キリスト教の矛盾。イエスが起こした奇跡を信じろと言う一方でそういった奇跡や神秘体験(天啓、神の声、悪魔、天使たど)を寓話や比喩として解釈すること。
神学、聖書解釈(解釈学)の伝統における主要な三つのアプローチでは。
1字義的アプローチ、2寓喩的アプローチ、3適応。このうちの1と2は、特に問題ないと思うけど。
2の寓喩的アプローチだと、神の声や悪魔、天使や奇跡を寓喩つまり、比喩だって解釈しちゃうから信仰も何もなくなっちゃうような気がするけどな。
宗教が哲学化、学問化しちゃう危険性があると思うんだよな。
と言うことは、イエス・キリストの奇跡も復活も寓喩つまり比喩だってことにもなるよね。そう、解釈も出来る。
これは、違うんじゃないかなと思うけど。宗教って人を救う物だろ、哲学化や学問化したら宗教じゃなくなる。