ジラード事件

1957年(昭和32年)1月30日、薬莢を拾う事を目的に演習地内へ立ち入った日本人主婦(当時46歳)に対して、
主婦の背後から第1騎兵師団第8連隊第2大隊のウィリアム・S・ジラード三等特技兵(当時21歳、
イリノイ州オタワ出身[1])がM1ガーランド装着のM7グレネードランチャーで空薬莢を発射し、
主婦が即死する事件が発生した。・・アメリカに住むジラードの家族が「裁判はアメリカで
やるべき」と訴えを起こすが、当局は日本での世論の高まりを考慮して棄却する。
結局、ジラードは日本で傷害致死罪で起訴され、前橋地方裁判所で行われた裁判で懲役3年・
執行猶予4年の有罪判決が確定した。

なお、ジラードへの処罰を最大限軽く(殺人罪でなく傷害致死罪で処断)することを条件に、
身柄を日本へ移すという内容の密約が日米間で結ばれていたことが1991年にアメリカ政府の
秘密文書公開で判明した[2]。日本の外務省が1994年11月20日に行なった「戦後対米外交文書公開」でも
明らかとなっている。

面白半分の殺人が 執行猶予付き