1996年12月に原広司さんが描いた500枚目のスケッチ。原爆ドームが世界遺産となったことを喜び、恒久平和を願った
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原爆ドームを描き続けた画家の原広司(はら・ひろし)さんが14日、悪性中皮腫のため死去した。87歳。葬儀は近親者で営む。喪主は長男広信(ひろのぶ)さん。

広島に原爆が投下された1945年8月6日の翌日に市内に入り、被爆した。当時は13歳。傷ついた多くの人に水を求められ、川におびただしい数の遺体が浮いた惨状を目の当たりにした。同級生の多くも命を奪われた。

84年に「ヒロシマを語る会」を結成して証言活動を始めたのを機に原爆ドームの絵を描き始めた。88年には米ニューヨークであった国連軍縮特別総会に被爆者代表の一人として参加。92年には北朝鮮在住被爆者の調査団の一員として訪朝した。

これまでに描いた水彩画は3000枚以上。晩年は老人ホームに入って描く機会は減っていたが、2017年10月、児童約400人が原爆の犠牲となった広島市立本川小に「人生の集大成」としてドームの油絵を寄贈した。

本紙連載「ヒバクシャ」にも度々登場。「被爆者として生かされた。惨状を伝えるドームを描くのは私の責務」と語った。17年7月に国連で採択された核兵器禁止条約に日本政府が賛同しないことにも懸念を示していた。

4/15(月) 13:03
毎日新聞
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