【科学と宗教】「ヒトゲノム計画」の責任者、無神論者からキリスト者に 「自分の内に神の存在を知りたいという飢え渇きがある」
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「バイオロゴス・カンファレンス2019」で講演する米国立衛生研究所(NIH)所長のフランシス・コリンズ氏=3月27日
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米国立衛生研究所(NIH)の所長で、世界的に著名な生命科学者でもあるフランシス・コリンズ氏(68)が、米メリーランド州で開かれたカンファレンスに出席し、自身がキリスト教信仰に導かれた経緯を語った。無神論者であったコリンズ氏が、神の存在を真剣に考えるようになったのは、医学部時代に末期患者と出会ったことがきっかけだったという。
コリンズ氏は、人間の遺伝子の全塩基配列を解析する「ヒトゲノム計画」の責任者を務めた人物で、数々の病気に関わる遺伝子を発見した遺伝学者としても評価されている。10年前に自身が設立したバイオロゴス財団主催の「バイオロゴス・カンファレンス2019」が3月末、同州ボルチモア市内のホテルで開催され、コリンズ氏は牧師や科学者、学者ら300人余りの参加者を前に講演した。同財団は信仰と科学が矛盾しないことを示す目的で設立され、進化的創造説(有神的進化論)を提唱している。
※省略
3月27日夜に行った約20分間のスピーチでは、無神論者として生きてきた人生から、キリストにある歩みへと導かれた経緯を詳細に語った。多くのクリスチャン科学者は、自らの専門分野で学んだことを信仰に結び付けることに苦労する。しかし、コリンズ氏の場合は、自身の信仰が科学と対立することはまったくなかったという。
「この世はこれまで以上に、科学と信仰の融和が可能であることに耳を傾ける必要があります。『そうしなければならない』と強要するつもりはありませんが、そうすることは楽しいし、礼拝の機会でもあります。ただし私は、(初めから)ずっとそのことに気付いていたわけではありません」
エール大学で物理化学を専攻していた21、22歳ごろは、将来バイオロゴス・カンファレンスのような場で語ることになるとは想像もしていなかったという。当時は「形而上学的自然主義」の立場にあったからだ。コリンズ氏はこれを「還元主義的態度」と呼び、「科学を通して測定可能なもの以外に重要なものは何もない」とする信念だと説明した。
当時は、信仰(宗教)とは基本的に幼児期から持ち続ける迷信であり、「前に進む」ためには取り合うべきでないものだと考えていた。そう考えた理由の一端には、信仰を特に重視しない家庭で育ったことがある。
「神は存在しないと思い込む方が、都合が良かった」とコリンズ氏。「大学院生になるころには、私は無神論者でした。それは深く考えてそうしたわけではなく、単なる私の立場であって、当時、私の周囲にいた多くの人たちや今日の大学の学生寮、大学院の教室などで見られる状況と大差はないと思います」
※省略
コリンズ氏がキリストを信じたのは、それから2年後のことだった。最終的に信仰を持つには、物事の理解が深いクリスチャンや他の宗教を信じる人たちとの対話が必要だった。世界の宗教の中から、最も理にかなったものを見いだすのに苦労したという。
「しかし私にとって最も快適だった科学の分野にも、神を指し示すものが多々あることに気付き始めました。それは、宇宙には何もないのではなく、何かがあるということでした。複雑な構造や生命を宇宙に存在させるには、微妙な調整が必要です。実際、自然界は、私がこよなく愛した2階微分方程式という洗練された数学的規則に従っています。なぜでしょうか。自然界はなぜそうするのでしょうか。その背後には、数学者か物理学者が存在するはずです。もしや、それが神なのではないでしょうか」
※省略
「遺伝学者として、また進化論を研究する者として私が知っていることがあります。それは、生殖適応度に対して本来は良くないことをするよう求められる場合があるということです。しかし同時に、それらのことは良いものであることを私たちは知っています。つまり、進化上の制約よりも何か深いものがあるということです。私は科学的証拠があるから、神が本当に存在し、イエスが神の子であると納得するようになったのでしょうか。いいえ、違います。しかし、私はあることに気付きました。それは、自分の内に神の存在を知りたいという飢え渇きがあること。そして、神と関係を築きたいという驚くべき飢え渇きがあるということです」(続きはソース)
2019年4月19日11時33分
https://www.christiantoday.co.jp/articles/26760/20190419/human-genome-project-francis-collins-atheist-christian.htm アメリカヨーロッパの白人のみなさんも
キリスト教やユダヤ教が大切に伝えてきた文化は大事にすべきですね。
人間という生き物は自分の身近にある当たり前の物がいかに大切かを理解するのに
時間と経験を要するからね。
旧約聖書も新約聖書も社会秩序を保つ為に時間をかけて改善されてきた
洗練された文化であり、つまり蓄積された集団知性の集合体なのです。
そういうものは時代と共に変わっていくので、私たちは絶えず考え
新しい啓示なり悟りに気づき、そしてそれを踏まえて改善していかなければいけないのであってね。
私たちは古きしきたりと新しい発見を絶えず融合させていかなければならないのです。
私という存在が、白人社会のみなさんの文化の重要性を再認識する手助けになったのなら
それは素晴らしい事であってね。
私もアメリカに行ったら旧約聖書はちゃんと読もうと思ってますね。
今は意図的になるべく読まないようにしてますね、たまに断片的な文章が目に入ってきますけどね。 >>187
土や海は物だろ
それを神は代理人に管理させる
そして人は神と同じ素質を与えられた
虚しい全ては虚しい(神以外のものをあてにすると) 神道の特徴
■開祖がない
(一神教唯一神にまつわる数々の問題が起きない)
(神様がたくさんいるので神様同士の争いが起きない)
■教典がない
(教典の解釈の違いで争いが起こらない)
神道においては「浄(きよく)・明(あかく)・正(正しく)・直(なおく)」の心を大切にする
■教団がない
(教団→教義追求→原理主義→過激化にならない)
●「神は人の敬いによって威を増す。」(御成敗式目一条 一二三二年)
日本の神様は日本人が敬意を表すことによって力を増すと言われている
日本人一人ひとりが神さまに対する敬意(敬神の心)を深くすることにより
神様の力が増し、自分も日本全体も恩恵を受けられるという考え
神は水の中にも石の中にも草木の中にも道具にもあらゆるところにいて
人間も神さまの子孫で、神様の一部で、神様にもなる
すべてが神
神道の世界では神様も高天原で労働をしている
働くこと=美徳 神事
キリスト教では労働は罪という考え
神嘗祭、お月見、豆まき、お花見などの神事=神様と一緒に過ごすこと
日本人は心や調和を優先
真理や正義は残酷な振る舞いをもたらしやすい >>178
神界のクラウドですな
クラウド自体を神とみなしていれば全知全能に見えなくもないですな >>1
逆 神が存在すると考えた方が楽だから 以上 >>200
おれが突っかかってる奴は、神の力をインフレさせて破壊する悪魔だ 神道
古事記
>天地(あめつち)初めて發け(ひらけ)しとき、
>高天の原に成れる神の名は、天之御中主神(アメノミナカノヌシノカミ)
まず、大宇宙が最初にあってそこに神様が現れる
神様が先じゃなくてはじめっから大宇宙が先にある
はじめがない
はじめがないから終わりが無い
キリスト教は始まりがあるから、終末(最後の審判)がある
神道では、はじめから永遠の命がある
命が最初からあるという考え
生と死は対極ではなくて
最初から命があってそこに誕生と死が書き込まれている
滅びない命が最初からある
ユダヤ教、キリスト教
まず神様がいて、何もないところに世界を作った
一神教では天地を神様が作った
誰かが作ったのか
最初から存在してたのかで全然ちがう
生き方も違ってくる
神様=先祖のこと
神道はあらゆるものが神様
山も川も大地も木もすべて同じ命という考え >>202
何でそんなめんどくさいことするの?
完璧なクリエイション、完璧なマネージメントが可能なわけ
わざわざ遠回りする理由は?神はサディストだから? 965 :名無しさん@1周年:2017/01/23(月) 08:53:37.73 ID:FAsXu2Dt0
>>958
仏教では
普段の人生=ペナントレース
死ぬ=優勝
死んでる間=オフシーズン
産まれる=シーズン開幕
って考えだからなw
トリビアの泉「カラオケボックスで般若心経が歌える」
https://youtu.be/lo30tPXvQmg?t=133 そして仏教はこういう問題踏み込まないところが慎み深くていいね
そのかわり、能動性もち得なくて最初から敗北主義だけど メッシを神と呼ぶとする
それは筋肉や容貌を褒めているのではない
神に与えられた素質を開花させると
それは神の似姿 なぜ完璧である神が慈悲に満ちた完璧な世界を作らずにこんな残酷な世界を
完璧である神がつくってしまったのか?という矛盾を自分なりに反対の立場の
一神教擁護として辻褄の合いそうなことをあれこれ考えてみたら
あるにはありそうなんだよな 最近あまりみないけど
神道の神は糞尿ー!!とか叫びまわって
川崎チンコ祭りの画像を貼ってくれるキリスト教信者が面白くて大好きだったんだが
元気にしてるのかな?
はやくキリスト教なんかやめなさいよと。
現世でいろいろ頑張ってもハルマゲドン?で
300人ぐらいの白人しか天国へ行けないとか
バカバカしいやろ >>215でいえば解脱は引退?それともメジャー挑戦かな? もう何十年も前に読んだ本に、まさに>>1のようなことが書いてあったなぁ。
科学者がその道を極めれば極めるほど、これは神の御手によるものとしか思えないという気持ちに行き着くと。
すごく好きな本だったから本当にそうなんだって話を直接見れて、なんか感慨深いやw これからの時代、神はいないと言っておけば高卒でもいいカッコできる気がする >>221
知らんがなw 解説の人のことまで考えなくていいw 進化論って奴を見てるとただ遺伝子を複製して残して、苦しみを産み続けて
だから何だというのだ?に答えられなくなって絶望しかなくなっていくからな・・・ 神様はいない!とか
子供のころ、そういう方向にいってしまうものだけど
知らず知らずのうちに、一神教的価値観に毒されてる結果だからな
神=全知全能 の思い込みとか。
で、無神論になっても、やっぱり気をつけないと
一神教的価値観に影響はされる
他の物の見方もあるんですよって教えないと >>213
神の遺伝子が増殖したがってるのかもしれん
その遺伝子を理解するのが智慧かもね
そうでないと意志のない石につまずいても怒る 進化と神の融合を目指す進化神学とか生まれるのだろうか >>223
むしろ世界がどういうわけか存在してしまってるという不可解さそれ自体に
神性を感知できないのは愚鈍さの証かと 神は遠回りをする(という設定でないと矛盾を産む)、自然は遠回りをしない
だから効率的であればあるほど「作っただれか」の存在確率が下がる
しかし、科学を突き詰めれば自然がいかに効率的かわかってくるのに、
却って耶蘇教に傾倒しだすのは、もう本質的なバカの壁かと あえて神擁護すればスピノザ的な神が本当の神で
自然全てが神の一部に過ぎなくてこの宇宙全てが神の一部で
もっといえば時間軸でさえ神の一部かもしれない
この宇宙は既に終っていて我々人間は現在という一点にしか存在する事のできない
しがない物質のひとつにすぎないが神は現在過去未来の全ての時間軸に
存在できかつすべての物質は神の一部でしかないとも想像できたりもする >>230
なんでもないことに神性を感知してしまうのは精神障害の証かと 共産党は、キム将軍を神とあがめる
公明党は、池田大先生を神とあがめる
どちらもキリストより格が上 >>231
だがその科学は一神教的思考形式を母体としているのだ
それ無しにはありえなかった
その辺りの整合性はどうする? 人間が考える神も人間に都合のいい神
神を想像すれば思い浮かぶのは人間的姿だ
人間が神の似姿であるわけがない
神は人間のことなど何も考えていない >>235
世界が存在することを驚かない人は単に残念な頭の持ち主としか言いようが無いなあ
気付く人はあたりまえに子供のころから気付いているし、そういう人がいっぱいいるから宗教が発生する ●数学者 岡潔
三つの大問題を解いたその強烈な異彩を放つ業績から、
西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、
「岡潔」というのはニコラ・ブルバキのような数学者集団による
ペンネームであろうと思われていたこともある
https://youtu.be/uQcCmAvTc2Y?t=460
重要な発見には、自然と人間が対立する西洋型の思考だけでなく
自然と一体となる東洋型の情操が大事だと考えます
「日本人は自然とか人の世とかを自分の心の中にあると思っているらしい」
「自然や人の世が喜ぶと自分が非常に嬉しいというらしい」
「芭蕉や万葉を読んでいると少しも自他対立していなくて
自分の心がそのまま外にうれしいというふうに詠んでいる」
うちなびき春来たるらし山の間の木ぬれの桜咲きゆくみれば
「パ〜ッと春がきているがそれがすなわち自分の生命だっていうふうになる」
「そう思って自分のやり方を見ると
数学を自分の心の中に取り入れてそして心の中でその数学を見る」
「そうするとその心の中に入っている数学が
その一点に凝集して形を現してくるというふうになる」
「つまり日本人はものを心の中にいれて
そしてその自分の心を見るっていうふうなことが非常に上手なのに
今の人はどうも内を見る目というのがあまり開いていないように思う」
「日本人の本来の心を思い出してもらいたいな」 >>232
普通にそうなるよね
キリスト教みたいに変態ロジックで責める必要ない そもそも、イェール大学の”イェール”という言葉自体が
ヘブライ語で”神”というニュアンスがあるらしいからね、
スペルはYaleじゃないらしいですがね。
ちょっと英語で調べましたが、イェール大学の名の由来は設立者のファミリーネームですねw
Elihu Yale という商人が建てた学校だそうですね。
イェール浜田君の”イェール”もイェール大学から来てるのでね。
もう私は失礼もクソもない、清算の時は来たので後は清算してさっさとアメリカで
建設的なことをしたいのでね。
とにかく私はこれから清算なんで宜しくお願いしたいですね。 >>237
ガリレオの例でわかるように、教会は科学を弾圧していました
自分らの信じる耶蘇教を脅かすからです
で終了
一神教の回教圏は、昔は世界一科学が進歩していたのに、いまや…ってのもあるし、
母体にしていても成長を妨げたら意味ないな 内村鑑三が言ってた
三位一体というのは神が寂しかったからというような
人間でも繊細な方が高等で仲間がいる
人が地涌の菩薩となれば神の増殖して恩恵がトリクルダウン とにかく私が行動しなければいけないときなのでね。
これから気合を入れないといけませんね。
もう清算の時は来ていて、そして悪魔のような連中が裁かれる時は来たのです。 >>243
根っこは同じなんじゃない?一神教と科学
すべては”一”に還元されうる、探求によって事象の原因を突き止めることが出来るという信念
またキリスト教って根本的に理不尽だから、解釈に当たってロジック構築力鍛えられちゃうのよね
これ多神教世界では起こらないんと思う >>238
あろところではミートボールスパゲティ
FSM教は底意地の悪い部分がない素敵にハッピーなところが
反耶蘇ですな。耶蘇者はコッチを攻撃したらどうだw 科学と宗教が密接に関係するのは科学の世界=現世が解からないことだらけだから
万物の1%も理解できないのが人間
だからこそ神を信じる
神を信じることによって理解できないという不安から解放されたい イスラム教ではイエスも預言者のひとりだから
三位一体を応用すると、人間みな神の素質あり
聖霊は正しき思考で、父なる神はその源流 >>251
確かにw
んじゃ科学的思考の原因って一体なんだろうね
これは特殊な要因が必要だと思うよ 一神教をあえて擁護して矛盾を出さずにすむようなロジックを考えるなら
この世界が残酷で悲惨な生物達がひしめきあってるのは
われわれ人間が考えている物理法則に従う物質的な世界というのはほんの一部の
世界でしかなくてまだまだ奥がある世界で
我々の今いる世界は糞の最下層に位置するような世界でここから選ばれし生物が
より上層の世界にいける様なチャレンジ階層をかたちづくっている
より複雑な世界かもしれないという事も考えられる 神は概念だから
それをどう表現するかにその人の意思が現れる
だから神学が生まれる
神と言った時点でいることを前提としていて、それを自分の側に >>254
まあでも、サルはおろか鳥ですら問題解決のための行動は起こすから
そういうところからじゃないのかと
鳥にも迷信行動はあるよ。ある意味宗教のような >>255
六道輪廻がそんな感じ
人間まで達してそこから悟る
そこに達するまでに全体像が見えると
百尺竿頭一歩を進むとは階段を上がること >>253
論理が飛躍し過ぎ
A→B
C→D
∴E
みたいな文章 >>259
鳥は車座になって儀式みたいなこと(枝を兄弟盃みたいに循環させる)するよね、興味深い
ただ元素論とかそういう要素還元主義の極みみたいな論が発想としてでてくるのは
やはり何かもう一押し必要なのではないかなという感触はある あらゆるものに意味を求めていけば結局信仰に行きつく
人は動物のようには生きられないよ、まして知性的な人ならね >>255
別に残酷じゃないだろ
食うということは一なるものになろうとする生物の願いかもしれないしな
赤ん坊だって豚や牛、野菜や水・空気と融合して大人になる
上層世界とか言い出したら臨終間際の老人の夢でしたってオチでもいいわけで この世は実はシミュレータ
全部偶然の産物と考える方が無理筋 神の御業の顕れは複雑であれど、その根本的原理はシンプルで明快である
的な強い信念が前提されている タイトルがおかしな事になってるの理解してないのか?
教養が無いだろ >>262
預言者は定義上、人で神でない
聖霊は父と子を分けた場合にそれをつなぐ神の本質
その神の本質とは正しき思考であると
飛躍は否定しない ヒトゲノム計画って何時始まったんだっけ
80年代にAGTC式でPC処理できるようになって飛躍的に早くなったとか聞いた辺りで止まってる >>265
どう考えても食われる為に狭い檻に閉じこめられてる家畜は悲惨なんだけどな
食われたくないから必死で逃げ回るわけで本能で一体になる事を求めてるんだったら
逃げたりしないわけで 俺だって常に苦悩があるから
神がいるなら俺の声に答えて欲しいと何度も思ったけど
そんなものはなかったんで信じられない
神がいるならなんでもいいからその存在を俺に示してくれよ
じゃないと信じられるわけがないだろ >>267
聖書の正しき人とは誤魔化さない人のことで
然り然り否否と、イエスら本人は誤魔化しを嫌った
科学も、論理で証明しようという 神=数学的真理としていながら 結論が神=キリスト教
になる意味が分からない
ならば、根源そのものが数学的心理となるはず
その裏打ちに宗教など一切が無関係 >>275
時代時代でとんでも俺論出したり権力に都合よく改変してこれが唯一の聖書と争ったキチ害多数だからなあ >>260
自分が矛盾や疑問に思った事に唯一答えが見出せある程度納得できそうな
答えがあるとしたらそのような物質世界の終わりがその生物の終わりではなく
新たなステージへの旅立ちとなってその人なり生物なりの精神世界が
そのまま似たような人達で集ってその人自身が醜い精神であったなら似たような
奴等ばかりの世界でお互い騙しあい憎しみあって殺し合いをしたりする
新たなステージへのチャレンジング層みたいなのがあればいいなとは思うけど >>272
だからそれが人間的発想なんだって
まあ生まれてからただの一度も肉を食ってないというならその主張もありだがな
生存本能があるんだからそりゃ逃げるわな
神がいたとしてもそれに関与しないだけのこと 理論物理学を突き詰めて、プラトン主義として根源が数学的真理であるという主張は
この人でなくとも、本も書いて主張している奴もいる
なぜにキリスト教になるのか意味不明
そういう意味なら単に宗教は手段であって目的じゃない >>270
イエスが予言者だと言ってるのはイスラム教でしょ
キリスト教ではイエスがキリストだという立場
立場、視点が異なるものを混同してる キリスト教徒やイスラム教徒が崇めてる唯一神は、ユダヤの民が先に契約を結んだ神
要は、古代のシナイ半島周辺に住んでた少数民族が考え出したローカル信仰の神
キリスト教もイスラム教もユダヤの異端宗派でしかない >>278
類は友を呼ぶという一方
イエスは良い麦と毒麦は同じ畑に生えると
ただ禅では川に足を入れても悟ってたら濡れないと
傷があるから毒に触れると感染すると >>279
なぜ痛みがあるのかと言えば痛みがなければ腕なんて何本あっても足りやしない
痛みがあるから危険を避けられるし逃げる気も出てくる
糞尿も臭い気持ち悪いという感情がわいてこなければ腐ったものを平気で口にして
生物としての寿命は短くなる。生物単体にとってみれば食われるというのは
死に直結する恐怖があるからこそ必死で逃げる。この恐怖心のような信号がなければ
逃げずにすぐに捕食され生物の種としての寿命は短くなる
なので生物単体からみれば悲惨な目にあっているし少なくとも他生物である人間からみても
食う食われるのこの世界は悲惨でなぜこんな悲惨な世界をおつくりになったのかと疑問はわくよ スレの流れを疑問に思って
数学 のキーワードで検索したら 全くなくて驚愕したんだが… >>4
その手の言葉遊びで何か言った気になって
悦に入るところで終わるのが今の日本人って感じ
物事を深く多角的に考えられないんだよね >>239
いいや、問題ない。
すべては錯覚だ。
比喩に過ぎない。 >>284
簡単にいうと神は冷酷であり人間には興味がない
他者を取り込む行為(合体)は本能的なもの
その際相手が抵抗しようが関係ない
実際食肉家畜を殺してみるといろいろ感慨深くもなるよ >>288
いいや、逆だろう。
根拠のない勘違いがループしているだけ。
宗教というのは、脳の錯覚に過ぎない。 >>275
今科学史ざざっとみてたけど、あれだね検証可能性に開かれた学問としての
科学ってのはそれ以前と比して一神教的であるなと、偏執的に普遍を希求するそのありようが >>290
そんな神は存在しない。
もし居れば、それに気づきもしないだろう。 神を追い求めるのはいいけど、なんで最後にライトノベルのファンになるんだよw >>287
理解できない物への仮定的な推測から生まれた。 >>281
宗教の教義は進化する
神としてのイエスは捨て難いが
イエスのみが神で他は人って変だよなという
そういう需要に応じた教義が一部で生まれる
ユニテリアンみたいなね >>295
結局周りの大多数がそうだったからってのから逃げられなかったのかもしれない >>294
だからそれが「人間に都合のいい神様」って言ってるだろうw >>291
でも人間の想像を超えた神はいるのかもしれない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています