【砂漠の狐】「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」 将軍ロンメル率いるドイツ軍がノルマンディー上陸を許したワケ
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<<現代史家であり、陸上自衛隊幹部学校の講師も務めた大木毅氏が上梓した一冊の書籍が注目を集めている。それが『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』である。
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なぜ、ロンメル率いるドイツ軍はノルマンディーへの上陸を防げなかったのか。ドイツが犯した「失敗の本質」を語る。(聞き手:編集部・中西史也)>>
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■アウトサイダーの軍人としてのロンメル
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【大木】 ロンメルは一般的に「名将」と称えられますが、まず、何をもって名将といえるのかを考える必要があります。軍人を評価する際は、「統率」と「指揮」の2つの観点から見るべきです。
「統率」とは、すなわち部下をいかに掌握し、管理するか。ロンメルは兵士には人気があった一方、直属の師団長のなかには敬遠する者もいた。統率力を1つの指標から評価するのは難しい面があります。
もう1つの「指揮」は、いかに味方の損害や物資の消費を抑えて勝つかが問われます。これは高次元の概念から順に、「戦略」「作戦」「戦術」の3つに分けられます。
ロンメルはそもそも、戦争に勝つためのリソース(資源)をどう配分するかという「戦略」を立案する立場には置かれませんでした。たとえば第2次世界大戦時のアメリカでいえば、日本とドイツのどちらを先に叩くか、という次元です。
ロンメルは連邦国家だったドイツ帝国の主流だったプロイセンではなく、ヴュルテンベルク王国に生まれ、しかも陸軍幼年・士官学校や陸軍大学校の出身ではなかった。
いわばアウトサイダー(部外者)だったのです。専門的な教育を受けていなかったこともあり、「作戦」では一定の優秀さにとどまったといえます。
最後の「戦術」は、作戦のなかで戦闘をいかに指揮していくかということですが、ロンメルは率先垂範に努め、卓越した能力を発揮します。危険をものともせず、勇猛果敢に陣頭に立ち続けました。
※省略
■ロンメル「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」
――第1次世界大戦、第2次世界大戦共に敗北したドイツにあっても、ロンメルは幾多の戦闘で勝利を収めました。砂漠が広がる北アフリカ戦線(1940年9月〜1943年5月)は彼の生涯における華といえますが、どういった点が優れていたのでしょうか。
【大木】 ロンメルが「砂漠の戦争は海戦のようなものだ」と捉えていたことは、戦術面で優れた認識をもっていたことを象徴しています。
欧州本土における戦線では通常、交通の結節点や補給物資の集積場を狙って要衝を押さえ、重要都市を占領しようと試みます。しかしその戦術は、敵軍の機能を麻痺させられる地点が限られている砂漠では難しいため、相手の戦力そのものをどう潰すかが主眼になる。
そこでロンメルは、前方指揮と奇襲攻撃を遺憾なく駆使し、敵対勢力の装備品や補給物資を奪う「鹵獲」を進めていきます。
――第1次大戦以降、ロンメルが得意とした戦術ですね。
【大木】 ところが、戦術面では奏功したこの手法は、作戦・戦略次元では大きな損害を出しかねませんでした。
前方指揮はロンメル自身が戦死、もしくは捕虜となる危険を孕むと同時に、部隊との連絡が途絶えてしまうこともあった。ロンメルの戦法は、作戦遂行においてそのようなデメリットをもち合わせていました。
――英米を中心とする連合軍からの猛攻を受けてアフリカから退却したロンメルは、欧州西方の指揮を任されます。しかし1944年6月には、ドイツ占領下のフランス・ノルマンディーへの連合軍の上陸を許してしまう。なぜロンメル率いるドイツ軍は、ノルマンディー上陸作戦を防げなかったのでしょうか。
【大木】 ロンメル個人についていえば、ここでもやはり、作戦・戦略次元での問題が露呈します。
連合軍の侵攻が予想された1944年6月6日の天気予報が大荒れだと知ったロンメルは、この日の上陸は不可能だと判断し、担当戦域のフランスからドイツ本国へ戻って妻ルチー・マリアの誕生日を祝っていました。
しかし、のちにアメリカの大統領となるドワイト・アイゼンハワー連合国遠征軍最高司令官は、一時的に天候が好転するとの予報を受けて、リスクを承知で作戦を実行したのです。
現場を留守にしていたロンメルは連合軍上陸の一報を聞き、「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」と呟いたといいます。(続きはソース)
4/25(木) 11:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190425-00010000-voice-pol ロンメルの日記を見ると。ノルマンディ上陸後、ドイツ軍は連合軍を追い返すチャンスは
幾らでもあった。
でも。機甲部隊はヒトラー直属の機甲部隊が多く、ロンメルの指揮ができなかったという。
しかも、ロンメルの指揮にヒトラーが介入。脆弱な橋頭保を攻略すべきとしたロンメルに
対して、強大な橋頭保を攻略すべきと言うヒトラーの介入により、ロンメルは充分な反撃が
出来なかったと言われる。その点では将に「悲運の将軍」でもある。 >>95
眠りにつくように死んでしまう毒薬もあったり >>1
記者失格。
二度とスレ立てるな、樽悶
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を
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な 改めてノルマンディーやレニングラードの動きを見るとはたして作戦一つでどうにかなるようなもんなのかと
度を越した物量の前じゃ小手先一つ変えたぃらいじゃ結果は同じだったんじゃ >>97
WW2のイギリスは自由主義を守るための戦いに勝っただけ
帝国維持も経済力も目的じゃないからな アフリカでは前半は優位に立ったが、
後半でイギリスにボロ負けしてる。
あとは電撃戦でも突出しすぎて、孤立する場面がしばしば。
まあ、結果よければすべて良しなのかもしれんが。 米も強行し不意打ちの判断の割には爆撃地点はずしまくってるし
無駄に損害増やしてしまったというのを知ると
なんかお互い間抜けなことになってて笑ってしまった
お互い手札がみえないからこその面白さだな 総統にのし上がったヒトラーはある意味天才だが
癇癪もちで独善的な戦略は馬鹿げた発想が多く連合軍はずいぶん助かった
もしも早くに暗殺されていたらロンメルのような優秀な部下たちが指揮を執り
相当苦戦しただろう you tube の動画で情報戦に敗れたとか言ってた。
偽情報を信じただけでしょ。 源文漫画で読んだけど、敵の野戦病院に間違えて立ち寄って、ここは占領済だから視察来たんだよの体で去っていく話が好きすぎる
あと敵の司令部が自軍の兵士にロンメルを神格化すんなの伝令とかw オマハビーチの苦戦で再度艦砲射撃、これで味方にも死傷者が増えた
地雷撤去に向かったブルドーザーなどはすぐに破壊され、オマハビーチを走るアメリカ兵は地雷群を走ることになった
上陸した戦車は3台、水没した戦車は30台近く、障害物の無い砂浜で兵はパニックになった
迫撃砲や機関銃の玉が雨のように降り注ぎ、指揮官などほとんどは死傷、命令系統は寸断
ドイツ軍は後方には沼地を作り、パラシュートで降下した隊員の多くが溺死、反撃が凄く目的地よりズレ、バラバラに降下、ドイツ軍の真っ只中に降下もあった
あちこちに連合軍にいたのでドイツ軍は混乱を招いたともある
説によるとドイツ兵はアメリカ兵より1.25倍以上は強かったとあるし、
初期シャーマン戦車はドイツのティガー戦車1台を破壊するのに4台必要で、ティガーの後方に付けて撃ち抜くしか破壊出来なかった
連合軍は圧倒的な人員と物量でドイツ軍を後退させた 全方向からフルボッコにされかかってるんだから、しょうがないだろ。 むしろ、ロンメルがヘッポコだから
西部戦線にいたんじゃね?
東部戦線は絶賛、敗走中だったんだし。
(´・ω・`) ドイツ魔術師「悪天候になれー」
英国魔術師「晴れろ!晴れろ」 >>50
マ・クベに核を使うと言われても無言で前進を指示したレビル将軍みたいだな アポか。
グーデリアンが偶像化を拒んだためにロンメルにお鉢が回ってきただけさ。 ちなにノルマンディに上陸したのは身内が多かったからさ。 >>10
ロンメル本人に近いのはストライクウィッチーズOVA2のロンメル元帥
ttps://i.imgur.com/B96wGe1.jpg >>ロンメル
Q)ロンメルって名将なの?
A)それは疑問です。名将なら対ソ連正面の指揮を執らせたはずです。
ロンメルが活躍したといわれるアフリカ戦線は3個師団レベルの
どうでもいい枝葉の戦い。ソ連正面は180個師団であることを
忘れてなりません。
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★★ドイツ師団の配備状況推移★★
国家名 1941 1942 1943 1944
ソ連 34 171 179 157
仏蘭他 38 27 42 56
フィンランド他 13 16 16 16
バルカン半島 7 8 17 20
イタリア 0 0 0 22
デンマーク 1 1 2 3
北アフリカ 2 3 0 0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html ロンメルはカメラ好きで、戦場にライカ製カメラを持ち込んで撮影していた
従軍カメラマンの写真とはまた違う迫力に満ちた写真は、宣伝省の格好の
プロパガンダの材料になり、ロンメルの名声を一段と高めることになった
宣伝上手な将軍が出世する、これは米軍も同じ >>102
「追い返すチャンス」なんて、局地戦だけの話でしかない。
上陸した連合軍全体を殲滅する力はなかった。 >>1
毎回ヘッドラ壊すなバカ タヒね
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な ロンメルって英雄だけど名将ってイメージはないでしょ
ドイツの名将といえばやはりマンシュタイン >>128
少なくとも軍団レベルの運用は水際立った実績持ってるから名将でいいと思うけど >>130
ロンメルの副官だったシュパイデル西独軍大将が、戦後虚実取り混ぜて「ロンメル神話」をでっち上げたので
シュパイデル大将の証言をどこまで信用して良いのかによる
少なくともヒトラーはロンメルが暗殺にかんでいたと信じこんでいた ノルマンディーではドイツ軍はそれでも随分長期間支えたよ
同時期の東部戦線は見るも哀れな大敗北 >>134 ヒトラーはロンメルが暗殺にかんでいたと信じこんでいた
だから自殺に追い込まれたんだよな タラワ、サイパン守備隊「水際での攻撃で敵を阻止する」
→米軍にやられてあっさり全滅
硫黄島、沖縄守備隊「内陸部で敵を順次攻撃する」
→米軍に大打撃を与える 日本にしてみれば、ミッドウェイ海戦
かな?ドイツがソ連侵攻、春を待って侵攻していれば、無条件降伏せず和平工作で終戦だったかも? 距離的に近いカレーに上陸すると思ってたら不意を付かれたんだろ
今なら衛生とかでバレバレだろうな やる気のある相手だと、孤立した島嶼戦は絶対に防衛側が負ける >>142
でも金門島はどうだろう?
中国対台湾。 欧米に近いせいかノルマンディとか西部戦線のほうが有名だけど
独露の東方戦線の方が投入戦力、戦死者や捕虜、悲惨さが圧倒的に上だよね >>142
>>143
2度目の元寇、弘安の役。
元寇の、15万人の大軍が、
日本軍の迎撃での持久戦と、台風で壊滅した。 >>76
さすがに後の大統領ともなると役者が違う感じだね >>35
装甲師団はヒトラーの許可がないと勝手に移動出来なかったとか。
で、火急の報告時にはヒトラーは就寝中で取り巻きが報告を留めて、投入時期消失らしい。
後、ヒトラー統制のドイツ軍は作戦に必要だけの局所情報しか、該当将軍に情報を教えなかったらしい。 どちらにせよ独ソ戦は冬になる前に決着付けないとナポレオンの二の舞になるのは明白だったし、モスクワを落とせたとしてもレニングラードとか要所は守れないでしょ エニグマ解読された時点でもう何やっても勝ち目ないだろ >>115
アフリカ戦線終盤で過労死寸前の健康状態だったからもう最前線に出せなかった。
肝機能障害と高血圧だったかな? >本国へ戻って妻ルチー・マリアの誕生日を祝っていました。
愛妻家のマイホーム主義の人じゃないか。
開戦予想されてるのに、賭けトランプやって酒を浴びるほど飲んで
二日酔いで宣戦布告を通告するのを遅れた外務省よりマシ 日本で言うと石原莞爾だねえ
兵士に人気があるけど、将官たちには疎まれる
どちらかというと、寡兵と奇襲と夜襲ばかり教える日本の陸大教育に批判的
本筋外れているのにやることは度外れている ベルリン攻防の頃の戦記を読むとハインリツィ マントイフェル ブッセ ヴェンク等敗北必至の戦いでなお努力する姿が名将とも思える そういや日本兵ってどこで死んだのが一番多いんだろか
ヨーロッパだと何十万単位の衝突で大量に死者が出るけど、日本は島嶼戦や
海戦メインだからそんなに人数は多くないよね >>7
田宮のおかげで俺も長い間そうだと思っていた、違うと知ったのは割と最近の話だったw インド洋作戦を重点的に実施して、北アフリカの枢軸陣営を側方から支援したからといって、
イタリア軍が強くなければ、最終的な勝利は得られなかったでしょう。
こうした研究が欠けて、思いつきに等しい論を勝手に進めても無駄ですね。 >>159
1.フィリピン 49万人
2.中国大陸 45万人
3.中部太平洋 24万人
4.ビルマ(インド) 16万人
5.ニューギニア 12万人
6.日本本土 10万人 ロンメルにその権限が無かっただけだろ
戦争屋が戦争屋であることで不当な非難を浴びる必要はない 制空権がなかったから、Dデイの日にロンメルが何処にいようが、ヒトラーが眠らず起きていて機甲師団の移動命令が
即時に出せようが、連合軍の損害が多少増えた程度で大勢に影響はない。 ヴィシー政権にフランス全土を返還し永世中立を宣言させとけばあるいは >>26
モントゴメリーだろ。
砂漠の狐 vs. 砂漠の鼠 上陸する相手には歩兵中心の内陸持久が効果的だがドイツはそういう編成でもなかったし 100 Greatest Generals
https://www.historynet.com/100-greatest-generals.htm
第二次大戦
ドイツ デーニッツ、グデーリアン、マンシュタイン、ロンメル
日本 山本、山下
ソ連 チュイコフ、コーネフ、ロコソフスキー、ジューコフ
アメリカ アイゼンハワー、ハルゼー、ルメイ、ニミッツ、パットン、スミス、スプルーアンス
イギリス ダウディング、ハリス、モントゴメリー、スリム
フィンランド マンネルハイム https://youtu.be/Kn3whADEu4M
↑ヒトラーユーゲントのような少年兵たちが1943年の末には前線で戦わなければいけなくなった時点で
戦争に勝つ負ける関係なくドイツは終わっていた。
子どもを徴兵し戦場に連れて行く国に未来なし。 枢軸国の敗因はイタリアにあるというおかしなフェイクニュースがネトウヨの間で蔓延してるが、
https://youtu.be/uKDGUHcdpzs
↑1932年にこんなアニメ作成できて
https://youtu.be/9xp1m5AQMx4
↑1941年にこんなアニメ作成できる国と戦争して勝てると思うか?
それこそ、ドイツも日本も終戦直前にカラーで長編アニメ作成できても勝てなかったな。 最悪の指揮官もあったので、スレに関係しそうなのを
The Worst World War II Generals
https://www.ranker.com/list/worst-world-war-ii-generals/mike-rothschild?page=5
1.Lloyd Fredendall カセリーヌ峠でロンメルに敗北
8.Bill Rupertus ペリリュー島で日本軍相手に大損害
17.Isamu Cho 参謀なのに入ってる。沖縄戦での反撃失敗 将軍ロンメル率いるドイツ軍がノルマンディー上陸を許したワケ
要約
ソ連やアメリカと戦争を始めた時点でそうなるしかなかった。 ゴルゴ13が枢軸国にいても勝てなかったし、13人いても勝てたかどうかさえ怪しい。
実際ゴルゴ13だって超人ではあるけど神様じゃないし、国連や協力者が助けてくれなきゃすでに10回以上は死んでたし。 フォン・マルクス中将?だったかは確実にノルマンディーと予期してたんだけど、運悪く爆撃されて死んじゃったんだよな。
まあ、生きててもロンメルが具申を受け入れたかは疑問だが。 枢軸国が連合軍に勝つには
原爆を開戦時作成できてたか、音速越えのジェット機か、航続距離1万キロ以上の爆撃機か射程2000キロ超えのミサイルを量産してないと無理。 ピーターの法則そのまんまだな人は無能になるところまで出世する 物量で勝っている方は、何度かミスを犯しても挽回できるが
物量で劣勢な方は、一度ミスを犯すと致命傷になる ルントシュテットとロンメルに指揮系統分割したからだろ。
一本化していれば中途半端はなかった・・・かも・ ロンメルが一番凄いのは友軍のイタリア軍を率いてあの糞みたいな状況から挽回してエジプトまで攻め混んだ事だ。パットンもモントゴメリー、ジューコフでもこれは無理だろ >>75
富がある→武力がある→幕府に反逆する潜在力がある
なので権力は与えない
親藩の尾張紀州にも幕政には参加させてない https://www.youtube.com/watch?v=JsSLPLc93Gk
↑セリョーシュカのような少年兵たちが1942年の夏には前線で戦わなければいけなくなった時点で
戦争に勝つ負ける関係なくソ連は勝っていた。
子どもを徴兵し戦場に連れて行く国に未来があったニダ。
セルゲイ・アリョーシコフ軍曹、記録上、最年少6歳(1942)
スターリングラードの戦いで武勲に対するメダルを授与
https://russian7.ru/wp-content/uploads/2018/04/2-768x553.jpg >>49
ドイツのジェット戦闘機の量産が間に合ってたとして、
一時的に状況が好転するかもしれないが、
それでアメリカに勝てたとは思えないな
やがてアメリカもジェット戦闘機を完成させ
大量生産してドイツを圧倒しただろう >>196
アメリカは民主国家なので人的損害の許容範囲が独ソとは段違いに低いので、
武器弾薬は作れても地上戦の大規模化長期化は難しい。 >>53
慶安の変(けいあんのへん)(由井正雪の乱)とか
紀州が絡んでいる噂があったが
まともに幕府に反抗するのは幕末までなかったのは
幕府の統治能力の高さを誇るよなw >>45
アメリカは欺瞞好きだからね。
ミッドウエー前の暗号解読のための偽の水不足の打電とかね。
大規模なこともいとわない。
無線量とかの客観的指標からも察知されないように、小手先、ポーズだけじゃなくて、偽の作戦に全力投入する。
有り体には、味方もだますよね。
インチョンも、朝鮮半島東岸に引きつけ
しかも、一か八かの賭けばかりじゃない。
D-dayも天候が問題だったそうだけど、気象学者に波高を予想させた。
その時点で波高の予報方法はなかったらしいけど、学者さんは計算式からつくったらしい。
(何かの歴史番組の受け売り)。
一般論として、上陸する側が船で移動と戦力集中させやすいから、というのはあるけど、それだけじゃない。
第二次大戦でこのレベル。
いまはどうなってるんだろうね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています