一円の値打ちも無いだろ
気持ちだけでも救われる宗教の方がマシじゃね? >>766
ん?
神 = 超越 でしょ
あと仏教は元々、超越論哲学って感じ
超越の寸前で踏みとどまって、そっから先は見たことないし分らんわっていうスタンス
仏教には神がいない、本来は
世俗化して結局神化しちゃってはいるけれど >>753
人は信じたいものを信じるものだからね
何百年か後には、神の存在を信じる人より信じない人の方が多くなっていそうな気はするけど、現状では信じている人の方が圧倒的に多いでしょう >>771
そんな優劣つけなくても
検証可能性に開かれた宗教=科学
検証可能性が閉じられた科学=宗教
とでも思ってればいい
どちらも同様に人間の精神の顕れ もう既存の宗教に代わる便利な技術ができたからね
これからはAI教の時代 >>757 宗教とか神というのは、
いろいろ「声が聞こえてくる」とかいう人も救うシステムだったのだよ。
だからそれらが「精神疾患」とは分類されない社会では、
それらは排除されないという、許容性が社会に組み込まれていた。 科学を信頼するってことは検証可能性、将来における更新可能性をしんじるってことであり
今あるそれを盲目的に信じるのは、はっきりいって宗教と信仰の関係と全く同様だからね 科学に検証可能性なんてないでしょ
ビッグバンとかただの妄想だし >>757
比喩だから信じるのよ
believe inよ
信仰には跳躍が必要、ステップワイズではない >>778
だから科学にも信仰が混じりこむ
ビッグバンは確かにいかにもキリスト教的世界だわな >>753
日本人は古来、自然崇拝と太陽信仰のアニミズム
日本人にとっての神様は太陽や大自然のこと >>779 でも、人にはそれを「現物」で見たいという欲求もあるからね。
そしてあり得ない奇蹟が生じた場合、
それを見たかったという欲求が勝ってしまって、解釈としてはそうでなくもあり得たというのを
退けてしまうのだ。 >>778
いやだがしかし、エビデンスを持って反論すれば変更可能
そこ重要 >>782
超越って人間の外部だから見ようがない
奇蹟ってのはさ、世俗向けプロパガンダに過ぎない
無教養な人にロジックで説明したって埒明かないから >>781
それよく出てくるけど根拠らしい根拠がないからたぶん俗説だよ >>784 >超越って人間の外部だから見ようがない
>奇蹟ってのはさ、世俗向けプロパガンダに過ぎない
でもそれについては、それを理解する前者よりも、後者のほうが断然数量的に多いので、
奇蹟によって、カトリックなどはその組織維持と信仰を強固にしているではないか。
カトリックには、わざわざ奇蹟認定のために厳粛な宗教会議を開くというシステムも現存してるよね。 >>778
宇宙の膨張が観測されたことから逆算してるんだよ
単なる思い付きじゃない >>753
宗教団体にとっては神がいないと商売が成り立たないからね
いまさら転職なんて出来ないよ >>779
おいおい。それじゃ俺が昔、考えてたことと同じじゃないか。例えば法華経だったら、地湧の菩薩とか久遠実成。阿弥陀経なら、西方極楽浄土とか。
神学の伝統的な聖書解釈の字義的アプローチ、寓喩的アプローチ、適応。この三つは、俺が昔やってた仏典解釈とまったく同じなんだが。
単純に大乗仏典のSF的、ファンタジー的な内容が信じられなかっただけだが。特に、法華経。どうしても、信じられなくて聖書解釈で言う寓喩的アプローチで解釈してた。
仏教本を読み始めた時は原始仏典なら、素直に信じらたんだが。
大乗仏典になると、原始仏典、特にスッタニパータとかダンマパダと似ても似つかない内容に戸惑ったな。いまは、大乗はそれはそれとして受け入れられるけど。 >>785
縄文時代から昭和まで日本人は太陽に手を合わせて拝んでいた、唯物論者の日本人は異質 >>786
後者によって為される”信仰”とやらには個人的に全く関心ないね、
その程度のもんはアイドル握手会に集う連中といったい何が違うとのか?
信者とすら呼びたくないわそんなの
宗教理解はある程度知的に誠実であることが大前提だね >>791 宗教組織としては、その運営で必要とされる「活動」であろうから、
そんなに見下すのもどうかと思うよ。
名指しして申し訳ないが、大きな団体としては、
カトリックがまさにそのような「活動」(営業活動か)をやっているね。
ちなみに私は、カトリック信者などではないのだが。
奇蹟認定のカトリックの宗教会議については
とても厳格にその審理が進められるので、現在の近代法体系による法廷システムの基礎を成す。
などともされているようだ。 >>792
んじゃはっきりいっとくと
その程度の宗教とやらは害悪だわな
バカを都合よく操る為のツールでしかない
超越への跳躍という決定的に重要な事態への無自覚性はもはや宗教とは無関係だ 奇跡認定が厳格とか笑わすなよw
二転三転して奇跡がいきなり悪魔の仕業になったりするのにw >>793 宗教を、数量的支店から観測した場合は、
その逆となると思うよ。
宗教を、
・個人からの真摯なアプローチに限定して見て、他を見下すか。
・最初から社会的に数量的解釈のアプローチをして、それを多数の現象として理解するか。
それによって、認識も判断も大きく分かれるだろうね。 >>795
ごめんちょっとついていけない
もう俺の宗教観からしたら全然別ジャンルの話なんだわ
イベント屋の動員ノウハウの話はあまり興味が無い >>794 その審理の判定形式の手順が、厳格であるのだよ。
そしてそれが厳格であれば、必ず正しいとは限らず、またそのようにも思っていないよ。
そもそもそれら厳格的な手順は踏むが、結果として認められる「奇蹟」の数は、
どうやらそれらを陳腐化させないように、数量的に稀少にコントロールされているようで。
しかしそれらも踏まえて、その手順が、厳格な審理の外形を成していたようだと言っている。
外形についてと断っておくが、近代以降の法廷は、それを(外形ではあるが)真似たのであって、
その逆ではなさそうではあるのだがね。 >>798
だからその手続き論でイエスは磔にされたんだろ?
くだらんマウント主義だわ
手続き厳格論てさ >>798
世俗が超越を裁くという構図の滑稽さ以外、何も感じませんね >>797 そんな真摯な宗教者は、少数派であるというくらいは認識しているのかな?
宗教全般に個人が責任を持つ必要はないのだが、
思想的に宗教エリートとして、自覚なしに、他を見下すのもどうかな?と思えるね。
そのような態度と立ち位置では、例えばカトリックという団体の犯した罪すらも、
全て世俗的暗愚な信者が行なったことだとして、それら実態すら見えなくなるのではないのかな。
(カトリックについては、例示として名指ししてしまって、すまないとは思ってるが} >>801
そういうのが宗教だとするのなら、宗教は害悪って結論でいいよ
全く擁護する気にならない カトリックって要するにハッタリ主義なんだよ
荘厳とか厳格とかさ
でも中身はカラッポのパクリばっかだよ
グノーシスやら正教会やらさ
スコラ哲学だってギリシャ哲学からパクっただけ
ここら辺を指摘すると吊し上げしてたんだよ >>799 違うよ。
イエスが実際に、刑を宣告された時には、
そこまでも「厳格」な(実はこれはかなり揶揄も含んでいるのだが)、裁判形式ではなかった。
近代法廷様式は、イエスを裁いた方式から、直接生まれたのではない。
もっと進化して(これも揶揄もいくらか含んでいる)、そしてやっと、近代法体系での
法廷運用仕様となったのだ。
>>775
AIは既存のデータしか参照できないツールでしかない >>802 例えば、道徳を広範に根付かせるという意味では
そういった宗教の世俗的拡大方策というのも、とても有用なのだよ。
特に識字率も低かったような時代には、宗教的に意味づけられて、
当人はその根拠について正しい認識を持たないままにも、「なんだかそれは神によって、してはならないこと」
などと思い込んで、それによって、社会的秩序が保たれていた側面も強いのである。
>>804
コンクラーベが民主主義みたいな理論かよ
民明書房みたいな理論じゃんかよ
演出が厳格なハッタリなだけだろ
相撲協会とか横綱審議会とか何が違うんだって
つまんないハッタリマウントしやがって
それが少年愛騒動でハッタリ完全にバレて信者が逃げ出してる >>806
その点は全く同意です
それら無しで文化や共同体が形成しうるとは思えません
ただもう一方で、それらは善悪の問題とは何の関係もないのです 異端審問なんかローマの法廷より退化してるもんな
イエスに抗弁権を一応認めたからね
厳格とか文句や反論させないための演出だからな
要するに脅しだわ >>805
AIの中身なんてどうでもいいんだよ
どうせブラックボックスなんだから ファティマ第3の予言を公開しないのかね。
神は地球外生命体でしたとかだと都合悪いのかな。 >>810
AIの思考プロセスはノンリニアで人間にとって解釈不可能で
得体の知れないものなんだよね、不気味なことだ
しかしもし将来、何のエクスキューズもなしに人間がそれの演算結果を
信頼し受け入れることが当たり前の状況になってしまったとしたら
もはやそれは神以外の何者でもないね ガリレオ・ガリレイの異端審問が何であったのかと言うと。理由の一つに、カトリック教会にとって都合が悪い人物だったからだと思う。
いまでこそ、地動説は常識だが。聖書の世界観が崩れるということで認めるわけにはいかなかったんだろうな。
聖書の世界観が崩れたら、聖職者の立場がなくなるからな。 日本人的になってきたんじゃない?
日本人で記紀をほんとのはなしとして読む人はいないように、アメリカ人もそっちの方がいいとおもいはじめたんじゃない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています